藤原親子 ふじわらのちかこ 生没年未詳 通称:典侍親子朝臣

右大弁光俊の娘。姉妹の鷹司院帥も歌人として名高い。
寛元四年(1246)、藤原知家が判者を務めた春日若宮社歌合に出詠しており、反御子左派の一員と見なされている。建長八年(1256)の百首歌合、文永二年(1265)の八月十五夜歌合などに出詠し、弘安元年(1278)、弘安百首を詠進。続後撰集初出。勅撰入集は計三十五首。『新時代不同歌合』歌仙。女房三十六歌仙。尚侍家中納言・後嵯峨院中納言典侍などの別称がある。

題しらず

咲きぬればかならず花の折にともたのめぬ人の待たれけるかな(新後撰102)

【通釈】花が咲いてしまえば、「花見の折だからきっと」などと期待はできない人だけれど、やはり待たずにいられないなあ。

【補記】咲いた花を見れば、好きな人と一緒に眺めたい。新後撰集には春の歌として採られ、「人」は恋人とは限らないが、おのずと恋の風趣は薫る。

月前恋といへる心を

有明はなほぞかなしき逢ふまでの形見とてこそ月は見れども(続拾遺959)

【通釈】それでもやはり有明は切ない。ふたたび恋人に逢うまでの忘れ形見として月を眺めるのだけれども。

【補記】「有明」は、月が空に残ったまま夜が明けかけること。また、その頃の月。月明かりをたよりに逢いに来た恋人は、夜明けを迎え、有明の月の下を帰ってゆく。

題しらず

あかざりし袖かと匂ふ梅が香に思ひなぐさむ暁の空(続拾遺978)

【通釈】飽き足りないまま別れたあの人の袖の香かと思うほど、濃く匂う梅の花――その薫りに心を慰める暁の空よ。

【本歌】具平親王「拾遺集」
あかざりし君がにほひの恋しさに梅の花をぞ今朝は折りつる

被忘恋を

ちかひてし命にかへて忘るるは憂き我からに身をや捨つらむ(続古今1369)

【通釈】生死をかけた誓いを忘れるなんて、こんなつまらない私のために貴方は命を捨てるのだろうか。

【補記】右近の名高い本歌を承けて、自分を捨てた男に悲しい皮肉を浴びせている。

【本歌】右近「拾遺集」「百人一首」
忘らるる身をば思はずちかひてし人の命の惜しくもあるかな


公開日:平成14年10月27日