尾崎豊『白紙の散乱』(角川文庫)

 神経がかたまってしまう本だ。尾崎豊が自分で撮った写真と、それらのひとつひとつに対応させた散文詩からなっている。私たちは、自分が集団の一部であるように錯覚したり自分を欺いたりしながら生きているのかもしれない。恋愛のときも、「君とぼくはひとつだ」なんて言うのかもしれない。だけども嘘っぱちだ。尾崎豊は、そうした希望と真実の混乱のなかから、偽善でも偽悪でもないアルファとオメガを追求して、結局そんなものもない、あるのは孤独だけだと言っているように思える。それでも酔うことはできたし、「踊る光」のような恋愛詩もあるが、最後は、つらくても醒めるしかなかった。

 空の骨に似た寂しさよ 一人きりだ
 言葉の分からぬが故に 自分すらも見つからない
 そっと手を伸ばしてみるが 触れるものはみな過ぎ去ってゆく
 己を捨てるが如く見つめる空のあちこちに 置き去りにされた 空の骨

 冬枯れの木の写真を題材にした「空の骨」という詩だ。冬枯れの木を「置き去りにされた」動物や魚の骨にたとえて、自分もそんな存在のひとつだと表現している。まだ、追いつめられてない。空と光はあるし、伸ばすことができる手もある。木だって季節が変われば、また芽を吹くだろう。この詩を書いた時には、『誰かのクラクション』(角川書店)で、end is beginning(何かが終わり何かが始まるんだ)と結んだ希望の余地は残っていたはずだった。 だがそのあとの「季節風」と「春は寂しい」で、季節を感じているのは自分だけだとうたい、「悪に咲く薔薇」では、鉄条網がバラにたとえられてしまっている。そして次のちょっと有名なフレーズに「成就」というタイトルをつけて、結ぶことになる。
 
 逃れようもない 凡庸なる人間の姿は 全てである

もう季節もなにもない。愛もせいぜい相対的なものでしかない。人工的な街の風景の隙間に追いつめられていくしかなくなる。
            
 私は尾崎豊のよいファンでもなかったし、そんなによく知っていたわけでもない。1980年代は、パンクとかニューウェーブとか、あるいはインディーズとか呼ばれたサブカルチャーに惹かれていた。尾崎豊の楽曲の一部について、「こんなのまるで、昔、石原兄弟が太陽とか青年とか言ってたのとかわりばえしない」と書き送ったら、友人にたしなめられた。こういう「まじめな存在」とは、無意識のうちに距離をおいてしまっていた。この人が、日本人的な自然観の行き詰まりを象徴しているように思える。
 昔から、鋭敏な人はどんどん身をもちくずすことになっている。そして青年は、若くして夭折した人に、隠れた羨望を伴った関心をもつことになっている。岡田有希子とか山田かまちとかに。私も1970年代に、杉山章夫「十七歳の死」(三一新書)や高野悦子「二十歳の原点」(新潮社)を読んで、特に前者の影響で危ないところまで行った。田宮虎彦や太宰治のニヒリズムにも共感した。それでも、そんな時期をなんとかやりすごして、自分の体を殺さなくても少年の自分を観念的に殺すことで「自我」がそこそこ完成してしまうと、「くさいものにフタ」をしてしまった。私は自殺する人を強いとも弱いとも思わないが、タブーをつくる精神は、弱さの表れだとみなしている。だから、自分の「自我」や思想の重大な欠陥をあえて否定しない。でも、「ひとにはいい加減さも必要なんだ」と、他の人にはともかく、尾崎豊には言いたい気がする。
 1986年の古い「宝島」誌を出して、尾崎豊のインタビューにもなってないインタビュー記事をよみなおした。彼は二十才の時、既に八方塞がりで、"自分のアイデンティティーがみつかる場所はないから自分をゼロにするしかない”と言っている。酔っ払って気力がなく、それだけ言うのが精一杯。
 毎日が同じように長い夜のあとにやってきて、だんだん深みにはまっていきそうな不安。中原中也のように、あれでもない、これでもない、と言うこともできなくなった。ぽっかりあいた穴の底はどうなっていたのだろうか。
(1993年4月――2001年5月)


