Alternative Views》 2002年3月2日

JIS漢字の嗤

内田明 <uchida@happy.email.ne.jp>

JIS X 0213:2000(通称「2000JIS」)は、1面51区48点で「嗤」という字体――話の都合上より正確を期すならば図1の字形で示される字体――を符号化すると定めています。

図1「平成明朝体W3による嗤」
図2「リョービナウMBによる嗤」

実はこの字体、JIS X 0208:1997(通称「97JIS」)によると、当該規格の第一次規格(通称「78JIS」)の第一刷において図2のような字形で示されていたものが、1978年11月刊行の正誤表によって図1の形のものに変更されているところのものです。

97JISの規格票に参考として掲げられている附属書7「区点位置詳説」2.72が“(1面)51区48点の「所期の字体」は「情報処理学会コードに見える(引用者注:図1の字形)」だ”としているその字体は、《図1と図2のどちらの字形で出現しても通用するような字》ではなく、《図1でのみ通用し図2では通用しないような字》なのでしょうか。

このような事情を探る気になったのは、青空文庫のボランティア校正者の方が提示された《音も義も“図1の嗤”と同じであると思われる用法で出現する“図2の嗤”について、これを(1面)51区48点で符号化して良いだろうか》という疑問に接したことが発端です。私はこの疑問に対して“包摂規準の不在”と“97JISの区点位置詳説”を理由に《符号化できない》と答えましたが、同時に私は――もしも私のこの回答が97JIS/2000JISを正しく解釈しているとするならば――、97JIS/2000JISの規定は不自然なのではないかとも感じたのです。

嗤という漢字について、角川書店『字源』・『大字源』、大修館『大漢語林』・『大漢和字典』、博文社『新修漢和大字典』を眺めてみたところ、全て図1の字形を見出しに掲げて解説を加えているのみで、“この漢字が《図1と図2のどちらの字形で出現しても通用するような字》なのか、それとも《図1でのみ通用し図2では通用しないような字》なのか”ということ(以下“図1・図2問題”と呼ぶ)に関する手がかりは得られませんでした。

図3「拡張Watanabe明朝studyによる嗤(誤字)」
図4「拡張Watanabe明朝studyによる嗤」

冨山房『修訂増補詳解漢和大辞典』(平成10年7月28日 修訂増補版128刷、ISBN4-572-00005-0)は、図1字形による見出し項目中に「(引用者注:図3の字形)に作るは不可」との記述を加えていますけれども、“図1・図2問題”の参考にはなりませんでした。その代わりと言っては何ですが、本文や小見出しに使われている小活字の字形が、図4のように、“山の尻尾”が“山と虫の間の一”を少々突き破っているように見えるものであったことをここに記しておきます。

さて、今回私が調べた大型漢和字典類の中で、唯一“図1・図2問題”のヒントを明示してくれていたのが、講談社『新大字典』(1993年3月11日 第1刷、ISBN4-06-123140-5)です。『新大字典』は、見出し字に図1と図2の双方を立て、図2の方(新大字典番号2216)を図1(新大字典番号2215)の別体であるとしていました。《図2の嗤は、図1の嗤の古字・俗字・略字の類として通用していた/通用している漢字である》と、言えそうです。

ところで、97JIS/2000JISでは、嗤の旁である「蚩」の字も符号化されています(1面73区48点)。また、文化庁文化部国語課『明朝体活字字形一覧 ―1820年〜1946年―』を眺めると、和文鋳造活字として広く実装されていて旁に「蚩」を持つ字として、《女偏に蚩》の字が目に入ります。

図a「蚩」
図b「嗤」
図c「《女偏に蚩》の字」

この字形一覧からは、《我々日本人は、図1型のも図2型のも、また“山の尻尾”が真っ直ぐに伸びている図5型のも、同じ漢字として通用させてきた》と言えるように思います。

図5「拡張Watanabe明朝studyによる嗤」

また、「嗤」という漢字を出力させる意図が、活字会社/印刷会社の違いや、活字サイズの違い、あるいは製造時期などによって、異なる字形を通じて紙面に定着されることが十分あり得るとも言えそうです。78JIS規格票の第1刷は、《異なる2つの字体/字形から誤った形の方を選んでしまった》結果なのでしょうか。《ある印刷システムにおいて「嗤」という漢字の出力に用意されている字形が図2型のだけであった》結果なのでしょうか。78JIS以前の石井書体の文字盤にどのような字種が用意されていたのか、非常に興味をそそられるところです。

97JISの解説3.7.3.4.1「包摂規準設定の資料」には、次のような記述があります。

包摂規準の設定には, 現在の文字運用に基づいての検討, 及び過去の言語の資産を解釈した上での検討の, 両者からの検討が必要である。

私は、“両者からの検討”の結果、「嗤」や「蚩」については、JIS漢字を次に改訂する機会に、《類型の統合》によって図1型も図2型も図5型も同一面区点位置に包摂するのが良い――と考えるに至ったのですが、如何でしょうか。

「まだまだ検討が足りない」「こんな資料があるよ」等々、ご意見ご感想を頂戴できれば幸いです。