3 次頁へゆくまへがきへ戻る       *                                             は このやうな伝承を背景にしてゐるのでせう の酒折宮で靫負部を賜つたとの記事があります 大伴の名に負ふ  景行紀に 日本武尊の蝦夷征伐に従つた大伴武日が 甲斐国                        申し上げた心が 行き場を失つてしまつた  大伴がその名に負ひ持つ靫を背に帯びて 万代までもと託し                             万代に恃みし心いづくか寄せむ 三|四八〇                            大伴の名に負ふ靫帯びて                                                     になつてゐた活道の道は 通ふ人がゐなくなつて 荒れてしまつ  胸がしめつけられるやうだ かつて皇子が常に通はれて御覧                                めしし活道の路は荒れにけり 三|四七九                            はしきかも皇子の尊のあり通ひ                              反歌                                  三|四七八                             悲しきろかも       何ともやりきれない            いや日けに 変らふ見れば 日に日に失せ 変はり果ててゆくのを見ると                           常なりし 笑まひ振るまひ 常だつた 晴れやかな笑顔や振る舞ひが             白たへに ころも取り着て 今では白無垢の衣を着て           五月蝿なす 騒く舎人は  夏の蠅のやうに賑やかに集まつてゐた舎人たちは                           憑めりし 皇子の御門の  一身を託し申し上げてゐた皇子の その御所に