ランボオ (小林秀雄訳) 『地獄の季節』(岩波文庫)

 今日(2000年6月10日)、TBSテレビで、「世界・ふしぎ発見! 詩を捨てエチオピアへ行こう・・・ランボー」というクイズ番組をやっていた。なつかしい感慨をもった。ランボーの時代と今では違うにしても、現在のエチオピアの映像や、当時のランボーの写真などを見ると、平面的な認識の上に、いくばくか立体的なイメージが加わる気がした。ランボーと言えば、抒情的、ロマンチックに俗っぽく読めないこともない。小難しく読めば、病的で倒錯した精神をみることもできる。番組は、詩を捨てた後のランボーについて、どちらにも属さない軽いニュートラルな視点からの、断片的な紹介にとどまっていた。番組制作者も出演者も、ランボーからかなりの距離をとり、冷めた立場を前提としている点が、文学青年や批評家と違っていた。つまり、自意識につきあわされたり、自意識を呼び起こされて、つまらなくなったりはしない、客観的な発想を自然な形で提供していた。
 前置きが長くなったが、こういうTV番組を見なければ、ランボーのことなど書く気にならなかったに違いない。

 1871年5月、16歳のランボーは、教師・ジョルジュ・イザンバールに宛てた手紙の中で、次のように書いている。
「・・・・いま、僕は、放蕩にあけくれしています。その理由は、・・・詩人でありたいからです。そして、ヴォワイヤンになろうと努めています。先生は、まるで理解できないでしょうね。僕もほとんど説明できそうにありません。(あえて言えば、)五感すべての自在な発散によって、未踏の境地に到達することです。それはたいへんな苦痛を伴うのですよ。そのために強くなければなりませんし、天性の詩人でなければならないのです。・・・・
 ・・・・<私>というのは、一人の他者です。・・・・」

 このなかのヴォワイヤン(voyant)という言葉は、日本の文学者によって、様々に訳されてきた。見者、見る人、目撃者、立会人、幻視者等々。小林秀雄は、「地獄の季節」の訳者後記のなかで「千里眼」と訳している。たぶん大意としては、この、小林秀雄の訳が、いちばんランボーの言いたいニュアンスに近いのではないかと思う。見通すことができる精神。自分をも客観視できる精神。様々な思想や情念を包摂し、乗り越え、止揚した、巨大な精神。ランボーが志向した「ヴォワイヤン」とは、おおよそこんな精神をもった存在ではないのか。
 このこと自体は、青年期の混沌を通過する際、多くの者が志向することの表現のひとつに過ぎないのかもしれない。「ヴォワイヤン」でなく、たとえば「超人」と言ったとしても、結局同じだ。精神とか心とかは、たぶん脳の働きだけでなく、首から下の神経系や、内臓や手足の状態も含んでいる。詩を書くことによって、巨大な精神を得ることはできるかもしれないが、それはつかの間のことだろう。「永遠」、「太陽」、「海」、そんなものを信じてどうなるというのか。どこに「見つかった」のだろうか。我々は「深紅の熾の繻子の肌」の「灼熱」しかつくることができない。ランボー自身、晩年、「詩なんて、水割りみたいなものですよ。」と述べたと言うではないか。
 
 岩波文庫の「地獄の季節」には、「飾画」(イリュミナシオン)も収められている。私の感性が多少の文学性をもっていると信じるならば、「飾画」は「地獄の季節」のように一気に書き上げたものでなく、2〜3年かけてかきとめたもののように思える。冒頭の「大洪水のあと」はたぶん、ヴェルレーヌの発砲事件の前に書かれたのだろう。よく、<大洪水>は、発砲事件を意味していると言われるが、やけくそになったヴェルレーヌの発砲など、それがなければ「もう退屈というものだ。」という事件とは思えない。<大洪水>は、ノアの洪水か、パリ・コミューンのどちらかではないか。
 そして、最後の「天才」を読んでも、このときもまだ、ランボーは「ヴォワイヤン」を志向し続けていたとしか思えない。挫折はこのあと、やってくる

(2000年6月10,16日)


あだち充『ラフ』(小学館)

