賀茂季鷹 かものすえたか 宝暦四〜天保十二(1754-1841) 号:雲錦

生年は宝暦元年あるいは二年とも。京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)の神職の家に生まれる。姓は加茂とも書く。父は山本季種。叔父季栄の養子となる。通称は寅之助。生山・雲錦と号した。
少年期、有栖川宮家に諸大夫として仕え、同家の職仁(よりひと)親王に近侍して和歌を学ぶ。十代後半から二十歳頃、江戸に下り、加藤千蔭村田春海ら江戸派の歌人と親交した。三十八の年に帰京して後は、賀茂社に仕えながら風雅の生活を送り、伴蒿蹊小沢蘆庵など歌人文人と交遊した。正四位下安房守に至る。天保十二年十月九日没。八十八歳。墓は西賀茂西方寺奥の小谷墓地にある。
堂上・地下いずれにも人脈を有し、また京・江戸両歌壇に幅広い交友を持ったことから、生前の歌名はきわめて高く、多くの門人を抱えた。古典学者としても一家を成し、また狂歌や書にも秀でた。門下の長治祐義が編集した家集『雲錦翁家集』がある(校注国歌大系十七に所収)。他の著書に『万葉集類句』『伊勢物語傍註』『正誤仮名遣』『富士日記』、また歌集『みあれ百首』(『みあれの百草』とも。小学館日本古典文学全集『近世和歌集』に抄出)などがある。
 
以下には『雲錦翁家集』より五首を抄出した。

 

暁更梅

玉簾あくるも知らぬ枕よりあとより香る窓の梅が香

【通釈】簾は開いているのかどうか――そして夜が明けたかどうかも分からない枕もとからも、足もとからも、香ってくる窓の梅の香りよ。

【語釈】◇玉簾 すだれの美称。◇あくるもしらぬ 「あくる」は「開くる」「明くる」の掛詞。◇あとより 「あと」は足もと。

【補記】古今集の歌の句を借りて、明け方夢うつつにかぐ梅の香を面白く詠んでいる。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
枕よりあとより恋のせめくればせむ方なみぞ床なかにをる

苗代水に花の散り浮かべる所

水にすむ(かはづ)も花に声すなり桜ながるる小田の苗代

【通釈】水に住んでいるはずの蛙も、花の中で声がしている。桜の花びら流れる、田の苗代よ。

【補記】苗代に注いだ水に桜の花が散り浮かんでいる――という情景を描いた絵に添えた歌。古今集仮名序に有情のものとする蛙の声を出して、生きとし生けるもの歌うかのような春の情趣を盛り上げている。

【参考】「古今集」仮名序
水にすむかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける

たをやめの扇もて蛍をおふ所

少女子(をとめご)が扇の風に靡きつつなかなか高く行く蛍かな

【通釈】少女があおぐ扇の風に従いながら、かえって高く飛んでゆく蛍であるよ。

【補記】これも画に添えた歌。少女は扇をあおいで蛍を落そうとするのだが、その風にかえって蛍は空高く舞い上がってしまう。夏の夜の艶な情景に、面白みを添えた。

【参考歌】契沖「漫吟集」
夕涼みあふぎの風によこぎれて又空たかく行く蛍かな
  小沢蘆庵「六帖詠草」
うなゐらがきそふ扇を打ちやめてあがる蛍を悔しとぞ見る

秋暁

秋よただ夕べは物にまぎれても手枕しめる暁の空

【通釈】すっかり秋であるよ。夕方は忙しさにまぎれても、独り寝の腕枕が涙に湿る、暁の空――。

【語釈】◇秋よただ ただもう秋であるよ。前例となる定家の歌(下記参考歌)では「秋よ」は秋への呼びかけと見え、掲出歌とはややニュアンスが異なる。

【補記】夕方はあれこれと事が多くてまぎれるが、独りで迎える明け方は悲しみに浸ってしまう。夕暮よりも暁こそが秋思の時であるとした。

【参考歌】藤原定家「六百番歌合」「続古今集」
秋よただ眺めすてても出でなましこの里のみの夕べと思はば

山家初冬

(たきぎ)つみすずしろ掘りて山里はかきこもるべき冬さりにけり

【通釈】薪を積み、大根を掘り出して、山里は引き籠って暮らす冬になったのであるよ。

【語釈】◇すずしろ すずしろ菜とも。大根の別称。◇冬さりにけり 冬がやって来たのだった。この「さり」は「その時が巡って来る」意。

【補記】薪積みと大根掘りという適確な具象によって、長い冬を籠って耐える山家の暮らしをしみじみと思わせる。

【参考歌】藤原公衡「新勅撰集」
冬ごもりあとかきたえていとどしく雪のうちにぞ薪つみける


公開日:平成20年11月15日
最終更新日:平成22年04月02日