中山家親 なかやまいえちか 生没年未詳

摂政太政大臣藤原師実の裔。従三位基雅の子。母は中納言藤原実世女。子に従二位権中納言定宗がいる。
弘長三年(1263)、叙爵。蔵人頭・右中将などを経て、延慶二年(1309)三月、参議を拝命するが、翌年十二月、同職を辞す。正和三年(1314)八月、宮内卿に任ぜられ、同年十一月には従二位に昇る。文保元年(1317)、伏見院に殉じて出家した。
前期京極派歌人。永仁五年(1297)八月十五夜歌合、正安元年(1299)の五種歌合、正安二年(1300)〜嘉元元年(1303)頃の三十番歌合、乾元二年(1303)の仙洞五十番歌合、同年五月三題三十番歌合など京極派の歌合に出詠した。玉葉集初出。勅撰入集は計十六首。

春歌の中に

吹きよわる嵐の庭の木のもとに一むら白く花ぞ残れる(玉葉254)

【通釈】嵐もようやく弱まってきた庭の木のもとを見れば、ひと所だけ白く、吹き寄せられた花が残っている。

【補記】「吹きよわる」一語で、嵐が激しい状態から次第に収まってゆく時の経過を表現。一群の白い落花へ焦点をしぼってゆく印象鮮明な描写法も京極風。

【参考歌】藤原行能「洞院摂政家百首」
さみだれも月の行くへはしられけり一むら白き山のはの雲

夏歌の中に

をちの空に雲たちのぼりけふしこそ夕立すべきけしきなりけれ(玉葉408)

【通釈】遠くの空に雲が立ちのぼり、今日こそは夕立の降りそうな気色であるよ。

【語釈】◇けしきなりけれ 係助詞「こそ」との係り結びにより結句が已然形「けれ」をとる。「なりけり」は指定の助動詞「なり」に「けり」を添えて詠嘆を籠める用法。◇夕立 本来は夕方に強い風が起こることを言う。この風の後に俄雨が降ることが多いため、やがて夕方の俄雨を夕立と言うようになった。

【補記】暑い夏の夕暮、久しぶりの夕立を待望する気持。

題しらず

おきてみれば明がたさむき庭の面の霜に白める冬の月かげ(玉葉906)

【通釈】起きてみれば、明け方の寒々とした庭の地面には霜が降りていて、そこに冬の冴えきった月光が白々と映っている。

【補記】「おきて」には「置きて」が響き、「霜」の縁語になる。

【参考歌】伏見院「御集」
おきてみる軒端の霜のしろたへにこずゑもさむき冬の朝あけ

山家のこころをよみ侍りける

ながめやる都のかたは日影にてこの山もとは松の夕風(玉葉2199)

【通釈】遠く眺めやる都の方は日なたになっていて、私のいるこの山もとは寂しげな松風が吹いてもう夕暮の気配だ。

【補記】山陰の庵で隠棲する心。都と山家の対比はやや図式的だが、都に対する感情を言挙げせず、叙景に留めたゆえにこそ、ほのかな余情が漂う。

秋の歌中に

みなれても五十(いそぢ)になりぬ夜はの月わきてしのばん秋はなけれど(新拾遺419)

【通釈】見馴れてからも五十年になるのだ。夜の月よ、とりわけ懐かしく思い出す秋があるわけではないが。

【補記】新拾遺集は秋歌とするが、述懐色の濃い歌。

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
いづれをかわきてしのばん秋の野にうつろはんとて色かはる草


更新日:平成15年02月15日
最終更新日:平成20年02月09日