 あだち充の『ラフ』は、何年も前に初めて読んだが、いまだに数ヶ月に一度か二度、読み返す。漫画というか劇画である。
 著者の作品としては、テレビアニメ化された『タッチ』などや、いま連載中の『H2』にはさまれたかたちだ。それに「スポーツ−恋愛」ものというパターンも、更に登場人物の顔かたちまで『タッチ』や『H2』に似てしまっている。この作者の、顔についてのレパートリーのなさは有名なので、気にしないことにする。

 主人公は、高校生の大和圭介。和菓子屋の息子で、中学校時代は水泳の100メートル自由形で3年連続3位入賞。ヒロインは二ノ宮亜美。彼女も和菓子屋の娘で、高飛び込みを始めた女の子である。和菓子屋「にのみや」と同「やまと」は、積年の商売敵だ。亜美の祖父は、「やまとに殺された」という言葉を残して死んだとされる。それを真に受けて、亜美は、高校に入学するまで、圭介に「人殺し」という年賀状を送りつづけている。
 その圭介と亜美が、偶然というよりは必然として、徐々に恋愛状態にはいっていくという設定になっている。
 なぜ、こんな劇画が私の愛読書なのか。
 圭介はじめ主要な登場人物が、すごくさっぱりしていて、模範としたい。同じことだが、ことばが重々しくない。あとをひかずに、ひとこまひとこま空気のようにながれていく。どこでもよいが、たとえばこんなふうだ。


  亜美「・・・・今どきロミオとジュリエットじゃあるまいし。」
  圭介「だれがジュリエットだって?」
  亜美「だれが与太郎だって?」

 こんな会話のなかでは、うっとうしい気分など、たまりようもない。
 私の場合、かろうじて人並み程度の恋愛体験を思い出しても、いつも重々しくてよくない。なにより、相手にとってよくなかった。私(たち)には、こういうことが、案外むずかしいのだ。そういう反省を、『ラフ』は促してくれるが、その反省はさわやかな感じだ。
 この爽やかな感じが作品のテーマで、ストーリーは二の次になりそうだが、あえて『ラフ』の盛り上がりの場面はどこかといえば、やはり終わりのほうだろう。タイムも勝ち負けも重要だろうが、なにがいちばん重要か、いつも考えつづけることの大切さを示している。こんなのはくさい、という向きもあるだろう。それでも、やっぱり、こういう不断の精神的努力とでもいうべきものを怠った人間は醜いと断言できる。
 それにしても、圭介や亜美がたまにCCRとプリントされたTシャツを着て登場するが、作者もCCRのファンだったのか。
(99年3月20日、21日)

よしだあきみ
吉田秋生
「河よりも長くゆるやかに」(小学館)

 舞台は、米軍基地に近い町である。男子校に通う高校生のトシと深雪(みゆき)が体力をもてあましている。
 トシ(能代季邦)は姉の幾世と二人で、アパートに住んでいる。生活費は主に幾世がホステスをして稼いでいる。姉弟の父母は離婚したが、却ってそのことが、姉弟を健康にしているように思えるのが、ちょっと不思議だ。更に、トシも金を貯めるために、バーテンのバイトをしている。マリファナやドラッグを闇で売ったり、米兵に女を紹介したり・・・。シマを荒らす結果になって、殴られたり。姉は姉で米兵を部屋につれこんだりしている。はからずも、姉弟でヘンリー・ミラーしているというわけだ。
 深雪(久保田深雪)は、女みたいな名前だが男である。バスケットボールの試合で、金をもらって助っ人になったトシに入部するよう勧誘するが、にべもなく断られる。だが、高利貸をしている深雪の父が、トシが臨時で働いているゲイ・クラブで心臓発作をおこし、深雪と運転手が迎えにくる。トシとしては、こんなバイトをやっていることがばれてしまったが、チクられてはかなわない。深雪の口を封じるために、むりやり女装をさせてクラブに出演させ、「同類」ということにする。この際の深雪の心境変化が面白い。「やっぱり、きれいって言われて悪い気はしないな」・・・。多くの男は、青春期を振り返って胸に手を当てて思い起こせば、同じ経験はなくても、思い当たる節があるのではないか。女性の作者がここまで描くのだから、ほんとうに感心してしまう。この前後が、この作品のクライマックスだろう。
 帰り道で、トシは深雪に家庭事情を話す。深雪も、父が高利貸しをやっていて恨みをかっており、小さい頃誘拐されたことがある。サザエさん的な家族とは遠い。トシも深雪も、不思議と父を恨んでいないと言い合ったりで、感性の共有を知る。こういう、<あたりまえの勉強>をすることが、この作品の基調といえる。学校は背景に過ぎず、たいしたことを教えないばかりか、場合によっては行く手をさえぎることがある。
 下流になって水は汚れても、川幅は大きく、流れはゆるやかになってゆく。人生も同じで、そのことを作者は肯定しながら描いているように読みとれる。私も作者とだいたい同意見で、年齢をくうことは悪じゃないし、精神はいくらでも強くなっていくものだと思うのだが、どうだろう。ひとによって意見がわかれると思う。
 『河よりも長くゆるやかに』は私にとって、割と身近な感じがする、違和感のない、もっとも好きな作品だが、後半部は、やや単調になっている。作者もそう思ったのかもしれない。この作品のあと、『吉祥天女』、『BANANA FISH』、『YASHA』と、主要なキャラクターに、平凡な存在と超人的な存在の両方を登場・対置させるようになる。

