西行 山家心中集

西行法師の自撰歌集『山家心中集』全首を収めた。『山家心中集』の本文は『西行全集』(久保田淳編・日本古典文学会刊)所収の伝冷泉為相筆本をもとに作成した。その際『中世和歌集 鎌倉篇』(岩波新日本古典文学大系)所収の「山家心中集」(近藤潤一校注)を参照した。ただし仮名は適宜漢字に置き換え、また送り仮名をふった。仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一した。

   雑上     雑下

1  なにとなく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山

2  山さむみ花咲くべくもなかりけりあまり兼ねても訪ね来にける

3  吉野山人に心をつけがほに花よりさきにかかる白雲

4  咲かぬまの花には雲のまがふとも雲とは花の見えずもあらなん

5  いまさらに春をわするる花もあらじ思ひのどめて今日も暮らさん

6  白河の梢を見てぞなぐさむる吉野の山にかよふ心を

7  おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲

8  吉野山梢の花をみし日より心は身にもそはずなりにき

9  あくがるる心はさても山ざくら散りなんのちや身にかへるべき

10  花に()む心のいかで残りけむ捨てはててきと思ふわが身に

11  ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ

12  仏にはさくらの花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば

13  勅とかやくだす帝のおはせかしさらばおそれて花やちらぬと

14  浪もなく風ををさめし白河の君の折もや花はちりけん

15  風越(かざごし)の峰のつづきに咲く花はいつさかりともなくや散るらん

16  吉野山風こす(くき)にちる花は人の折るさへ惜しまれぬかな

17  散りそむる花のはつ雪ふりぬれば踏みわけ参来(まうき)志賀の山道

18  春風の花のふぶきにうづもれて行きもやられぬ志賀の山越え

19  吉野山谷へたなびく白雲は峰のさくらの散るにやあるらん

20  たちまがふ峰の雲をばはらふとも花を散らさぬ嵐なりせば

21  ()のもとに旅寝をすれば吉野山花のふすまを着する春風

22  峰にちる花は谷なる木にぞ咲くいたくいとはじ春のやまかぜ

23  あだに散る梢の花をながむれば庭には消えぬ雪ぞつもれる

24  風あらみ梢の花のながれきて庭に波たつ白河の里

25  春ふかみ枝も揺るがで散る花は風のとがにはあらぬなるべし

26  風にちる花のゆくへは知らねども惜しむ心は身にとまりけり

27  ちる花を惜しむ心やとどまりてまた来ん春のたねになるべき

28  惜しまれぬ身だにも世にはあるものをあなあやにくの花の心や

29  うき世にはとどめおかじと春風のちらすは花を惜しむなりけり

30  もろともに我をも具して散りね花うき世をいとふ心ある身ぞ

31  思へただ花のちりなん()のもとをなにを蔭にて我が身すぐさん

32  ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそかなしかりけれ

33  なにとかくあだなる花の色をしも心にふかく思ひそめけん

34  花もちり人も都へかへりなば山さびしくやならむとすらん

35  吉野山ひとむら見ゆる白雲は咲きおくれたる桜なるべし

36  ひきかへて花みる春は夜はなく月見る秋は昼なからなん

八月十五夜

37  かぞへねどこよひの月のけしきにて秋の半ばを空に知るかな

38  秋はただこよひ一夜の名なりけりおなじ雲井に月は澄めども

39  さやかなる影にてしるし秋の月十夜(とよ)にあまれる五日なりけり

40  うちつけにまた来む秋のこよひまで月ゆゑ惜しくなる命かな

くもりたりしとしの十五夜を

41  月まてば影なく雲につつまれてこよひならずは闇に見えまし

九月十三夜

42  雲きえし秋のなかばの空よりも月はこよひぞ名に負へりける

43  こよひとは所得がほに澄む月の光もてなす菊の白露

後九月に

44  月見れば秋くははれる年はまた飽かぬ心もそふにぞありける

月の歌あまたよみ侍りしに

45  秋の夜の空にいづてふ名のみして影ほのかなる夕月夜かな

46  うれしとや待つ人ごとに思ふらん山の端いづる秋の夜の月

47  あづまには入りぬと人や惜しむらん都にいづる山の端の月

48  待ちいでて隈なきよひの月見れば雲ぞ心にまづかかりぬる

49  播磨潟灘のみ沖にこぎいでてあたり思はぬ月をながめん

50  わたのはら波にも月はかくれけり都の山をなにいとひけん

51  天の原おなじ岩戸をいづれども光ことなる秋の夜の月

52  行く末の月をば知らず過ぎ来ぬる秋またかかる影はなかりき

53  ながむるも(まこと)しからぬ心地して世にあまりたる月のかげかな

54  月のため昼と思ふがかひなきにしばし曇りて夜をしらせよ

