系譜など未詳。花山院家賢の室。内大臣長親・元要上人の母。正平二十一年(1366)、夫の家賢を失う。妙光寺内大臣家百首・住吉社三十六番歌合などに出詠。新葉集に二十六首。
元要上人入唐しける時、思ひつづけ侍りける
いとせめて老いぬる身こそ悲しけれこの別れぢをかぎりとおもへば(新葉531)
【通釈】老いた我が身こそはこの上なく悲しいことだ。このたびの子との別れが最後の別れだと思うので。
【補記】新葉集巻七、離別歌巻軸。元要は三光国師の弟子。歌からすると、作者の息子に違いない。文中三年(1374)、入明。当時国内は戦乱が続いていたため、元・明へ渡る僧が少なくなかった。「此の」「子の」を掛ける。
【参考歌】在原業平母「古今集」
老いぬればさらぬ別れもありといへばいよいよ見まくほしき君かな
成尋阿闍梨母「千載集」
忍べども子の別れ路を思ふには唐紅の涙こそふれ
最終更新日:平成15年06月08日