秀歌体大略 ―詠歌大概より―

【概要】
「詠歌大概」は、藤原定家作の歌論書。尊快親王(後鳥羽院第四皇子)に進献されたものと伝わる。建保三〜四年(1215〜1216)頃、あるいは承久三年(1221)の承久の変以後の成立という。真名本と仮名本がある。
漢文体による簡明な歌論(仮名本では仮名文)と、勅撰八代集より抄出した103首の秀歌よりなる「秀歌体大略」(または秀歌之躰大略)の二部から成る。ここでは歌論の部分は省いた。
「秀歌体大略」の歌は、すべて「二四代集(定家八代抄)」に見え、同書より抄出したものと考えられる。歌論部分に「風体可効堪能先達之秀歌」とあるように、学ぶべき「堪能の先達の秀歌」を選りすぐった抄である。
部立別に見ると、春16首、夏6首、秋31首、冬11首、賀1首、哀傷6首、離別3首、羇旅4首、恋25首。雑歌はない。
勅撰集別では、古今35首、後撰7首、拾遺9首、後拾遺2首、詞花1首、金葉4首、千載11首、新古今36首と、古今・新古今の歌の多さが目立つ。
作者では、俊成の7首が最多で、以下、後鳥羽院・西行6首、俊頼・良経5首、人麿・貫之・清輔4首と続く。近代の歌人を重視する傾向がつよい。この点、「近代秀歌(自筆本)」の例歌に近く、「秀歌大躰」とは対照的な選歌方針に拠っていると言えよう。
なお、百人一首との共通歌は28首である。


【凡例】
底本には、『日本歌学大系』第三巻所収のテキストを用いた。底本の底本は、故久松潜一博士蔵本である。
漢字は新字体に改め、踊り字は仮名に置き換えるなどした。
歌の頭に通し番号を付した(国歌大観番号に同じ)。
歌の末尾に作者名と勅撰集名を付した。
春・夏などの部立を立てた。
岩波古典大系『歌論集・能楽論集』所収のテキストとの異同を示した。
百人一首と共通する歌にはを付した。


【百人一首関連資料集】
「近代秀歌(自筆本)」例歌 「秀歌大躰」
「八代集秀逸」 「百人秀歌」 「異本百人一首」



秀歌体大略

(春)
1 春立つといふばかりにやみよしのの山も霞みて今朝はみゆらむ[壬生忠岑 古今
2 君がため春の野にいでてわかなつむ吾衣手に雪はふりつつ[光孝天皇 古今
3 梅がえになきてうつろふ鶯のはね白妙に沫雪ぞふる[読人不知 新古
4 梅花それとも見えず久堅の天ぎる雪のなべてふれれば[読人不知 古今
5 人はいさ心もしらずふる郷は花ぞむかしの香ににほひける[紀貫之 古今
6 桜花さきにけらしも足引の山のかひよりみゆる白雲[紀貫之 古今
7 山ざくらさきそめしより久かたの雲ゐにみゆる滝の白糸[源俊頼 金葉
8 桜さく遠山鳥のしだりをのながながし日もあかぬ色かな[後鳥羽院 新古
9 おしなべて花の盛に成にけり山のはごとにかかるしら雲[西行 千載
10 百敷のおほ宮人はいとまあれや桜かざしてけふも暮しつ[山辺赤人 新古
11 いざけふは春の山べにまじりなむ暮れなばなげの花のかげかは[素性 古今
12 さくらがり雨はふりきぬおなじくはぬるとも花のかげにかくれむ[読人不知 拾遺
13 花の色はうつりにけりな徒に我身世にふるながめせしまに[小野小町 古今
14 又やみむかた野のみののさくらがり花の雪ちる春のあけぼの[藤原俊成 新古
15 久堅の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ[紀友則 古今
16 あすよりはしがの花園稀にだに誰かはとはむ春のふる郷[藤原良経 新古

(夏)
17 春過ぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふあまのかぐ山[持統天皇 新古
18 みわたせば浪のしがらみかけてけり卯花さける玉川のさと[相模 後拾遺
19 五月雨はたく藻のけぶり打ちしめり塩たれまさるすまの浦人[藤原俊成 千載
20 道のべの清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ[西行 新古
21 おのづから涼しくもあるか夏衣日も夕暮の雨の名残りに[藤原清輔 新古
22 いつとても惜くやはあらぬ年月を御禊にすつる夏のくれかな[藤原俊成 千載