55  さだめなく鳥やなくらん秋の夜は月のひかりを思ひたがへて

56  月さゆる明石の瀬戸に風ふけばこほりのうへにたたむ白波

57  清見潟沖のいはこす白波に光をかはす秋の夜の月

58  ながむればほかの影こそゆかしけれ変はらじものを秋の夜の月

59  人も見ぬよしなき山のすゑまでも澄むらん月のかげをこそ思へ

60  身にしみてあはれ知らする風よりも月にぞ秋の色はありける

61  秋風や天つ雲井をはらふらん更けゆくままに月のさやけき

62  なかなかに曇ると見えて晴るる夜は月のひかりのそふ心地する

63  夜もすがら月こそ袖にやどりけれ昔の秋を思ひいづれば

64  月を見て心うかれしいにしへの秋にもさらにめぐりあひぬる

65  いづくとてあはれならずはなけれども荒れたる宿ぞ月はさびしき

66  行方なく月に心のすみすみて果てはいかにかならんとすらん

67  なかなかに心つくすも苦しきにくもらば入りね秋の夜の月

68  水のおもにやどる月さへ入りぬるは浪のそこにも山やありける

69  有明の月のころにしなりぬれば秋は夜なき心地こそすれ

70  いとふ世も月すむ秋になりぬれば永らへずはと思ひなるかな

71  何事もかはりのみゆく世の中に同じかげにてすめる月かな

72  世の中のうきをも知らで澄む月のかげは我が身の心地こそすれ

73  弓張の月にはづれて見しかげのやさしかりしはいつか忘れん

74  知らざりき雲井のよそに見し月のかげを袂に宿すべしとは

75  月まつと言ひなされつる宵のまの心の色を袖にみえぬる

76  あはれとも見る人あらば思はなん月のおもてに宿す心を

77  嘆けとて月やはものを思はするかこちがほなる我が涙かな

78  思ひ知る人有明の夜なりせばつきせず身をばうらみざらまし

79  数ならぬ心のとがになし果てじ知らせてこそは身をもうらみめ

80  (あや)めつつ人知るとてもいかがせむ忍びはつべき袂ならねば

81  今日こそは気色を人に知られぬれさてのみやはと思ふあまりに

82  身の憂さの思ひ知らるることわりに抑へられぬは涙なりけり

83  もの思へば袖に流るる涙川いかなるみをに逢ふ瀬ありなん

84  けさよりぞ人の心はつらからで明けはなれぬる空をうらむる

85  消えかへり暮待つ袖ぞしほれぬる置きつる人は露ならねども

86  ことづけて今朝の別れはやすらはん時雨をさへや袖にかくべき

87  逢ふまでの命もがなと思ひしはくやしかりける我が心かな

88  なかなかに逢はぬ思ひのままならばうらみばかりや身につもらまし

89  さらにまた結ぼほれゆく心かな解けなばとこそ思ひしかども

90  昔よりもの思ふ人やなからまし心にかなふ嘆きなりせば

91  夏草のしげりのみゆく思ひかな待たるる秋のあはれ知られて

92  あはれとて問ふ人のなどなかるらんもの思ふ宿の荻の上風

93  くれなゐの色にたもとの時雨れつつ袖に秋ある心地こそすれ

94  けふぞ知る思ひいでよと契りしは忘れんとての情けなりけり

95  日にそへてうらみはいとど大海のゆたかなりける我が涙かな

96  難波潟波のみいとど数そひてうらみの干ばや袖のかはかん

97  日をふればたもとの雨の脚そひて晴るべくもなき我が心かな

98  かきくらす涙の雨の脚しげく盛りにものの嘆かしきかな

99  いかにせんその五月雨のなごりよりやがて小止まぬ袖のしづくを

100 さまざまに思ひみだるる心をば君がもとにぞ(つか)ねあつむる

101 身を知れば人のとがとも思はぬにうらみがほにも濡るる袖かな

102 人はうし嘆きはつゆも慰まずさはこはいかにすべき心ぞ

103 かかる身をおほしたてけんたらちねの親さへつらき恋もするかな

104 とにかくに厭はまほしき世なれども君が住むにもひかれぬるかな

105 もの思へどもかからぬ人もあるものをあはれなりける身の契りかな

106 迎はらばわれが嘆きの報ひにて誰ゆゑ君がものを思はん

107 あふと見しその夜の夢のさめであれな長きねぶりは憂かるべけれど

108 あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ来む世もかくや苦しかるべき

雑 上

109 なにとなく芹と聞くこそあはれなれ摘みけん人の心知られて

110 はらはらと落つる涙ぞあはれなるたまらずものの悲しかるべし

111 わび人のなみだに似たる桜かな風身にしめばまづこぼれつつ

112 吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人やまつらん

113 こがらしに木の葉の落つる山里は涙さへこそもろくなりけれ

114 つくづくとものを思ふにうちそへて折あはれなる鐘の音かな

115 暁のあらしにたぐふ鐘の音を心のそこにこたへてぞ聞く

116 ()ふ人も思ひ絶えたる山ざとのさびしさなくは住みうからまし

117 谷の底にひとりぞ松も立てりける我のみ友はなきかと思へば

118 松風の音あはれなる山里にさびしさ添ふる日ぐらしのこゑ

119 山ざとは谷の(かけひ)のたえだえに水恋鳥のこゑ聞こゆなり

