五百井女王
いおいのおおきみ
- 生没年 ?〜817(弘仁8)
- 系譜など 市原王と能登内親王の子。同母弟に五百枝王がいる。桓武天皇の姪にあたる。
- 略伝 781(天応1)年2.17、母能登内親王が薨じた時、弟五百枝王と共に二世王として優遇する旨、光仁天皇の詔にある。同年8.27、五百枝王と共に無位より従四位下に叙せられる。784(延暦3)年、従四位上。785(延暦4)年、弟の五百枝王は藤原種継暗殺事件に連座して伊予国に流刑に処せられるが、五百井女王が連座した形跡はない。延暦6年、越中国須加庄(富山県高岡市)の墾田五町を宇治華厳院(東大寺の子院)に寄進。延暦15年、正四位下。のち尚縫に任ぜられる。800(延暦19)年1.10、桓武天皇、五百井女王の庄に行幸。805(延暦24)年、弟五百枝王は免罪されて帰京。808(大同3)年、従三位。813(弘仁4)年1.8、正三位。弘仁6年7.15、従二位。817(弘仁8)年10月、薨ず。この時尚侍従二位。女官として異例の高位にまで至った。桓武天皇のため薬師仏像を造り、法華経を写させたことが知られる。
系図へ