(99年8月30日、12月4日)


高山文彦『「少年A」14歳の肖像』(新潮社)


 一年半前の、神戸の須磨事件の少年の家庭環境と内的世界について述べた著だ。著者・高山文彦がどんなひとか知らないが、客観的に良く書けている。いろいろと考えさせられた。私事になるが、誤解を恐れずに述べれば、少年Aについて半分は自分とよく似ていると思った。男ばかりの三人兄弟の長男であること、母の気が強いこと、自分がどこか「異常」でないかと思っているところ・・・・・。
 しかし半分はわからない。動物を殺すのが快感になったり、小学校五年生のときに猫を殺したときに性的に興奮して勃起したり射精したり。一方で女性の裸体など全く関心がなかったり。そのことを自分でも異常ではないかと思っているがどうしようもなく、他人にそう指摘されるのを忌避していたようである。
 私自身の記憶をこじあければ、私も小学校低学年のころ、昆虫をいじめたりしていた。小学五年生のとき、鉄棒の懸垂をやっていて勃起したことがある(初めての精通はずっとあとで、中学生の時)。その程度では似ているとも言えず、やはり、簡単には感情移入できない。
 手短かに言えば、乳幼児期の母親との関係の失敗ということになる。親が主観的にどう思ったとしても、子供が愛情を感じとることができない家庭環境というのが重要なポイントだろう。だが、それだけでは説明不十分かもしれない。(遺伝や胎児期の状態を別にすれば、)性格の基本構造の大半が乳幼児期に形成されるということに、あまり異論がないだろう。
 だとすれば論理として、大人だろうが子供だろうが、どんな犯罪者でも、性格が行為に反映される限り、乳幼児期に理想と異なる状態におかれた不運が犯罪の必要条件のひとつになっている。だから、刑務所は罰するところではなく更生するところにすべきだ、ということになるかもしれない。だが、現段階の日本の社会では、こんなことを主張することさえ、多少の覚悟を伴う気がする。それに、M・フーコーなら、刑務所、監獄、収容所あるいは鑑別所は、昔からあったものではなく近代の所産だ。更生についても一応は考慮されている。市中引き回しや遠島追放は近代のシステムに合わないのだろう、とでも言いそうなところだ。何をもって更生というのか、どのような倫理が普遍性をもつのか、そもそも人々は倫理だけで行動しているのではないではないか、というような、とりとめもないテーマを全て包括しなければ、無意味な主張をするだけで終わってしまうだろう。
 土師守氏の『淳』(新潮社)は、被害者の親なら当然想うであろうことが書かれている。私が遺族なら、だいたい同じ感情になるだろう。
 弁護団長の野口善國氏が書いた『それでも少年を罰しますか』(共同通信社)も読んでみた。これも優れた著作で、少年法の理念について啓発を受けた。
 これらのなかでも、この高山文彦の著作は、まさに「少年A」の育った環境の平凡さ、特殊な面、偶然などについて、かなりのところまで迫って書けていると思われた。
(99年1月18日)
追記
 少年Aは、異常ということにはならないと思った。私は「性善説」に魅力を感じるが、現実を直視すれば信じることはできない。人は幼少時には、善も悪も、あるいは善でも悪でもないものも、すべてを持っている。幼少時にこだわらなくてもよいが、ほんとうの意味での人間性とは、そういうものだ。下町に住んでいた頃、新聞配達の好青年が新聞屋のおばさんを殺害し、私はどちらとも懇意にしていただけに、驚愕し、しばらく絶句したことがあった。少年Aも阪神大震災の時に、向かいに住む老夫婦を救出しており、老夫婦は事件について「いまだに信じられません」と涙声になって言う。
 周囲の愛情を受け止めれば、少年Aはしばらく医療少年院にいるだけで充分だ。再犯することはないだろう。自殺する恐れがあるが、する必要はどこにもない。しかし、将来にわたって、就職しようとすれば、履歴書の信用調査でひっかかるし、それに耐えていかなければならない。
(99年1月24日)