120 古畑のそはの立つ木にゐる鳩の友よぶ声のすごき夕暮

121 み熊野の浜木綿おふるうらさびてひとなみなみに年ぞ重なる

122 いそのかみ古きを慕ふ世なりせば荒れたる宿に人すみなまし

123 ふるさとは見し世にも似ずあせにけりいづち昔の人ゆきにけん

124 風吹けばあだに()れゆく芭蕉葉のあればと身をもたのむべき世か

125 待たれつる入相の鐘の音すなり明日もやあらば聞かんとすらん

126 入日さす山のあなたは知らねども心をかねて送りおきつる

127 柴の庵は住みうきこともあらましを伴ふ月のかげなかりせば

128 わづらはで月には夜もかよひけり隣へつたふ畔の細道

129 光をば曇らぬ月ぞみがきける稲葉にかかる朝日子のたま

130 影きえて端山の月は漏りもこず谷は梢の雪と見えつつ

131 あらし越す峰の木の間を分け来つつ谷の清水にやどる月影

132 月をみるほかもさこそは厭ふらめ雲ただここの空にただよへ

133 雲にただ今宵は月をまかせてん厭ふとてしも晴れぬものゆゑ

134 来る春は峰にかすみを先立てて谷の筧をつたふなりけり

135 小芹つむ沢のこほりのひま絶えて春めきそむる桜井の里

136 春浅みすずの籬に風さえてまだ雪消えぬ信楽(しがらき)の里

137 春になる桜の枝はなにとなく花なけれどもむつましきかな

138 すぎてゆく羽風なつかし鶯よなづさひけりな梅の立枝に

139 うぐひすは田舎の谷の巣なれども(だび)たる音をば鳴かぬなりけり

140 はつ花のひらけはじむる梢より(そば)へて風のわたるなるかな

141 おなじくは月のをり咲け山ざくら花見る夜のたえまあらせじ

142 空はれて雲なりけりな吉野山花もてわたる風と見たれば

143 花ちらで月はくもらぬ世なりせばものを思はぬ我が身ならまし

144 なにとなく汲むたびに澄む心かな岩井の水にかげうつしつつ

145 谷風は戸をふきあけて入るものをなにとあらしの窓たたくらん

146 (つが)はねどうつれる影を友にして鴛鴦(をし)すみけりな山がはの水

147 音はせで岩にたばしる霰こそ蓬の窓の友になりけれ

148 熊のすむ苔の岩山おそろしみむべなりけりな人もかよはぬ

149 里人の大幣(おほぬさ)小幣(こぬさ)立て()めて馬形(うまがた)むすぶ野つ子なりけり

150 くれなゐの色なりながら蓼の穂のからしや人の目にも立てぬは

151 楸おひて涼めとなれる蔭なれや波うつ岸に風わたりつつ

152 折りかくる波の立つかと見ゆるかな洲崎にきゐる鷺の群鳥(むらどり)

153 浦ちかみ枯れたる松の梢には波の音をや風は懸くらん

154 潮風に伊勢の浜荻ふせばまづ穂ずゑを浪のあらたむるかな

155 さもとゆく舟人いかに寒からん熊山岳をおろす嵐に

156 おぼつかな伊吹おろしの風先(かざさき)に朝妻船は逢ひやしぬらん

157 いたけもるあまみが時になりにけり蝦夷が千島をけぶりこめたり

158 もののふの馴らすすさみは面立たしあけその退(しぎ)り鴨の入れ首

はつはるのあしたに

159 たちかはる春を知れども見せがほに年をへだつる霞なりけり

山里を春立つ、といふことを

160 春知れと谷の細水もりぞくる岩間の氷(ひま)たえにけり

海辺の霞、といふことを、伊勢の二見と申す所にて

161 浪越すと二見の松のみえつるは梢にかかる霞なりけり

子の日

162 春ごとに野辺の小松をひく人はいくらの千代を経べきなるらん

雪中の若菜

163 けふはただ思ひも寄らでかへりなん雪つむ野辺の若菜なりけり

雨中の若菜を

164 春雨の布留野の若菜生ひぬらしぬれぬれ摘まん(かたみ)手貫入(たぬき)

若菜に初子の合ひたりしに、人のもとへ申しおくり侍りし

165 若菜つむけふに初子(はつね)の合ひぬればまつにや人の心ひくらん

若菜に寄せて思ひを陳ぶ、といふことを

166 若菜おふる春の野守にわれなりて憂き世を人につみ知らせばや

住み侍りし谷にうぐひすの声せずなりしかば、なにとなくあはれにおぼえて

167 古巣うとく谷のうぐひすなり果てば我や代はりてなかむとすらん

梅にうぐひすのこゑかをりて聞え侍りしに

168 梅が香にたぐへて聞けばうぐひすの声なつかしき春のあけぼの

旅の泊の梅を

169 ひとり()る草の枕のうつり香は垣根の梅のにほひなりけり

嵯峨に住み侍りしをり、道をへだてて坊のはべりしより梅の風にちりこしを

170 ぬしいかに風わたるとて厭ふらんよそにうれしき梅のにほひを

きぎす

171 生ひかはる春の若草まちわびて原の枯野にきぎす鳴くなり

172 萌えいづる若菜あさると聞こゆなりきぎす鳴くなる春のあけぼの

霞の中の帰る雁、といふことを

173 なにとなくおぼつかなきは天の原霞にきえて帰る雁がね

帰る雁の歌よみ侍りしに

174 たまづさの端書かとも見ゆるかな飛びおくれつつ帰る雁がね

柳風に随ふ

175 みわたせば佐保の河原に繰りかけて風に縒らるる青柳の糸

山里の柳、といふことを

176 山賤(やまがつ)の片岡かけて占むる野のさかひに見ゆる玉の小柳(をやなぎ)

