葛生町にお住まいのKaz様より情報を頂きましたのでご紹介します。 達磨小僧もその去就を気に掛けておりましたが綺麗に整備されており、本当にうれしく思います。 Kaz様ありがとうございました。 |
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<Kaz様のメール> こんにちは!「葛生のkaz」と申します。 旧会沢小学校に保存されていた車輌が廃校後どうなるのかと思っていたら・・・・ 先日都合で葛生町役場に行ったところ、あれれ・・・?? となりまして、すっかり化粧直しされてせっせと移転後の整備中でした。 場所は葛生町役場の敷地内で化石館の前です。 正面の駐車場から入るとすぐわかります。 また、人車は中に入れるようにするとのことでした。 (昨今の状況では常時入れるか疑問ですが・・・・) |
本機は、S55(1980)末まで、住友セメント栃木工場(現在も大阪住友セメントとなり盛業中)と、唐沢鉱山間を結んでいた軌間762mmの専用線で石灰石輸送に当たりました。無番の3t機1両と、No.11〜15の10t機、No.16〜18の14t機計9両の仲間とともに、輸送の合理化(地下をカプセルで輸送)による同線廃止まで活躍しました。その後本機は、2軸鉱車、人車とともに沿線に程近い会沢小学校に保存され現在に至っています。 |
項目 | 諸元 |
製作所/製作年 | 日立製作所/S37(1962) |
形式 | 10tL型2軸 |
軌間 | 762mm |
*キャブ側面前部にあったはずの製造銘板は、外されていた。
(体育館サイドは未確認)
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以前の写真によると保存当初は上屋も掛けられていたようだが、現在はない。奥の体育館建設に伴い保存場所の移転ないし、上屋の撤去が行われたものと思われる。非常に狭い、敷地の片隅のような場所に実にひっそりと保存されている。 |
人車の妻面を見る。内部はそう荒れてはいないが、機関車のガラス類が多く破損しているのは残念だ。この地の産業を支えてきた功労者として、学校教育にも活用していただけたらと思う。 | ![]() |
H3(1991).9の「とれいん」誌によると、廃線時No11〜12,14〜18の仲間たちは、何らかの形で解体を免れたようだが20年を経た現在、どのような運命をたどったか是非調査してみたいものです。 なお、葛生地区の現状に関しては、こちらもご覧ください。 |
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更新 2005.2.25
作成 2002.2.11
写真撮影 2002.2.11
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