惟明親王 これあきらしんのう 治承三〜承久三(1179-1221) 通称:三宮・大炊御門宮

高倉天皇の第三皇子。母は平義範女、少将局。安徳天皇・守貞親王(後高倉院)の異母弟。後鳥羽天皇の異母兄。円尊王・法印尊雲・聖海法親王の父。
寿永二年(1183)、安徳天皇が平氏に奉ぜられて西下すると、皇位継承候補と目されたが、外祖父義範はすでに亡く、有力な後見を持たなかったことが災いしたか、結局弟の四宮が即位した。文治五年(1189)十一月、親王宣下を受け、建久六年(1195)、七条院殖子の猶子となって元服、三品に叙せられた。承元五年(1211)二月、出家。法名は聖円。承久三年五月三日、入寂。四十三歳。
正治初度百首、千五百番歌合などに出詠。自邸でも藤原定家同家隆らを招いて歌会を催した。伯母の式子内親王との贈答歌が新古今集に見える。新古今集初出。勅撰入集三十四首。『新時代不同歌合』に歌仙として撰入。

百首歌たてまつりし時

うぐひすの涙のつららうちとけて古巣ながらや春を知るらむ(新古31)

【通釈】そろそろ暖かくなって、鶯の涙の氷は融けているはず――今頃は、古巣にいながら、春の来たことを感じているだろうか。住み古した巣には打ち解けても、世の中には打ち解けず、谷から出て来て鳴かないのだろうか。

【語釈】鶯の涙のつらら 本歌の「鶯の氷れる涙」による。「つらら」は氷。氷柱つららは古くは「垂氷たるひ」と言った。◇うちとけて 氷が融ける意に、古巣に馴れ親しむ意を掛ける。

【本歌】二条后「古今集」
雪のうちに春は来にけり鶯の氷れる涙いまやとくらむ
【参考歌】藤原俊成「新古今集」
年暮れし涙のつららとけにけり苔の袖にも春や立つらむ

【補記】春が来たことを感知しつつも谷の古巣に引き籠もっている鶯を思いやる心は、話手の柔らかく傷つきやすい内面をおのずと暗示していよう。正治二年(1200)の後鳥羽院初度百首、作者二十二歳の詠。

ながめおくる心をやがてさそひつつ雲の古巣に帰るうぐひす(千五百番歌合)

【通釈】雲がたなびく谷の古巣へと帰ってゆく鶯――その姿を眺めながら、どこまでも見送ってやろうとの心を誘われる。

【参考】「和漢朗詠集・閏三月」(→参考資料
帰谿歌鶯 更逗留於孤雲之路
  「菅家文草・早春内宴…」「和漢朗詠集・鶯」(→参考資料
旧巣為後属春雲

【補記】千五百番歌合、春四、二百九十七番右勝。「やがて」は「そのまま」の意。春の終り、鶯への惜別の思いを詠んだ歌である。鶯の古巣を「雲の古巣」と詠んだのは道真の詩の「春雲」に基づく。

家の八重桜を折らせて、惟明親王の許につかはしける  式子内親王

八重にほふ軒ばの桜うつろひぬ風より先にとふ人もがな

【通釈】幾重にも美しく咲き匂っていた軒端の八重桜は、もはや盛りの時を過ぎてしまいました。風より先に訪れてくれる人がいてほしい。

【語釈】◇家の八重桜 この「家」は、式子内親王が晩年住んだ大炊御門(おおいみかど)の邸。続後撰集には同じく大炊殿の八重桜を巡って式子内親王と九条良経とが贈答した歌を載せる。

【本歌】源氏物語「若菜」
宮人にゆきて語らむ山桜風よりさきに来ても見るべく

返し

つらきかなうつろふまでに八重桜とへともいはで過ぐる心は(新古138)

【通釈】冷たいですねえ。盛りが過ぎるまで、八重桜を見に訪ねろとも言わず過ごされたあなたのお心は。

【語釈】◇とへ 訪へ。「十重」を掛け、「八重」に対置する。

【補記】花をめぐっての型通りのやりとりだが、交際嫌いだったらしい式子内親王が残した、稀少な贈答歌の一つ。新古今集にはもう一組、同じ二人の往来が見え、心を許しあえる数少ない縁者だったのだろうか。孤独な境涯にあった二人の、ささやかだが暖かい心の交流が窺える。

千五百番歌合に

きのふより荻の下葉にかよひきて今朝あらはるる秋の初風(続千載344)

【通釈】昨夕から、庭の荻の下葉に通って来て音を鳴らせているのは知っていたが、立秋の今朝になってはっきり目に見えた、秋の初風。

荻 鎌倉永福寺跡
風に靡く荻

【語釈】◇荻(をぎ) イネ科ススキ属の多年草。風にさわさわと音を立てる下葉によって秋を知る、という趣向は多い。

【補記】「一夜のうちに秋が来た」という、王朝和歌にはよくある趣向。前日の夕方も風は吹いていたようだが、まだ夏だから、遠慮がちだった。立秋を迎えた今朝、やっと人目を憚らずに「秋の初風」としてあらわれた。言い換えれば、人の方でその時初めて秋風として受け止めた、ということである。「かよひきて」「けさあらはるる」と恋歌めかした詞も、一首に風味を添えている。千五百番歌合、五百三十番右勝。

長月の有明のころ、山里より式子内親王におくれりける

思ひやれなにをしのぶとなけれども都おぼゆる有明の月(新古1545)

【通釈】思いやってください。別に何を偲ぶというわけでもないのですが、眺めていると、あなたのおられる都が思い出されてならない有明の月です。

【語釈】◇有明の月 夜遅く昇る月。明け方まで空に残るので、こう言う。

【補記】式子内親王の返しは「有明のおなじながめは君もとへ都のほかも秋の山ざと」。山里と都の間での、マニュアル通りの挨拶交換だが、伯母へのほのかな甘えと含羞のこもる親王の贈歌、共感と優しい思いやりで以て答えた内親王の返歌。やはり新古今の忘れがたい贈答である。


公開日:平成14年04月01日
最終更新日:平成23年12月14日