つとめて山の花におもむく、といふことを

177 さらにまた霞に暮るる山路かな花をたづぬる花のあけぼの

独り山花を尋ぬ、といふことを

178 たれかまた花をたづねて吉野山苔ふみわくる岩つたふらん

山の花を尋ねて見る、といふことを

179 吉野山雲をはかりに尋ね入りて心にかけし花をみるかな

熊野へまゐりしに、八上の若宮の花おもしろかりしかば、社にかきつけ侍りし

180 待ちきつる八上(やがみ)の桜さきにけり荒く下ろすな三栖(みす)の山風

上西門院女房、法勝寺の花みられしに、雨ふりてくれにしかば帰られにき。またの日兵衛殿の局のもとへ、花のみゆき思ひいでさせ給ふらんとおぼえ侍りしとて、おくり侍りし

181 見る人に花も昔を思ひいでて恋しかるべし雨にしほるる

 かへし

 182 いにしへをしのぶる雨とたれか見ん花もその世の友しなければ

「若きひとびとばかりなん。老いにける身は風のわづらはしさに厭はるることにて」とありし、いとやさしく侍りき。

花の下にて見る月、といふ心を

183 雲にまがふ花の下にてながむればおぼろに月も見ゆるなりけり

老いて花をみる、といふことを

184 老いづとに何をかせましこの春の花まちつけぬ我が身なりせば

古木の桜ばな、所々咲きたるを見て

185 わきて見ん老木は花もあはれなり今いくたびか春に逢ふべき

かき絶えて言問はずなりにたりし人の、花見に山里へ詣できたりと聞きて

186 年を経ておなじ梢ににほへども花こそ人に飽かれざりけれ

世を遁れて、東山に住み侍りしころ、白河の花盛りに人さそひしかば、罷りて帰るとて、昔おもひいでて

187 散るを見でかへる心や桜花むかしにかはる心なるらん

早蕨

188 なほざりに焼き捨てし野のさわらびは折る人なくてほどろとやなる

やまぶき家のかざりたり、といふことを

189 山吹の花咲く里になりぬればここにも井手とおもほゆるかな

190 真菅おふる荒田に水をまかすればうれし顔にも鳴くかはづかな

春のうちに郭公を聞く、といふことを

191 うれしとも思ひぞ果てぬほととぎす春聞くことの慣ひなければ

三月、一日足らで暮れ侍りしに

192 春ゆゑにせめてもものを思へとや三十日(みそか)にだにも足らで暮れぬる

山里の初めの秋、といふことを

193 さまざまのあはれをこめて梢ふく風に秋知るみ山べの里

秋の歌に

194 玉に貫く露はこぼれて武蔵野の草の葉むすぶ秋の初風

初めの秋のころ、鳴尾と申す所にて、松の風の音を聞きて

195 つねよりも秋になるをの松風はわきて身にしむものにぞありける

七夕

196 船寄する天の川瀬のゆふぐれは涼しき風や吹きわたすらん

野径ノ秋風

197 すゑ葉ふく風は野もせにわたれども荒くは分けじ萩の下露

草花道ヲ遮ル、といふことを

198 夕露をはらへば袖に玉きえて道わけかぬる小野の萩原

行路ノ草花

199 折らでゆく袖にも露ぞしほれける萩の葉しげき野路の細道

すすき道に当たつて繁し、といふことを

200 花すすき心あてにぞ分けてゆくほの見し道のあとしなければ

野萩錦ニ似ル、といふことを

201 けふぞ知るその江にあらふ唐錦萩咲く野辺にありけるものを

月の前の野の花、といふことを

202 花の色をかげにうつせば秋の夜の月ぞ野守の鏡なりける

女郎花露を帯びたり、といふことを

203 花の柄に露の白玉貫きかけて折る袖ぬらすをみなへしかな

水辺の女郎花

204 たぐひなき花のすがたををみなへし池の鏡に映してぞ見る

月の前の女郎花を

205 庭さゆる月なりけりな女郎花霜にあひぬる花と見たれば

秋の興野にあり、といふことを

206 花をこそ野辺のものとは見に来つれ暮るれば虫の音をも聞きけり

田の家の虫を

207 小萩咲く山田の(くろ)の虫の音に庵守(いほも)る人や袖ぬらすらん

ひとり虫を聞く、といふことを

208 独り寝の友とはならできりぎりす鳴く音を聞けばもの思ひそふ

年頃、申しなれたりし人、伏見に住むとききて、尋ねて罷りたりしに、庭の草、道も見えず繁りて、虫の鳴き侍りしかば

209 分けて入る袖にあはれをかけよとて露けき庭に虫さへぞ啼く

むし

210 秋風に穂末なみよる刈萱の下葉に虫のこゑ乱るなり

211 夜もすがら袂に虫のねをかけて払ひわづらふ袖の白露

212 虫の音に露けかるべき袂かはあやしや心もの思ふべし

暁、初雁を聞く

213 横雲の風に分かるるしののめに山飛び越ゆる初雁のこゑ

遠く近く雁を聞く

214 白雲をつばさにかけてゆく雁の門田の面の友したふなる

夜に入りて雁を聞く

215 烏羽(からすば)に書くたまづさの心地して雁鳴きわたる夕闇の空

霧の中の鹿

216 晴れやらぬ深山(みやま)の霧のたえだえにほのかに鹿の声聞こゆなり

夕暮に鹿を聞く、といふことを

217 篠原や霧にまがひて鳴く鹿のこゑかすかなる秋の夕暮

暁の鹿を

218 夜を残す寝覚に聞くぞあはれなる夢野の鹿もかくや鳴きけん

田家の鹿、といふことを

219 小山田の(いほ)ちかく鳴く鹿の音におどろかされて驚かすかな

山里の鹿

220 なにとなく住ままほしくぞ思ほゆるしかあはれなる秋の山里

月を待ちて鹿を聞く、といふことを

221 かねてより心ぞいとど澄みのぼる月待つ峰のさ牡鹿のこゑ

田の上の月を

222 夕露の玉敷く小田の稲筵かぶす穂末に月ぞやどれる

月の前に遠く望む、といふことを

223 くまもなき月のひかりに誘はれて幾雲井までゆく心ぞも

春日にまゐりて侍りしに、月あかくあはれにて、三笠の山をみやりてよみはべりし

224 ふりさけし人の心ぞ知られぬるこよひ三笠の月をながめて

遍照寺にて、人々月をもてあそびはべりしに

225 池のおもに映れる月の浮き雲ははらひのこせる水錆(みさび)なりけり

讃岐の善通寺の山にて、海の月を見て

226 くもりなき山にて海の月みれば島ぞ氷の絶え間なりける

月の前の散る葉

227 山おろしの月に木の葉をふきかけて光にまがふ影を見るかな

秋の歌よみ侍りしに

