かも Wild duck

鴨 鶴岡八幡宮源氏池にて

秋も暮れかける頃、湖沼や池にちらほら姿を見せ始める鴨は、次第に数を増やし、冬の水面を賑やかに彩る。愛らしい仕種で水畔の人々の視線を集める人気者だ。

写真は真鴨のカップル。最もありふれた、そして最も美しい鴨の一つである。美しいと言うのは雄の方で、ことに頭部の光沢ある緑と嘴の黄色が鮮やかだ。池などの淡水でよく見かける鴨の仲間としては、尾長鴨・緋鳥鴨(ヒドリガモ)・星羽白(ホシハジロ)などがあるが、いずれも真鴨に劣らず麗しい鳥である。

冬も深まれば池には薄氷が張り、その上を寒風が吹きすさぶ。そんな夜も、彼らは水の上で過ごす。古人も同情を禁じ得なかったのだろう、鴨の浮き寝を「憂き寝」に掛けて思い遣ったり、あるいは孤閨の辛さの譬えに借りたりして盛んに歌を詠んだ。
しかし鴨と言えば何より万葉集志貴皇子の名歌、

葦辺ゆく鴨の羽がひに霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ

を逸するわけにはゆかない。慶雲三年(706)、晩秋九月から初冬十月にかけて行なわれた文武天皇の難波行幸に従駕しての作。「葦辺」というのは難波潟の蘆のほとり。蘆は当然冬枯れしていただろう。夕暮の寒々とした水辺の風景の中、波のまにまに漂って行く鴨――その羽がいに霜が降っている。「羽がひ」は背中にたたんだ両翼の交わるところで、やや窪んでいる。そこが白くなっているのを、霜が降りたと見たのだろうが、何という鋭敏な観察眼だろう。身を竦めるように寒さに耐えている鴨の姿に、旅先にある我が身を重ね見た皇子は、故郷のぬくもりをしきりと偲んでいたのだった。

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  『万葉集』 (崗本天皇御製一首)
山の端にあぢ群騒き行くなれど我は寂(さぶ)しゑ君にしあらねば

  『万葉集』 (詞書略) 大津皇子
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

  『万葉集』 (紀皇女の御歌一首)
軽の池の浦廻(うらみ)行き廻(み)る鴨すらに玉藻の上にひとり寝なくに

  『万葉集』 (湯原王の吉野にて作る歌一首)
吉野なる夏実(なつみ)の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山影にして

  『万葉集』 (丹波大女娘子の歌三首)
鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉散りて浮べる心我が思はなくに

  『万葉集』 (防人歌) 作者未詳
葦の葉に夕霧立ちて鴨が音(ね)の寒き夕へし汝(な)をば偲はむ

  『古今集』 (題しらず) 読人不知
蘆鴨のさわぐ入江の白波の知らずや人をかく恋ひむとは

  『古今集』 (題しらず) 読人不知
暁の鴨の羽掻きももはがき君が来ぬ夜は我ぞ数かく

  『拾遺集』 (題しらず) 藤原公任
霜おかぬ袖だにさゆる冬の夜に鴨のうは毛を思ひこそやれ

  『後拾遺集』 (詞書略) 和泉式部
おきながら明かしつるかな共寝せぬ鴨のうは毛の霜ならなくに

  『新古今集』 (百首歌中に) 式子内親王
見るままに冬はきにけり鴨のゐる入江のみぎはうす氷しつ

  『拾遺愚草』 (仁和寺宮五十首 冬) 藤原定家
葦鴨のよるべのみぎはつららゐてうき寝をうつす沖の月影

  『金槐集』 (旅泊) 源実朝
やらのさき月影さむし沖つ鳥鴨といふ舟うき寝すらしも

  『馬鈴薯の花』 島木赤彦
花原の道はきはまる森の中の静けさ思へば鴨(かも)鳴くきこゆ

  『白き山』 斎藤茂吉
おほどかにここを流るる最上川鴨を浮べむ時ちかづきぬ

  『屋上の土』 古泉千樫
水の上に下りむとしつつ舞ひあがる鴨のみづかきくれなゐに見ゆ

  『夕波』 中河幹子
いづくまでゆく鴨ならむ夕波の高まる沖に一羽なやめる


公開日:平成18年2月3日
最終更新日:平成18年10月16日

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