 いろいろ得るところがあり、1500円の価値は充分にあった。
 結論はともかく、この1年間の国際状況、東南アジア情勢やアメリカ人の日本観などについての認識について、教えられることが多く、考えを共有する部分も多い。
 しかし、マレーシアは日本の漫画をインド語やベトナム語に翻訳して安く売るイノベーションを持っていると、肯定的に述べている箇所を読んだときは苦笑してしまった。
 教育問題のテレビ番組に出演したときの話として、
「一人の大学教員は、自分は彼女たちの生態を研究していると称して、世論をどんどん援助交際を擁護する側に誘導しようとするのだ。彼は都立大学の助教授らしいが、都民の税金を食っている人間がこんなことを言うなんて、私が都知事ならすぐにクビにするところだ。」
と述べている。宮台真司のことであろう。都知事が都立大学の教官をクビにできるのかどうか知らない。社会学や経済学の土俵で援助交際のようなテーマについて論争しても、限界は明らかだし不毛に終わるだけだ。

(98年8月15日)

目次


1.D.ダウニング(平田良子訳)
  「ニール・ヤング――傷だらけの栄光」
  (RittoMusic,1995)
2.J.ローガン(水木まり訳)
   「ニール・ヤング 孤独の旅路」(大栄出版,1994)
3.Neil Young,The Ultimate Interview by Nick Kent,
   Dec.1995,MOJO,Issue 25,p.48-65,Mappin House, London

 
どれも最近でた、ニール・ヤングに関する文献だ。1.と3.はニール・ヤングの50歳の誕生日に合わせて出版された感じがする。ホームページの数も、ボブ・ディランより多いが、この人の持続の仕方は、ディランやR.ストーンズと違っている。自分が築いた石垣を守ったり、さらに堅硬にしたり、その上を荘厳にしたり、というのではない。常に考え、新しい刺激を求めて、受け入れ、自分のものにしようとしている。
 1.は、ちょっとしつこいくらいに、ニール・ヤングの経歴をこまごまと書いている。家庭環境のことは知っていたけれど、ニール・ヤングが若い頃、てんかんの発作に悩まされたなどということは、1.と3.で初めて知った。
 2.は流れるような書き方で、ニール・ヤングの活動を記録している。私はこの本がいちばん好きだ。
 3.は昨秋、ヨーロッパに立ち寄った際に買った雑誌の記事で、飛行機の中で読んだ。日本で入手するのは困難な気がする。ニルヴァーナのカート・コバーンの死に関連して、「60年代はアーチストと聴衆にはきずながあった。今ではそんなのに出くわすのは、すごく困難になった。近頃は、画像についての企画があまりにシンプルになってしまったからね。だけども、今日のペシミスティックなバンドは、ちょうど60年代世代が<peace & love>(を掲げた)グループを介してまとまっていたように、自分たちの世代をまとめようというヴィジョンや姿勢を持っているんだ。」と、述べている。
(96年4月5日)
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高橋英利『オウムからの帰還』(草思社)