228 鹿の音を垣根にこめて聞くのみか月もすみけり秋の山里

229 庵に漏る月のかげこそさびしけれ山田は引板(ひた)の音ばかりして

230 なに事をいかに思ふとなけれども袂しぐるる秋の夕暮

231 なにとなくものがなしくぞ見えわたる鳥羽田の面の秋の夕暮

232 おほかたの露には何のなるならん袂に置くは涙なりけり

233 山ざとは秋のすゑにぞ思ひ知るかなしかりけり木枯の風

ものへ罷りし道にて

234 こころなき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮

独り衣擣つを聞く

235 ひとり寝の夜寒になるを重ねばや誰がために()つ衣なるらん

山里のもみぢ、といふことを

236 染めてけりもみぢの色のくれなゐを時雨ると見えしみ山辺の里

寂然、高野にまゐりて、深き山の紅葉といふことを、宮法印御庵室にてよむべき由申し侍りしに、まゐりあひて

237 さまざまの錦ありけるみ山かな花見し峰を時雨そめつつ

秋のくれに

238 なにとかく心をさへは尽くすらん我が嘆きにて暮るる秋かは

夜もすがら秋を惜しむ、といふことを、北白河にて

239 惜しめども鐘の音さへ変はるかな霜にや露を結びかふらん

卯月のついたちになりて、散りて後花を思ふ、といふことを人々よみはべりしに

240 青葉さへみれば心のとまるかな散りにし花のなごりと思へば

夏の歌よみ侍るとて

241 草しげる道刈りあけて山里は花見し人の心をぞ見る

社頭の卯の花

242 神垣のあたりに咲くもたよりあれや木綿かけたりと見ゆる卯の花

無言し侍りしころ、ほととぎすのこゑをききて

243 郭公ひとにかたらぬ折にしも初音聞くこそかひなかりけれ

夕暮のほととぎす

244 里馴るる誰そ彼どきのほととぎす聞かずがほにてまた名のらせん

ほととぎすを待つにむなしく明けぬ、といふことを

245 ほととぎす聞かで明けぬと告げがほに待たれぬ鶏の音ぞ聞こゆなる

郭公歌あまたよみ侍りし中に

246 ほととぎす聞かぬものゆゑ迷はまし花を尋ねし山路ならずは

247 ほととぎす思ひもわかぬ一声を聞きつといかが人に語らん

248 聞き送る心を具してほととぎす高間の山の峰こえぬなり

雨のうちのほととぎす

249 さみだれの晴れ間もみえぬ雲路より山ほととぎす鳴きて過ぐなり

五月雨の歌よみ侍りし中に

250 水なしと聞き古るしてし勝間田の池あらたむる五月雨の頃

251 五月雨に水まさるべし打ち橋や蜘蛛手にかかる浪の白糸

花たち花に寄せて旧きを懐ふ、といふことを

252 軒ちかき花橘に袖()めてむかしをしのぶ涙つつまん

海ノ辺ノ夏ノ月

253 露のぼる蘆の若葉に月さえて秋をあらそふ難波江の浦

納涼の歌

254 夏山の夕下風の涼しさに楢の木陰の立たま憂きかな

雨の後の夏の月

255 夕立の晴るれば月ぞ宿りける玉揺り据うる蓮の浮き葉に

泉に対ひて月を見る、といふことを

256 掬ぶ手にすずしき影をそふるかな清水にやどる夏の夜の月

夏野ノ草

257 馬草(まくさ)に原のすすきをしがふとて臥処あせぬと鹿思ふらん

旅の道に草深し、といふことを

258 旅人の分くる夏野の草しげみ葉ずゑに菅の小笠はづれて

山里に秋を待つ、といふことを

259 山里は外面の真葛葉を茂み裏吹き返す秋を待つかな

十月初めのころ山里に罷りたりしに、きりぎりすの声わづかにし侍りしかば

260 霜埋む葎が下のきりぎりすあるかなきかの声聞こゆなり

暁の散る葉

261 時雨かと寝覚めの床に聞こゆるは嵐にたえぬ木の葉なりけり

水のほとりの枯れたる草

262 霜にあひて色あらたむる葦の穂のさびしく見ゆる難波江の浦

閑かなる夜の冬の月、といふことを

263 霜さゆる庭の木の葉を踏みわけて月は見るやと訪う人もがな

夕暮の千鳥

264 淡路島瀬戸の潮干の夕ぐれに須磨より通ふ千鳥鳴くなり

寒き夜の千鳥

265 さゆれども心やすくぞ聞き明かす河瀬の千鳥友具してけり

舟の中の霰

266 瀬戸わたる棚無小舟こころせよ霰みだるる風巻(しまき)よこぎる

冬の歌あまたよみ侍るとて

267 花も枯れもみぢも散りぬ山里はさびしさをまた問ふ人もがな

268 玉懸けし花のすがたも衰へぬ霜をいただく女郎花かな

269 ひとりすむ片山陰の友なれや嵐に晴るる冬の夜の月

270 津の国の蘆の丸屋(まろや)のさびしさは冬こそわきて訪ふべかりけれ

271 山ざくら初雪降れば咲きにけり吉野は里に冬ごもれども

272 夜もすがら嵐の山に風さえて大井の淀に氷をぞ敷く

273 山里はしぐれし頃のさびしさに霰の音はややまさりけり

274 風さえて寄すればやがてこほりつつかへる波なき志賀の唐崎

275 吉野山ふもとに降らぬ雪ならば花かと見てや尋ね入らまし

雪の朝、両山と申す所にて、人々歌よみ侍りしに

276 闌けのぼる朝日のかげの射すままに都の雪は消えみ消えずみ

山里に冬深し、といふことを

277 訪ふ人も初雪をこそ分けこしか道閉ぢてけりみ山辺の里

世遁れてひむがし山に侍りしに、人々まできて、歳の暮に寄せて思ひを述べしに

278 歳暮れしそのいとなみは忘られてあらぬ様なるいそぎをぞする

歳の暮に、高野より宮こなる人に申しつかはし侍りし

279 おしなべておなじ月日の過ぎゆけば都もかくや歳は暮れぬる

雑 下

いはひの歌よみはべりし中に

280 若葉さす平野の松はさらにまた枝に八千代の数をそふらん

281 君が世のためしになにを思はまし変はらぬ松の色なかりせば

内裏に貝合あるべかりしに、人にかはりて

282 かひありな君がみ袖におほはれて心にあはぬ事もなき世は

283 風吹けば花さく浪の折るたびにさくら貝よる三島江の浦

284 浪あらふ衣の浦の袖貝をみぎはに風のたたみ置くかな

承安元年六月ついたちの日、院、熊野へまゐらせおはしましけるついでに、住吉へ御幸ありけり。修行しまはりて、二日、かの社にまゐりて侍りしに、住の江の釣殿あたらしく仕立てられたり。後三条院のみゆき、神思ひいで給ふらんとおぼえて、書きつけ侍りし

