藤原後蔭 ふじわらののちかげ 生没年未詳

北家魚名の裔。贈太政大臣総継(光孝天皇外祖父)の曾孫。中納言有穂の子。母は安倍興氏の娘。後撰集の歌人藤原忠国はいとこ。
寛平七年(895)、大蔵大丞。同九年、蔵人。醍醐天皇の代には、左兵衛佐・右近中将などを歴任し、延喜十九年(919)、従四位下備前権守。古今集385番歌の詞書には、ある年の九月、「唐物の使ひ」即ち外国船検査の使者として九州に下ったとある。勅撰集入集は古今集・後撰集・続古今集に各一首、計三首。

仁和の中将のみやすん所の家に、歌合せんとてしける時によみける

花の散ることやわびしき春霞たつたの山の鶯の声(古今108)

【通釈】花の散ることが切ないのか、春霞の立つ龍田山でしきりに鳴く鶯の声。

【語釈】◇春霞 「立つ」から「たつたの山」を導く枕詞風のはたらきをしている。

【他出】家持集、興風集、忠岑集、新撰和歌、五代集歌枕、歌枕名寄
(第二句を「ことやかなしき」とする本もある。)

【参考歌】よみ人しらず「寛平御時后宮歌合」「新古今集」
霞たつ春の山べにさくら花あかず散るとや鶯の啼く

【主な派生歌】
紅葉散ることやわびしきみ熊野の山のあらしに鹿ぞ啼くなる(慈円)

あひ知りて侍りける女の、心ならぬやうに見え侍りければ、つかはしける

いづ方に立ち隠れつつ見よとてか思ひくまなく人のなりゆく(後撰748)

【通釈】どこに身をひそめて貴方を見ればいいと言うのでしょうか。隅々まで思いやりのなくなってゆく貴方。隠れる隅など、なくなってしまったではありませんか。

【補記】関係を持ったのち、逢うことに気が進まなくなったように見えた恋人にあてた歌。「思ひくまなく」は、思いやりがない。「くまなく」は隠れ場所がなくなる意をかける。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年07月20日