但馬皇女
たじまのひめみこ
- 生没年 ?〜708(和銅1)
- 系譜など 天武天皇の皇女。母は氷上娘(中臣鎌足の女)。
- 略伝 持統十年(A.D.696)以前、「但馬皇女の高市皇子の宮に在す時、穂積皇子を思ふ御作歌」他3首(02/0114〜0116)がある。異母兄高市皇子・穂積皇子との間で三角関係があったらしい。0115題詞には「穂積皇子に勅して近江志賀寺に遣はす時」とあり、また0116には穂積と但馬の密通が発覚したとある。穂積の志賀寺派遣を、但馬皇女との密通発覚により勅勘を被ったものとみる説もある。和銅一年(A.D.708)6.25、薨ず。この年冬、穂積皇子がよんだ悲傷歌がある(02/0203)。万葉には他に、巻8に1首あり(08/1515)、また04/0505の安倍女郎の歌を、藤原浜成撰『歌経標式』は但馬皇女の作とする。
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