285 絶えたりし君がみゆきを待ちつけて神いかばかり嬉しかるらん

松の下枝あらひけん浪、いにしへに変はらずこそはとおぼえて

286 いにしへの松の下枝をあらひけむ浪を心にかけてこそ見れ

俊恵、天王寺に籠りて、人々具して住吉にまゐりて、歌よみ侍りしに

287 すみよしの松の根あらふ波の音を梢にかくる沖つ潮風

そのかみ心ざしつかまつりし習ひに、世を遁れてのちも賀茂の社へまゐることにてなん。年高くなりて四国の方へ修行すとて、また帰りまゐらぬことにてこそはとて、仁安二年十月十日の夜、まゐりて弊まゐらせ侍り。内へも入らぬことなれば、棚尾の社にとりつきて、奉りたまへとて心ざし侍りしに、木の間の月ほのぼのに、つねよりも神さび、あはれにおぼえて詠み侍りし

288 かしこまるしでに涙のかかるかなまたいつかはと思ふあはれに

斎院おりさせ給ひて、本院のまへを過ぎ侍りしをりしも、人のうちへ入りしにつきて、ゆかしくはべりしかば、見まはりて、おはしましけんをりはかからざりけんと、変はりにけることがら、あはれにおぼえて、宣旨の局のもとへ申し送り侍りし

289 君住まぬ御内は荒れて有栖川忌む姿をもうつしつるかな

返し

 290 思ひきや忌みこし人のつてにして馴れし御内を聞かんものとは

ゆかりなる人の、新院の勘当なりしを、許しばぶべきよし申しいれたりし、おほん返りごとに

 291 最上川綱手ひくとも稲舟のしばしがほどは碇おろさん

おほん返し

292 つよく引く綱手と見せよ最上河その稲舟の碇をさめて

かく申しいれたりしかば、ゆるしたびたりし。

世の中に大事いできて、新院あらぬさまにならせおはしまして、おん髪おろして、仁和寺におはしますとききて、参りて兼賢阿闍梨にあひて、月あかく侍りしかば

293 かかる世にかげも変はらず澄む月を見る我が身さへうらめしきかな

奈良の僧、科のことによりて、あまたみちのくにへつかはされたりしに、中尊寺と申すところにまかりあひて、宮このものがたりすれば、涙ながす、あはれなり。「かかる事はありがたきことなり。いのちあらばものがたりにもせん」と申して、思ひ陳ぶべきよしおのおの申し侍りて、遠国述懐、といふことを詠み侍りし

294 涙をば衣川にぞ流しつる古き都を思ひいでつつ

年頃あひ知りて侍る人の、みちのくにへまかるとて、とほき国の別れ、とまうすことをよみ侍りし

295 君去なば月待つとても眺めやらんあづまのかたの夕暮の空

宮法印、高野にこもらせたまひて、ことのほかに荒れ、寒かりし夜、小袖たまはせたりしまたのあした、たてまつり侍りし

296 今宵こそあはれみあつき心地して嵐の音をよそに聞きつれ

阿闍梨兼賢、世を遁れて高野にこもりて、あからさまにとて仁和寺へいでて、僧綱になりて、かへり来まゐらざりしかば、いひおくり侍りし

297 袈裟の色や若紫に染めてける苔のたもとを思ひかへして

大峰の笙石屋にて、「もらぬいはやも」とよまれけんをり、思ひいでられて

298 露もらぬ岩屋も袖は濡れけりと聞かずはいかにあやしからまし

深仙にて月を

299 深き山の峰に澄みける月見ずは思ひ出もなき我が身ならまし

300 月すめば谷にぞ雲はしづみける峰吹きはらふ風に敷かれて

伯母が峰と申すところの見渡されて、月ことに見え侍りしかば

301 姨捨は信濃ならねどいづくにも月すむ峰の名にこそありけれ

笹と申す宿にて

302 庵さす草の枕にともなひて笹の露にもやどる月かな

平地と申す所にて月を見侍りしに、梢の露たもとにかかり侍りしを

303 梢もる月もあはれを思ふべしひかりに具して露のこぼるる

夏、熊野へまゐり侍りしに、岩田と申す所にて涼みて、下向する人につけて、京へ西住上人のもとへつかはし侍りし

304 松が根の岩田の岸の夕涼み君があれなと思ほゆるかな

播磨の書写へまゐるとて、野中の清水見侍りしこと、一むかしになりてのち、修行すとて通り侍りしに、おなじさまにてかはらざりしかば

305 むかし見し野中の清水かはらねば我が影をもや思ひいづらん

長柄をすぎ侍りしに

306 津の国の長柄は橋のかたもなし名はとどまりて聞きわたれども

みちのくにの方へ修行してまかりしに、白河の関にとまりて、ところがらにや、つねよりも月おもしろくて、能因が「秋風ぞ吹く」と申しけんをり、いつなりけむと、あはれに思ひいでられて、関屋の柱にかきつけ侍りし

