立葵 たちあおい(たちあふひ) 唐葵 Hollyhock

立葵の薄紅の花 鎌倉市二階堂にて

入梅の頃、すっくと伸ばした茎に薄紅や白の花をつける。雨の多い季節、太陽を慕うように咲き続ける姿が古来賞美された。『原色牧野植物大図鑑』によれば、アオイ科タチアオイ属、原産は地中海沿岸地方。

歴史的仮名遣で葵は「あふひ」と書くので、「逢ふ日」と掛詞になり、この点からも和歌には好まれた。もっとも、古歌に見える「あふひ」「あふひ草」は二葉葵(フタバアオイ)を指すことが多い。こちらはウマノスズクサ科で、立葵とは全く別種の植物である。賀茂神社の葵祭で挿頭(かざし)に用いられたのも二葉葵で、そのため賀茂葵の別名がある。

枕草子の「草は」の章段にはこの二種類の「葵」が取り上げられているので、話に好都合だ。

葵、いとをかし。神代よりして、さるかざしとなりけん、いみじうめでたし。もののさまもいとをかし。(中略)唐葵、日の影にしがたひてかたぶくこそ、草木といふべくもあらぬ心なれ。

最初の「葵」が二葉葵、「唐葵」が今言う立葵であろうと推測される。
源氏物語「藤袴」に見える次の歌の「あふひ」も立葵だろう。

心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは消つ

蛍兵部卿宮に求愛された玉鬘が、「自分の心から光の方を向く葵でさえ、朝に置く霜を自身で消すことなどできましょうか」と、思うに任せぬ我が身を訴えた、哀れ深い歌だ。成長して美人ゆえの苦悩をしたたか経験する玉鬘だが、もともとは陽性の人柄、葵の花のイメージはよく似合う。

立葵の白花 鎌倉市二階堂にて

枕草子や源氏物語の影響あってか、次第に「あふひ」で立葵を指すことも多くなってゆく。
平資盛の恋人として知られる建礼門院右京大夫には、平維盛をめぐって知人に宛てた、次のような歌がある。

中々に花の姿はよそに見てあふひとまではかけじとぞおもふ

「花のように美しいあの方の御姿は、かえって私などには無縁なものと拝見して、葵の名に因む『逢ふ日』までは心にかけて願うまいと思います」。
二葉葵の花は極めて地味だから、美しい花として歌われているこの「あふひ」は立葵と見て間違いない。茎が直立する立葵であればこそ、颯爽とした若武者を譬えるのにも相応しいのだ。

因みに、八万年前の地層から発掘されたネアンデルタール人の骨を調べたところ、遺体の胸に立葵と薊の花束が飾られていたことが判明したと言う。何と永く人類に愛されてきた花だろう。

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   『千載集』 (葵をよめる) 藤原基俊
あふひ草てる日は神の心かはかげさすかたにまづなびくらん

   『老若五十首歌合』 藤原家隆
むら雨の風にぞなびくあふひ草向ふ日かげはうすぐもりつつ

   『十市遠忠自歌合』
朝夕日うつるあふひの影すずしみどりのすだれ色をそへつつ

   『大和』 前川佐美雄
運命にひれふすなかれ一茎(いつけい)の淡紅(うすべに)あふひ咲き出でむとす

   『朱靈』 葛原妙子
人閧フかうべの上によぢのぼりひらかむとするたちあふひのはな

   『歩道』 佐藤佐太郎
しづかなる一(ひと)むらだちの葵さき入りこし園(その)は飴色(あめいろ)の土


公開日:平成17年11月24日
最終更新日:平成18年7月22日

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