(秋)
23 秋立ちていくかもあらねどこのねぬる朝けの風はたもと涼しも[安貴王 拾遺
  岩波大系本、第二句「いくかもあらぬを」。
24 八重葎しげれる宿のさびしきに人こそみえね秋はきにけり[恵慶 拾遺
25 秋はきぬ年も半にすぎぬとやをぎふく風のおどろかすらむ[寂然 千載
26 あはれ如何に草葉の露のこぼるらむ秋風たちぬ宮城野の原[西行 新古
27 月みればちぢに物こそかなしけれ我身ひとつの秋にはあらねど[大江千里 古今
28 ふるさとの本あらの小萩さきしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ[藤原良経 新古
29 あすも来む野路のたま川萩こえて色なる浪に月やどりけり[源俊頼 千載
30 ながめつつ思ふもさびし久方の月のみやこの明がたのそら[藤原家隆 新古
31 秋の露やたもとにいたくむすぶらむながき夜あかずやどる月かな[後鳥羽院 新古
32 鳴きわたる雁のなみだやおちつらむ物思ふやどの萩のうへのつゆ[読人不知 古今
33 萩が花ちるらむをのの露霜にぬれてをゆかむさよはふくとも[読人不知 古今
34 秋の田のかりほのいほのとまをあらみ我がころもでは露にぬれつつ[天智天皇 後撰
35 白露に風のふきしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける[文屋朝康 後撰
36 立田姫かざしのたまの緒をよわみみだれにけりと見ゆるしら露[藤原清輔 千載
37 白雲をつばさにかけてゆくかりの門田のおものともしたふなる[西行 新古
38 秋風にさそはれわたる雁がねはものおもふ人のやどをよかなむ[読人不知 後撰
39 千度うつきぬたの音に夢さめて物思ふそでの露ぞくだくる[式子内親王 新古
40 はるかなるもろこしまでもゆくものは秋のねざめの心なりけり[大弐三位 千載
41 夕されば門田の稲葉おとづれてあしのまろやに秋風ぞふく[源経信 金葉
42 さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山のあきの夕暮[寂蓮 新古
43 それながら昔にもあらぬ秋風にいとどながめをしづのをだまき[式子内親王 新古
44 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ[文屋康秀 古今
45 さを鹿の妻どふ山の岡べなるわさ田はからじ霜はおくとも[柿本人麿 新古
46 奥山に紅葉ふみわけなく鹿の声きく時ぞ秋はかなしき[読人不知 古今
47 秋風の吹上にたてるしら菊は花かあらぬか浪のよするか[菅原道真 古今
48 心あてに折らばや折らむはつしものおきまどはせる白菊の花[凡河内躬恒 古今
49 白露もしぐれもいたくもる山はした葉残らず色づきにけり[紀貫之 古今
50 立田河もみぢ葉ながる神なびのみむろの山にしぐれ降るらし[読人不知 古今
51 秋はきぬもみぢは宿に降りしきぬ道ふみわけてとふ人はなし[読人不知 古今
52 ちはやぶる神代もきかず立田川からくれなゐに水くくるとは[在原業平 古今
53 山河に風のかけたるしがらみはながれもあへぬ紅葉なりけり[春道列樹 古今

(冬)
54 ほのぼのとあり明の月のつきかげにもみぢ吹きおろす山おろしの風[源信明 新古
55 深みどりあらそひかねていかならむまなくしぐれのふるの神杉[後鳥羽院 新古
56 秋しのやとやまのさとやしぐるらむいこまのたけに雲のかかれる[西行 新古
57 冬枯のもりのくち葉の霜の上におちたる月の影のさむけさ[藤原清輔 新古
  岩波大系本、第五句「影のさやけさ」。
58 君こずはひとりやねなむささの葉のみやまもそよにさやぐ霜夜を[藤原清輔 新古
59 かたしきの袖のこほりもむすぼほれとけてねぬ夜の夢ぞみじかき[藤原良経 新古
60 矢田の野にあさぢ色づくあらち山みねのあわ雪寒くぞあるらし[柿本人麿 新古
  岩波大系本、第四句「みねのあは雪」。
61 ふるさとは吉野の山しちかければ一日もみゆき降らぬ日はなし[読人不知 古今
62 今よりはつぎてふらなむ我宿のすすきおしなみ降れる白雪[読人不知 古今
63 朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野のさとに降れる白雪[坂上是則 古今
64 石上ふる野のをざさ霜をへて一夜ばかりに残る年かな[藤原良経 新古

