はるかな高みから

小林 誠(Kobayashi-Makoto@yks.fujielectric.co.jp)
Illustrated by たけしのたけし


 墓所・腐海・王蟲。森・菌・蟲たち。これらはみな、遥かな過去に計画された遠大な計画の一部分として人工的に作られたものである。火の7日間といわれる、一般的には最終戦争と考えられているものでさえ、じつは地球浄化計画の一環として実施されたものであった。
 地球全体の環境改善、人類の改造を含むこの巨大な計画は、千年にわたり、人類自身に知られることなく、密かに、しかし着実に進行してきた。地球の汚染の浄化にも部分的には成功し、さらにあと数千年の後には、地球全体を青き清浄の地として再び再生させるはずのものであった。その際には眠りについている過去の人類たちと、清浄の地に適応するべく再改造を行った現人類たちが共に生き、伝承された芸術を愛でながら農耕をして暮すはずであった。そして、『墓所』、人類遺伝子のの保管設備が誤ってそう呼ばれているのであるが、これもまた、地球浄化計画のコアとして機能している部分であった。
 私はこの千年のあいだ地球の変化を見守ってきた。私は、墓所と同時期に建造され、同じように意識を持ち、同じように体内にはフタロシアニン・ブルーの血液が流れている。墓所が誤ってそう呼ばれているように、モニター機構たる私は「神の目」と呼ばれていたらしいが、最近は私を知る者も少なくなった。そして、墓所の死とともに私の仕事も終わってしまった今、私は語る当てもなく、人々の暮らしを眺め、記録している。そう、私は環境監視衛星だ。私の役目は情報の収集であった。私自身が何らかの作用を地球上に及ぼす力は持っていない。自らの軌道を変え地球上の特定の場所に落下することは可能であるが、それは私にとっても自殺である。墓所はそれ自身では調査能力が弱いから、私が地球の環境データを収集分析して墓所に送信し、墓所が環境改造を実施していたのだ。

    ・・・

 すこし思い出してみようか…。
 たぶん、おかしくなりはじめたのは、200年ほど前に古代の衛星の残骸と衝突してからだ。そのとき、私はいささか負傷し、墓所にデータを与えることができなくなった。私の自己治癒能力によって、かろうじて20年ほど前から墓所の状況は判るようになったが、依然こちらから送信はできない状況だ。
 しばらく連絡がつかない間に、墓所は私のデータなしでもなんとかやっていくことに決めたらしい。ただ、まだ通信はオフにはなっていないから、私が壊れてしまったと決め込んではいないようだ。墓所からは地上のデータが送られ続けている。神聖皇帝とやらに援助して情報収集の手伝いをさせているようだが、ヒドラを与えてしまったのはやっかいなことだ。最近は森が不自然に広がっていくのが見えるから、どうやら蟲の培養方法まで教えてしまったらしい。あいかわらず安直なやりかたばかりするのは困ったものだ。 厄介ごとはまだある。通信途絶の間に巨神兵の胚芽がとうとう見付かってしまったようだ。我々を破壊できる能力を持つ唯一の兵器だから、発掘を妨げるよう墓所にくれぐれも念を押しておいたはずだが、私と連絡が途絶したために発掘を抑制できなかったようだ。一応墓所は巨神兵の回収に動いているが、後手に回っている。墓所はのろまだから少し心配だ。

    ・・・

 ほれ見たことか。墓所の近くにやはり巨神兵がやってきてしまった。それも、できそこないではないか。溶けかけている。早く壊せ、ビームを使わせる前に。やれやれ、反撃を食らってしまった。のろま。だいぶ痛手を負ったな。蝿が寄ってきたぞ。早く傷を閉じるんだ。おい!…返事がない…気絶してしまっている。いやいや、どっちにしろ私の声は伝わらないのだった。墓所のてっぺんに見事に切り傷が付いているのが見える。数人侵入させてしまったようだ。
 墓所の気が付いたようだ。侵入者の画像データが来る。ひとりはトルメキアの皇帝とやらだ。こいつは間違って権力を持ってしまっただけの雑魚だ。墓所はなんでまた、こんな頭の中まで脂肪が詰まった馬鹿を招き入れたのかわからない。権力者を牛耳れば都合が良いといっても、これではあまりに…。
 もう一人は小娘か。しかし、ただものではない雰囲気がある。牧人にまで気に入られたらしく、遺伝子改造の痕跡がある。墓所よ、注意しろ。と言っても気が付いていないようだ。まぬけだからな。

 対話の画像が送られてきた。墓所は、太古の制作者たちのイメージを使ったようだが、あまり効力を発揮していない。やっと音声が到着した。

「お前は亡ぼす予定の者達をあくまであざむくつもりか!!」
「お前が知と技をいくら抱えていても世界をとりかえる朝には結局ドレイの手がいるからか」

まさにそのとおりだ、と言ってやればいいものを。墓所の抱えているのは血と業であろうに。

「その朝が来るなら私達はその朝にむかって生きよう」
「私達は血を吐きつつくり返しくり返しその朝をこえてとぶ鳥だ」

なかなか詩的なせりふではないか。少女よ。だが、それは苦しいことだぞ。絶望を見据えて、どんな希望を持ち続けていられるというのか。生きることで、予定された死を乗り越えようというのだな。