307 白河の関屋を月のもる影は人の心をとむるなりけり

心ざすことありて、安藝の一の宮へまゐり侍りしに、たかとみの浦と申す所に、風に吹きとめられて程経侍りしに、苫屋より月の漏りしを見て

308 浪のおとを心にかけて明かすかな苫もる月の影を友にて

旅まかるとて

309 見しままに姿も影もかはらねば月ぞ都の形見なりける

310 あはれ知る人見たらばと思ふかな旅寝の床にやどる月影

311 都にて月をあはれと思ひしは数よりほかのすさみなりけり

素覚が許にて、俊恵などまかりあひて、懐ひ述べ侍りしに

312 なにごとにとまる心のありければさらにしもまた世の厭はしき

秋のすゑに寂然高野にまゐりて、暮秋述懐といふことをよみ侍りしに

313 馴れきにし都もうとくなり果てて悲しさ添ふる秋の暮かな

中院右大臣、出家おもひたつよしの事かたり給ひしに、月などあかくあはれにて、明け侍りにしかばかへり侍りにき。そののち、その夜のなごり多かるよし、いひおくりたまふとて

 314 夜もすがら月をながめて契りおきしその睦言に闇は晴れにき

返し

315 澄むと見えし心の月しあらはれてこの世も闇の晴れざらめやは

待賢門院の堀河の局、世を遁れて仁和寺にすまると聞きて、たづねまかりたれば、住み荒らしたるさまにて、人の影もせざりしかば、あたりの人に「かく」とまうしおきたりしを聞きて、いひおくられ侍りし

 316 汐馴れし苫屋も荒れてうき浪によるかたもなきあまと知らずや

返し

317 苫の屋に浪たちよらぬ気色にてあまり住み憂きほどは見えにき

おなじ院の中納言の局、世を背きて小倉の山の麓にすまれしに、まかりたりしに、ことがら優にあはれなり。風の気色さへかなしくおぼえて、書きつけ侍りし

318 山おろす嵐の音のけはしさをいつならひける君が住み処ぞ

 あはれなるすみか訪ひに分け入りて、この歌を見て また書きつけられける      同じ院の兵衛殿

 319 憂き世をばあらしの風にさそはれて家を出でにし住み処とぞ見る

ある宮腹につけつかまつる女房、「世を背きて、都はなれて遠くまからむとおもふ」とて、歌たてまつりしに、代りて

320 くやしきはよしなく君に馴れそめていとふ都のしのばれぬべき

為業、常盤に堂供養し侍りしに、世をのがれて山寺にすみ侍る親しきひとびとまうできたりと聞きて、いひおくれる

321 いにしへにかはらぬ君がすがたこそ今日はときはの形見なるらめ

 返し

 322 色かへで独りのこれる常盤木はいつを待つとか人の見るらん

友に逢ひて昔を恋ふ、といふことを

323 いまよりは昔語りは心せんあやしきまでに袖しほれけり

泉主かくれて、あと伝へたる人ばかりにて、泉に対ひて旧きを懐ふ、といふことを、ひとびとよみ侍りしに

324 住む人の心汲まるる泉かな昔をいかに思ひいづらん

十月はじめのころ、法金剛院のもみぢ見はべりしに、上西門院おはしますよしききて、待賢門院の御時思ひいでられて、兵衛殿の局にさしおかせ侍りし

325 もみぢ見て君が袂や時雨るらん昔の秋の色をしたひて

 返し

 326 色ふかき梢を見ても時雨つつふりにしことをかけぬ間ぞなき

大覚寺の滝殿の石ども、閑院に移されて、跡なくなりたりと聞きて、見にまかりたりしに、赤染が「今だにかかり」とよみけん折、思ひいでられて

327 いまだにもかかりと言ひし滝つ瀬のその折までは昔なりけん

周防の内侍「われさへのきの」とかきつけたるふるさとにて、ひとびと思ひ陳べ侍りしに

328 いにしへはついゐし宿もあるものを何をか今日のしるしにはせん

為業、常盤の家にて、故郷に思ひを述ぶ、といふことを詠み侍りしに、罷りあひて

329 しげき野をいくひとむらに分けなしてさらに昔をしのびかへさん

修行してみちのくにへまかりたりしに、野の中に、常よりも、とおぼしき塚のみえしを、人に問ひ侍りしかば、「中将の御墓とはこれが事なり」とまうししかば、「中将とはたれが事ぞ」と、また問ひしかば、「実方の御事なり」とまうす、いとあはれにおぼえて、さらぬだにものがなしく、霜枯れのすすきほのぼのみえわたりて、のちに語らんも言の葉なきやうにおぼえて

