藤原成通 ふじわらのなりみち 承徳元〜没年不詳(1097-)

右大臣頼宗の曾孫。右大臣俊家の孫。権大納言宗通の息子。母は藤原顕季の娘。太政大臣伊通・左少将季通の弟。大納言重通の兄。姉妹には忠通の北政所宗子(皇嘉門院の母)がいる。
もとの名は宗房。長治三年(1106)、叙爵。侍従・蔵人・左中将などを経て、天承元年(1131)、参議。康治二年(1143)、正二位。保元元年(1156)、大納言に至るが、三年後の平治元年(1159)出家した。法名栖蓮。
長承三年(1134)の中宮亮顕輔歌合などに出詠。西行との親交が知られる。多能の人で、蹴鞠・鄙曲などの名手であった。家集『成通集』がある(群書類従第十四輯・私家集大成二・新編国歌大観三に翻刻)。他の著書に『成通卿口伝日記』など。金葉集初出。勅撰入集二十四首。『新時代不同歌合』歌仙。

水上落花といへる心をよめる

水のおもに散りつむ花を見る時ぞはじめて風はうれしかりける(金葉63)

【通釈】今までは花を散らす風を恨んでいたけれども、水面に桜の花が散り積もってゆくのを見る時は、初めて風が嬉しいものに思われるなあ。

【補記】第三句「見る折ぞ」とする本もある。

題しらず

たぐひなくつらしとぞ思ふ秋の夜の月をのこして明くるしののめ(千載300)

【通釈】比べようもなく辛いと思う、こんな東雲(しののめ)は。秋の澄んだ月を空に残したまま、夜が明けてしまうなんて。

【語釈】◇秋の夜の月 この場合有明の月ということになる。◇しののめ 明け方、東の空がほのぼのと白みかける頃。

【補記】千載集では秋の部に載せるが、恋歌の情緒が纏綿する。「明くるしののめ」に明け方つれなく帰ってゆく男を、「秋の夜の月」に残された女を暗示するか。

【他出】続詞花集、和漢兼作集

【主な派生歌】
名にたてる秋もかひなしあたら夜の月を残して明くる東雲(殷富門院大輔)
夕涼み閨へもいらぬうたた寝の夢を残してあくる東雲(藤原有家)
短か夜の空行く月のやすらひを誘ひ残してあくる東雲(衣笠家良)
ほのぼのとかすめる山のしののめに月を残して帰るかりがね(〃)

崇徳院に十首歌たてまつりける時

冬ふかくなりにけらしな難波江の青葉まじらぬ蘆のむら立ち(新古626)

【通釈】冬も深まったらしいよ。難波江に群をなして生えている蘆はすっかり枯れてしまって、まったく青葉を交えていない。

【他出】成通集、新時代不同歌合

恋の歌よみ侍りける中に

あぢきなや()がため思ふことなれば我が身にかへて人を恋ふらむ(玉葉1588)

【通釈】どうしようもないよ。俺は誰のために心を砕いているというのか。自分のためではないのに、命に換えてまで人を恋しているとは。

【語釈】◇あぢきなや 手のつけようがない事態に、呆れたり苦々しく思ったりする感情をあらわす語。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年08月11日