飛鳥井雅孝 あすかいまさたか 弘安四〜文和二(1281-1353)

侍従基長の子。伯父飛鳥井雅有の猶子となり、飛鳥井家の嫡流を嗣ぐ。子に従三位雅宗・従三位雅家ほか。
右衛門佐・右少将・左中将・右兵衛督・左兵衛督などを歴任し、花園天皇の正和元年(1312)三月、従三位に叙せられる。同五年七月、参議に任ぜられる。文保二年(1318)二月、後醍醐天皇践祚に際し、参議を辞退。暦応元年(1338)、正二位。貞和元年(1345)八月、足利氏の推挙により権中納言となる。同年十二月、同職を辞退。観応二年(1351)、出家。法名は妙恵。文和二年(1353)五月十七日、薨去。七十三歳。
姉妹が為道の室となり為定を生むなど、二条家と深い関係があったが、一方京極為兼との交流も見える(為兼卿記)。嘉元・文保・貞和の各百首歌に出詠。新後撰集に初出、風雅集に至るまで生存中勅撰五代の作者となり、その感慨を詠んだ歌がある(新続古今集)。勅撰入集計四十六首。

山花を

さかりなる嶺の桜のひとつ色に霞もしろき花の夕映え(玉葉202)

【通釈】真っ盛りの峰の桜と一つの色になって、霞もまた白々と美しく見える、花咲く頃の夕映えよ。

【補記】「夕映え」は、あたりが薄闇に包まれ、空になお残光ある頃、物の色や形が陰翳を深く帯び、明るい時よりも却ってくっきりと美しく見えることを言う。

文保百首歌たてまつりけるとき

笹わくる袂は風の音さえて知られず結ぶ野べの夕霜(新拾遺594)

【通釈】野辺の笹叢を分けて行く私の袂には風の音が寒々と響き、気づかれぬままに凝結している夕霜よ。

題しらず

へだてつる垣ねの竹も折れ伏して雪に晴れたる里のひと村(玉葉992)

【通釈】家々の間を隔てていた垣根の竹も折れ伏してしまって、いちめん降り積もった雪に広々と見渡せる里の集落よ。

【補記】積雪によって白一色に染まった村里の情景。「雪に晴れたる」の句で一気に眺望が広がる快さ。

【参考歌】伏見院「御集」
へだてつる園ふの竹はをれふしてそともにつづく峰の白雪


最終更新日:平成15年03月22日