花山院師兼 かざんいんもろかね 生没年未詳

出自不詳。一説に権中納言花山院兼信の嫡子で師賢の甥。
南朝に仕え、正二位大納言に春宮大夫・大学頭を兼ねる。
文中三年(1374)、信濃から吉野に入った宗良親王と歌を贈答。天授元年(1375)の五百番歌合に出詠。新葉集に二十四首。また天授年間後半(1378-1380)成立と推測される千首歌「師兼千首」(以下「千首」と略称)がある。

さき匂ふ花も時ある萩の戸の昔にかへる朝まつりごと(五百番歌合)

【通釈】花も折を得て美しく咲き匂う萩――その萩の戸で、すなわち内裏で、めでたく時を得て朝政が復古したことであるよ。

【補記】「萩の戸」は、清涼殿の一室の妻戸。前庭に萩の花が植えられていたのでこの名がある。その内の間は「萩の戸」と称され、天皇が廷臣と接触する場所であったことから、象徴的な意味を帯びた(但し南朝の皇居に実際この種の施設があったかどうかは疑問である)。「朝まつりごと」は天皇が朝、内裏正殿に出て政務を執ること。天授元年(1375)、南朝長慶天皇内裏で吉野帰山中の宗良親王を判者に催行された歌合の出詠歌。秋三、百七十六番、右勝。

【参考歌】後醍醐天皇「続後拾遺集」
露よりも猶ことしげし萩の戸の明くればいそぐ朝まつりごと

寄天恋

わきて猶あはれやそはむ大空におなじながめの夕べと思はば(千首)

【通釈】とりわけ一層深い風情が添うだろうか。あの人も同じ大空を眺めて物思いに耽っている夕暮れ時だと思えば。

【補記】群書類従本、第三句「大空も」。

【参考歌】九条良経「秋篠月清集」
きみがあたりわきてと思ふ時しもあれそこはかとなき夕暮の空

古郷柱

さても我たれにゆづりて故郷の真木の柱に立ち別れけん(千首)

【通釈】さてもまあ、私は誰に譲り渡して、故郷の家の、あの立派な槙の柱と別れてしまったことだろう。

【補記】「古郷柱」の題は他例見えず。京を捨てて南朝賀名生の宮に参仕した自らの感慨を題詠に託したものであろう。

【参考歌】作者不明「政範集」
わかれ行くうきふるさとの真木柱なれにしかげやたちとまりけむ


最終更新日:平成15年06月15日