330 朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野のすすき形見にぞする

 堀河の局のもとよりいひつかはしたりし

 331 この世にて語らひおかむほととぎす死出の山路のしるべともなれ

返し

332 ほととぎす鳴く鳴くこそは語らはめ死出の山路に君しかからば

仁和寺の宮にて、道心年ヲ遂ヒテ深シ、といふことをよませ給ひしに

333 浅く出でし心の水やたたふらん澄みゆくままに深くなるかな

暁の念仏、といへることを

334 夢さむる鐘のひびきにうちそへて十度の御名を唱へつるかな

法華経序品

335 ちりまがふ花のにほひを先立てて光を(のり)の筵にぞ敷く

勧持品

336 あま雲の晴るるみ空の月影にうらみなぐさむ姨捨の山

寿量品

337 鷲の山月を入りぬとみる人は暗きにまよふ心なりけり

観心を

338 闇はれて心の空にすむ月は西の山辺やちかくなるらん

無常歌あまたよみ侍りし中に

339 鳥辺野を心のうちに分けゆけば息吹の露に袖ぞそぼつる

340 世の中を夢とみるみるはかなくも猶おどろかぬ我が心かな

341 年月をいかで我が身に送りけん昨日の人も今日はなき世に

桜の散り侍りしにならびて、また咲きける花を見て

342 散るとみればまた咲く花のにほひにも遅れ先立つためしありけり

暁無常を

343 つきはてんその入相のほどなさをこの暁に思ひ知りぬる

ものあはれにこころぼそくおぼえしをりしも、きりぎりすの枕ちかくなき侍りしかば

344 そのをりの蓬がもとの枕にもかくこそ虫の音には睦れめ

同行に侍りし上人、例ならぬ事大事なりしをり、月あかくてあはれなりしに

345 もろともに眺め眺めて秋の月ひかりにならむことぞ悲しき

月の前の無常を

346 月を見ていづれの年の秋までかこの世の中に契りあるらん

347 この世にて眺め馴れぬる月なれば迷はむ闇も照らさざらめや

鳥辺山にとかくの業し侍りし、煙のかなより更けいでし月を見て

348 鳥辺野や鷲の高嶺の裾ならんけぶりをわけていづる月影

大炊の御門の大臣、大将と申し侍りしをり、父の服のうちに母なくなり給ひぬとききて、高野より弔ひたてまつるとて

349 重ね着る藤の衣をたよりにて心の色を染めよとぞ思ふ

 返し

 350 藤衣かさぬる色はふかけれど浅き心の染まぬはかなさ

親かくれ、頼みたる婿失せなどして、ほどなくまた娘におくれたりし人のもとへ

351 このたびはさきざき見けん夢よりも覚めずやものは悲しかるらん

ゆかりにつけてものおほひし人のもとより、「などとはぬぞ」とうらみたりし返りごとに

352 あはれとも心に思ふほどばかり言はれぬべくは訪ひこそはせめ

はかなくなりて年久しくなりにし人の文を、もののなかより見出でて、娘に侍りしひとのもとへつかはすとて

353 涙をやしのばんひとは流すべきあはれに見ゆるみづくきの跡

 想空入道、大原にてはかなくなり侍りたりしを、いつ しかとひ侍らずとて           寂然

 354 とへかしな別れの袖につゆしげき蓬がもとの心細さを

返し

355 よそに思ふ別れならねば誰をかは身よりほかには問ふべかりける

 同行に侍りし上人、をはり思ふさまなりとききて 寂然

 356 乱れずと終り聞くこそうれしけれさても別れはなぐさまずとも

返し

357 この世にてまたあふまじき悲しさにすすめし人ぞ心みだれし

 あとのことひろひて、高野へまゐりて、帰りたりしに、 また

 358 入るさには人の形見も残りけり帰る山路の友は涙か

返し

359 いかにとも思ひ分かでぞ過ぎにける夢に山路をゆく心地して

ゆかりなる人はかなくなりて、とかくのわざに鳥辺山にゆきて返るとて

360 かぎりなく悲しかりけり鳥辺山亡きを送りて返る心は

院二位のつぼねみまかりてあとに、十のうた人々よみ侍りしに

361 送りおきて帰りし野辺の朝露を袖にうつすは涙なりけり

362 船岡の裾野の塚にかずそひて昔のひとに君をなしつる

363 後の世をとへと契りし言の葉や忘らるまじき形見なるべき

鳥羽の院かくれさせおはしまして、御葬送の夜、をりしも高野よりいであひて

364 とはばやと思ひよらでぞ嘆かまし昔ながらの我が身なりせば

讃岐にまうでて、松山の津と申す所に院のおはしましけるあと、たづねてまゐりたりし、あとかたもなかりしかば

365 松山の波に流れて来し舟のやがてむなしくなりにけるかな

白峰と申す所へ御墓にまゐりて

366 よしや君むかしの玉の床とてもかからんのちは何にかはせむ

善通寺に草の庵むすびて住み侍りしに、いほりのまへに侍りし松を見て

367 久に経て我がのちの世をとへよ松あとしのぶべき人もなき身ぞ

土佐のかたへや罷りなまし、とおもひたつことの侍りしに

368 ここをまた我住み憂くて浮かれなば松はひとりにならんとすらん

つねよりも、ところにつけてあはれなることの侍りしかば

369 今よりは厭はじ命あればこそかかる住居のあはれをも知れ

雪ふかくつもりて侍りしに

370 折しもあれうれしく雪の埋むかな掻き籠りなんと思ふ山路を

371 なかなかに谷の細道うづめ雪ありとて人のかよふべきかは

花まゐらせし折敷に、霰のふりかかりしかば

372 樒おく閼伽の折敷のふちなくは何にあられの玉とまらまし

五条三位うたあつめらるるとききて、うたつかはすとて

373 花ならぬ言の葉なれどおのづから色もやあると君拾はなん

 返し            右京大夫俊成

 374 世をすてて入りにし道の言の葉ぞあはれも深き色は見えける


ある人のもとに罷りたりしに、山里の集と申すものの侍るを見れば、「さなりけり」とをかしく、たれがしわざとおぼえぬことも書きつけられたり。みぐるしく顔あかむ心ちすれども、散り侍りにければかひなくおぼえて、「三百うた六十こそ、さることはべりきとおぼゆれ。それを抜き給へ」と申し侍りぬ。末に見給はん人、むなしきこと葉をひるがへして、竜華のあか月悟りひらけむ契りになしたまふべし。宮木が歌かとよ、「あそびたはぶれまで」もと申したることのはべるは、いとかしこし。

 抽三百六十首名山家心中集、山家集千三百首、其中三百六十也。
 花三十六首 月三十六首 恋三十六首 雑上百七十首
 無題五十首 春卅三首 秋四十七首 夏廿首
 冬廿首 雑下八十二首 人々歌十四首

二位の局のあとの歌に、「船岡」と詠みたることはべり。そのをりのひとの歌に、「鳥辺野」と詠まれたることの侍りしを、「船岡にてこそとかくの事ははべりしに、鳥辺野とはいかに」と申し侍りしかども、くるしかるまじきよしにて、やみはべりにき。その鳥辺野の歌は、集に入りて侍るとかや。「沖つ白波龍田山」と申すこともはべれば、白波・緑の林、同じさまのことにて、これも、船岡・鳥辺山、ひとつ筋にてさるべきことかと、尋ねまほしくおぼゆれば、かくまうすなり。
           山家心中集をはり




更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日