(賀)
65 君が代はつきじとぞ思ふ神風やみもすそ川のすまむかぎりは[源経信 後拾遺

(哀傷)
66 末の露もとのしづくや世中のおくれさきだつためしなるらむ[遍昭 新古
67 みな人は花のころもになりぬなり苔のたもとよかわきだにせよ[遍昭 古今
68 もろともに苔のしたにはくちずしてうづもれぬ名をみるぞかなしき[和泉式部 金葉
69 限りあればけふぬぎ捨てつ藤衣はてなきものは涙なりけり[藤原道信 拾遺
70 思ひ出づるをりたく柴の夕けぶりむせぶもうれし忘れ形みに[後鳥羽院 新古
71 なき人のかたみの雲やしぐるらむ夕の雨に色はみえねど[後鳥羽院 新古

(離別)
72 たち別れいなばの山の嶺におふる松としきかば今帰りこむ[在原行平 古今
73 しら雲の八重にかさなる遠にてもおもはむ人に心へだつな[紀貫之 古今
74 わくらばにとふ人あらばすまの浦に藻塩たれつつわぶと答へよ[在原行平 古今

(羇旅)
75 この度はぬさもとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに[菅原道真 古今
76 難波人あし火たくやに宿かりてすずろに袖の塩たるるかな[藤原俊成 新古
77 立帰り又もきてみむ松しまや小島のとま屋浪にあらすな[藤原俊成 新古
78 あけば又こゆべき山の峯なれや空行く月のすゑのしら雲[藤原家隆 新古

(恋)
79 難波えの藻にうづもるる玉かしはあらはれてだに人を恋はばや[源俊頼 新古
  岩波大系本、第三句「玉がしは」。第五句「人を恋ひばや」。
80 もらすなよ雲ゐるみねのはつ時雨木葉は下に色かはるとも[藤原良経 新古
81 東路のさのの船橋かけてのみおもひわたるをしる人のなき[源等 後撰
82 浅茅生のをののしの原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき[源等 後撰
83 如何にせむむろの八島に宿もがな恋の烟は空にまがへむ[藤原俊成 千載
  岩波大系本、第四句 「恋の煙を」。
84 夕暮は雲のはたてに物ぞおもふ天つ空なる人を恋ふとて[読人不知 古今
85 なにはがたみじかき葦のふしのまもあはで此世を過してよとや[伊勢 新古
86 うかりける人をはつせの山おろしよはげしかれとはいのらぬものを[源俊頼 千載
87 瀬を早み岩にせかるるたき河のわれても末にあはむとぞ思ふ[崇徳院 詞花
88 思ひ河絶えずながるる水のあわのうたかた人にあはで消えめや[伊勢 後撰
89 なき名のみたつの市とはさわげどもいさまた人をうるよしもなし[柿本人麿 拾遺
90 かた糸をこなたかなたによりかけてあはずは何を玉の緒にせむ[読人不知 古今
91 思ひ草葉ずゑにむすぶしら露のたまたまきては手にもたまらず[源俊頼 金葉
92 思ひきやしぢのはし書きかきつめて百夜もおなじ丸ねせむとは[藤原俊成 千載
93 有明のつれなくみえし別れよりあか月ばかりうきものはなし[壬生忠岑 古今
94 名取河せぜの埋木あらはれば如何にせむとかあひみそめけむ[読人不知 古今
95 今こむといひしばかりになが月の有明の月を待ち出でつるかな[素性 古今
96 逢ふことはとほ山ずりのかり衣きてはかひなき音をのみぞなく[元良親王 後撰
97 足引の山鳥のをのしだり尾のながながし夜を独りかもねむ[柿本人麿 拾遺
98 侘びぬれば今はたおなじなにはなる身をつくしてもあはむとぞ思ふ[元良親王 拾遺
99 わが恋は庭のむら萩うらがれて人をも身をも秋の夕ぐれ[慈円 新古
100 袖の露もあらぬ色こそ消え帰るうつればかはる歎きせしまに[後鳥羽院 新古
  岩波大系本、第二句「色にぞ」。
101 思ひ出づるときはの山のいはつつじいはねばこそあれ恋しきものを[読人不知 古今
102 契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは[清原元輔 古今
103 なげけとて月やはものを思はするかこちがほなるわが涙かな[西行 千載


百人一首目次 歌学・歌論目次




最終更新日:平成13年9月11日
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