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正月に飲む「お屠蘇」は、本来はさまざまな薬草を調合した「屠蘇散」を袋に入れて浸した中国の薬酒で、一年の邪気を払い長寿を願って飲まれる祝い酒であった。後漢末の名医
楚の民間の風俗を記し、中国現存最古の歳時記と言われる『荊楚歳時記』(西暦6世紀成立)の正月一日の項には次のような記事が見える。
長幼悉 く衣冠を正し、次を以て拝賀し、椒柏酒を進め、桃湯を飲み、屠蘇酒を進む
日本には平安時代に伝わり、朝廷の元日行事として屠蘇を飲むことが採り入れられた。『土左日記』の承平四年(934)の年末の記事に「
調合する薬草には
『年中行事歌合』 供屠蘇白散 冷泉為秀
春ごとにけふなめそむる薬子は若えつつみん君がためとか
「毎春の今日元日、最初にお味見する薬子は、何度も若返り千世を見る大君の御為であるとか」。
南北朝時代の貞治五年(1366)十二月、二条良基が主催した歌合に出詠された歌。有職故実に通じていた良基は判詞で屠蘇についての薀蓄を披露している。
屠蘇白散といふ薬は、一人これを飲みぬれば一家に病ひなし、一家飲みぬれば一里に病ひなしといふ目出たき功能侍れば、年のはじめ清涼殿にて聞こし召すなり。薬子とは幼き童女にて侍り。これも屠蘇は小児より飲むといふ本文にてあれば、まづ御薬をこれになめさせられて聞こし召すにや。
屠蘇を年少者から順に飲む風習はやはり中国由来で、毒見役に童女を置くというしきたりもこれに基づくものであろうと良基は推察している。
屠蘇を天皇より先に童女が舐めることは、どうやらお毒見というよりも、若返りを願っての儀式的な意味合いが強かったように見える。為秀の歌も、そうした知識を踏まえてのものだろう。
今も年末に屠蘇散を用意する薬局はあり、入手は難しくない(因みに現在では毒性の強い薬草を含まないので、まったく安全とのこと)。屠蘇散は酒の香りを良くし、風邪の予防などにも効果があるそうだ。元旦、古を偲びつつ本当のお屠蘇を味わってみるのも良いのではないだろうか。
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『雲玉集』(屠蘇白散の心をよみ申せし) 馴窓
おしなべて誰えつつみむ白く散る春さへ雪のむらさきの庭
『うけらが花』(薬児の絵に) 橘千蔭
ことしより生ひ先こもる薬児にあえなむ春ぞ限りしられぬ
『竹乃里歌』 正岡子規
新玉の年の始と
『赤光』 斎藤茂吉
『風雪』 吉井勇
大土佐の
公開日:平成22年02月27日
最終更新日:平成22年02月27日