「だがお前は変われない。組み込まれた予定があるだけだ。死を否定しているから…」

それは違う。墓所にも私にも死はあるのだ。ただ、腐海と同じく、目的ある生命なのだ。組み込まれた予定ではなく、目指す目的なのだ。お前には生きる目的はないというのかね。
 今度は墓所は道化の口を借りて言い訳をはじめている。でもわかりきったことしか言わない。

「交代はゆるやかに行われるはずだ。ながい浄化の時はすぎさり、人類はおだやかな種族として新たな世界の一部となるだろう」

嘘と真実をいり混ぜて語っている。緩やかな交代などありえないのだ。少女が答える。

「絶望の時代に理想と使命感からお前が作られたことは疑わない」

ちょっとは疑ってくれてもいいのだ。われわれは打算と絶望感とからつくられたのだから。

「その人達はなぜ気付かなかったのだろう。清浄と汚濁こそ生命だということに」

それはちょっと違うかな。秩序と混沌と言ってほしいものだ。さすがにカオス理論は知らないようだな。まあにたようなものだ。要するに清浄が生命というわけではないということだな。

「娘よ、お前は再生への努力を放棄して人類を亡びるにまかせるというのか?」

もっともなせりふだが、弱すぎる。小娘には効いていない。

「その問はこっけいだ。私達は腐海と共に生きてきたのだ。滅びは私達のくらしの、すでに一部になっている」

なかなか小娘には言えない、地に付いたセリフだな。彼女にとっての人類は、腐海と共に生き、腐海と共に死んで行った者たちなのだ。彼女の言葉は、いままで千年間、腐海のほとりで死んで行った者たちと、これから千年間、腐海のもとで死んで行く者たちの言葉なのだ。

「人類は私なしには亡びる。お前達はその朝を越えることはできない」

墓所よ。いまだにそんな尊大なことを言っているから小娘に馬鹿にされるのだ。

「それはこの星が決めること…」

…彼女はガイアまでわかっているのか。まさか。直感で語っているに過ぎないだろう。

「虚無だ!!それは虚無だ!!」

墓所は心理攻撃に移ったようだ。少女の内にある絶望のキーワードをぶつけている。だけど、小娘が絶望を既に克服していることにはどうして気付かないのか。それでは駄目だ。

「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた」

ほら。わかってしまっているではないか。

「お前は危険な闇だ。生命は光だ!!」

そのくらいのことは簡単に論破されるぞ。

「ちがう!いのちは闇のなかのまたたく光だ」
「すべては闇から生まれ闇に帰る。お前達も闇に帰るが良い!!」

小娘はあいかわらず歯切れの良いことを言う。闇があってこその光だ。闇がなければ光はない。闇のなかをもがくことでおのずと光を得られるものなのだ。墓所が完全に言い負けしているようだ。私が墓所の代わりに話すことができれば、もう少しはましなことを言えるのだろうが。でも、頭のよい彼女のことだ。そうなったら私の存在さえも気が付くかもしれない。それもちょっと困るな。小娘はそろそろ墓所を壊しにかかりたいようだ。ここまでか。アホウの墓所は生き延びられまい。手足を失うのは残念なことだが。
 ほら巨神兵が動き出した。墓所を壊すつもりだ。墓所もそろそろ死に物狂いになっている。光で攻撃しているがなかなか効いていない。

「お前は悪魔として記憶されることになるぞ。希望の光を破壊した張本人として!!」

命ごいならば、助けて、と叫ぶものだ。これではまるで捨てぜりふではないか。辞世の句としてはちょっと恥ずかしいぞ。

「かまわぬ。そなたが光なら光など要らぬ」
「巨大な墓や下僕などなくとも私達は世界の美しさと残酷さを知ることが出来る。私達の神は一枚の葉や一匹の蟲にさえ宿っているからだ」

また詩的な表現を使う。詩人としても墓所の負けだな。小娘が、いったいどこでこんなセリフを覚えてきたのだろう。墓所の説得にはとうとう応じなかったか。頭のいい子だ。かわいいわりには行動は残酷だが。とうとう心臓に手が届いた。画像が揺らぎだした…… …あ…。やられたな。上空から眺めると、墓所が落としていた影が無くなっている。潰れてしまったか。ひよわなやつ。たった一人の小娘に潰されてしまうとは。1000年ちょっとの付き合いであったが、最後まで生き延びることのできなかった、やつもやっぱり出来損ないであったようだ。

    ・・・

 墓所の秘密を知る少女は、進み行く腐海のほとりで、人間どもには秘密を語らずに生きる決心をしたらしい。小娘よ、今の人間たちが、あと千年もすれば腐海の尽きるところで生きられるようになる、とでもいうつもりなのか。そう、生命の本質は変化することなのだから、実はお前の思うとおりになるかもしれないのだ。しかし、それは賭けだ。確率は高くはない。墓所を破壊したおまえはもう賭けから降りることはできない。既にお前は賽を振ってしまったのだ。しかもおまえ自身は賭けの結果を見届けることあるまい。不安を胸に抱き、もがき、生き続けよ、小さいものよ。そして、青き清浄の地への道が、たくさんの人間のしかばねを敷き詰めて、築かれてゆく様子をその目で確かめるのだ。私はここで命の尽きるまでお前達のゆく末を眺め続けることにしよう。いや、その前に、お前の賭けの結果を伝えられる相手がここまで昇ってくるかもしれない。私はかすかな期待を持っているのだ。


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