 最近でた本である。高橋については、本人が不用意なまま、ある雑誌が編集部ぐるみで中沢新一に対する個人攻撃するのに利用されたような、不安な感じを受けた。出版業界人によくある、個人で責任を負わない卑怯な根性によるものだ。こんなひどい雑誌が直後に廃刊になるのは自業自得だろう。
 いきさつは知らないが、今回、高橋の本が草思社からでたことに、ほっとした。
 本書の大部分は、高橋が体験したり目撃したことの再現に費やされている。彼が、サリンに直結する倒錯した病理的な理念や感性をじかに知っていた訳でないので、もちろん、私たちが感じている解らなさは解消されない。その点については、麻原の公判を待つか、現時点で私たちがみることができるもののなかで、いちばん核心に近づいていると考えられる、「井上嘉浩被告 公訴事実に対する陳述書」でも読んで考えるくらいしか、やりようがない。
 しかし、本書を読むだけでも、たとえば、麻原が時々寿司を注文してみんなで食べたりしているが、一般出家信者よりましな程度で、普段は贅沢暮らしなどしていなかったことなどが知られる。マスコミがいかにでたらめな情報を流してきたかよくわかる。
 また、「記憶抹消」の実験または「治療」が実際に行われていたことが窺われる(194頁〜)。これもまた、深く考えさせる問題を提起している。この部分では、この利発な青年も、一般的なヒューマニズムに足をすくわれた書き方をしている。
 この本の圧巻のひとつは、いつもは底抜けに快活なアーナンダ(井上嘉浩)が、地下鉄サリン事件の直前に、きわめて思い詰めて苦悩していたというところだ。彼が自分の意図でやったのかどうかわからない以上、「サリン・オウム事件は、八十年代に青春を迎えた世代の、最大の反乱」などという解釈は、勇み足でないか。とにかく、この本や報道やオウムの発行物をみたかぎりでは、サリン事件という非行の深い動機を本気でもっていたのは、ごく限られた極めて少数の者だけだっただろうと推察される。
(96年4月6日)
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R.X.クリンジリー(藪暁彦訳)
『コンピュータ帝国の興亡』(上・下全2巻、アスキー)


 コンピュータなどをやる連中は、頭の固いつまらない人たちばかりではないか。以前から時折そう思ってきた。いまでもふとそう思うことがある。例外はあるのだが……。著者も私と同様に思っている。まず、スティーブ・ジョブズは例外だと述べている。だが、褒めているのかけなしているのか、わかりにくい。実のところ、褒めてもいるしけなしてもいるのだ。好感をもってこきおろしている、と言っても同じだ。スティーブ・ジョブズはスタイルしか持っていない。サダム・フセインだ。彼の関心は攻撃だ。成功の確率も気にしない。どれだけ損害を被るかも気にしない。信念を通すことができれば、彼にとっては勝つ必要さえない。かりに負けても、勝利者に向かって「ホラばかり吹くんじゃない」とわめくに違いない。
 こんな調子だ。強引な直喩のようで、本質的な部分を鮮やかに描いてしまっている。
 著者の述べたいことを要約すれば、こんなふうになるだろう。パソコン業界は、大型コンピュータの業界とまったく違うし、関係ないと思ったほうがいい。「ムーアの法則」によって、チップの単位面積あたりのトランジスタの集積度は18ヶ月ごとに2倍になっていく。だからパソコンの変化のスピードは、他の工業製品とは比べものにならない。ふつうの企業文化では、こんな業界で生き残っていける訳がないのだ。起業家は、優秀な人間をたくさん雇っても仕方がない。極端に優秀な人間を数人雇うのがこつだ。
 重要なのは、「標準」とソフトウェアだ。標準はふつう、ふたつしか存在できない。コンピュータ・システムの使いやすさは、開発費の平方根に比例して変化する。
 だとすれば、パソコンの変化のスピードは減速していくことになる。著者はここまで推論していない。むしろ、このままいけば数年後には、超小型化するなどしてパソコンと呼ばれなくなるだろうなどと、言い切ってしまっている。この点では違和感が残った。
 それでも、いかに米国人の著書とはいえ、これほど機知や風刺に富んだ面白いビジネス書は、初めて読んだ気がした。様々な裏話がちりばめられている。翻訳も適切で、翻訳文特有のぎこちなさを全く感じなかった。
 Windows3.0発売のところで終わっているが、是非とも続編を書いてもらいたい。

(95年4月1日)

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