告知


  


 6月4日(月)
結果。
 上皮内癌か浸潤がみられる。今までの検査状況の説明。まず細胞診、今回のが組織診、これではよくわからない部分を検査、検査という名の手術であることを説明される。まずは円錐切除術、これで検査してその後の対応を考える、単純全摘とか広汎全摘とかの説明あり。
 癌といわれて驚かれて大変でしょうがとの先生のお言葉があるも、先週の検査の時に標本扱いされればこちらも覚悟はしてますって、っていったらそうですね的受け答え。本読んで病気の内容予習してます>先生と心で呟きつつ、空元気、メモを取りながらさらなる説明を受ける。
 即全摘手術かと半ば覚悟していたので、とりあえずワンクッションあった感じ。手術(検査)にかかる期間は1週間くらいとのこと、30分くらいの手術時間で、出血状態にもよるが2・3日で歩いても可の簡単なものですよ・・と。手術の時期を決めるのに希望はときかれできたら夏休みに、でも早いほうがいいというなら、と答えると、この円錐切除術の結果次第ではもう一度手術になるからできたら・・と。つまりそういうことなん。これで終わりですではなくて「検査」なのだよね。 
 進行のステージ、1aか1b位ですか聞くも返事は曖昧、まあそのくらいでしょうかという感触。悪い方に考えておいた方がいいでしょうね、といってしまった。1〜2ですかと聞いても否定されなかったし、かなりまずいんじゃあ・・。、1回の入院ですまないと思っていた方がいいか。としたら、この円錐切除術の1週間は、留守宅の家族のトレーニングにもなるだろう。と。
 先週の火曜日にチビが保護者面談の案内持ってきて、締め切りが明日(5日)までだったので提出を待ってもらっている。一応13日が一番早い面談OKの日にちだったはず。その日にがっこの先生にお会いできればと、入院は14日以降にしたいとお願いする。
 手術前に必要な検査があるとのことで同意書を記入、同時に入院&手術承諾書についての説明を受ける。何の検査を受けるか、その目的は、と随時説明。パソのディスプレイに映し出された検査項目見やすく、さすがにメモしようとは思わなかったが先生の見ているパソの画面がこちらにも見えるというのはいい感じだ。
 外来を出てから各検査に。心電図、血液検査尿検査による総合検査、輸血など絡むための血液型含めた血液検査、一般レントゲン。あちこちの外来で待つ人は多いが検査室は待たされることなく一巡。最後のレントゲンの時に検査依頼書見て(心電図の方はみなかった、ちょっとうっかり;_;)そこに検査目的の欄あり。「手術前検査 CIS or 子宮頚A」と書いてあった。CISてなんだぁ?
 会計を終わって11時20分。メールをオットに入れる。「詳細は夜」と。
 12時40分頃今日は出張に出かけるオットから駅の公衆電話よりtel。1週間の手術兼入院決定の話をする。悪いと思っていてね、と先週来いっているのを本気にしていなかったか、万が一を望んでいたか、おそらく覚悟ができていなかったのだろう、電話の向こうで動揺の雰囲気。思わず気をつけて電車に乗っていってきてねといってしまう。

病院を出る前に総合案内でパソコンの持ち込みの有無について尋ねる。ちょうどつい先日の会議の議題だったようで、病院としての対応は禁止(収拾がつかなくなる)、病室内のコンセントは限られているし、とのこと。病院内の電源使わずにバッテリーパックで使用するならどうかとくいさがって受付の方に再度病棟に電話して聞いてもらうも駄目。病室外の待合室近辺のグレ電だったらOKですよね、と聞くと、えっ、電話でできるのですか、と怪訝そうで、公の設備でしたら問題ないでしょうと、でもよくわかってない感じだ。
ミニパソ買ってモバギする予定だったけど、やっぱりだめかなあ。うーん。

 病院から帰って即、パソを開いていて食事抜きでいた。夕方さすがにまずいと思って食べる。家族がいる、食事を作り食べる人間がいる、ということで身体が動く。これが自分一人だったら何もせずに(何も食べずに)放心してたかもしれない。無理矢理の元気は他人に見せるためのものであってもそれで自分も元気になる。
 もし、たら・・・と、子どもにも話しておいてのいざ、だけれど、事実としての癌が明らかになった以上、あまり心配しないように接するように心がけること。
 Tさん、ねこ仲間にメール。

 6月5日(火)
 昨晩オットに無理を言ってしまう。一緒に動揺されたらあわてるのに静養してね、悪いところとってしまえばよくなるから、といわれても・・って、くってかかったのだけれど逆の立場だったらどういえばいいのかわからないよなあと、あとで思った。なんだかんだ言いたい放題ぶつけているから甘えてるってことだ>ごめん。
 職場で上司に話す。とりあえず1週間の検査兼の入院、その1週間でその後のことがわかるので、と。1年契約のパートだし、時給の仕事だから当然無給、でもならば(2ヶ月入院で休む)やめてくれといわれたらどうしようと心配だったが、とりあえず契約期限まではそのことでの規約はないから休むことに問題はないとの言葉、実際はどうなるかわからないけどもどる場所があることに安心する。

 寝るのが遅くなり起きるのは早くて昼間ぼろぼろだった。休憩時間に15分熟睡。身体のこと家族のこと気になってあまりよく眠れないなんて思っていても、身体は正直、本当に睡眠が必要なときは勝手に身体が動いてくれるんだ。
 ホームページ(子宮癌体験記)を別アドレスで立ち上げてしまう。メールに返事書こうと思いながらまずしたことが HP作りっていうのが自分でも呆れる。とりあえず昨日の日記だけ。だらだら長い上に検査に行って以来(実際は検査結果が郵送された日から)の分を読み返しても痛い辛いしか書いてないのだから完全な自己満足。でも、一番の気分転換。
 高校時代カミュの「異邦人」「シジフォスの神話」が好きで最初に買った全集がカミュだったというくらい一時はまって、そのせいもあり本来理系の志望のはずがころころ変わりその流れの中で今に至っているのだけれど、それはそれとして。「異邦人」の出だしの言葉が頭の中を駆けめぐっている。当時この本を読んで無感動でいること感情が持ってないことについてあれこれ書いたのだ(悩める青春^^;)。それとは違うけれど、今どこか自分の中で感情の無いふりをしようとする部分のあるのがわかる。たぶんそれで『ムルソー』なのだ。

 家族全員の食事が終わり食器を片づけている夜の10時過ぎ、るんるんと食器洗いをしている自分に気づく。対話の声も結構明るくてあいかわらず娘と漫才状態。原因は間違いなくHPの立ち上げだ。今まで何も作り上げてない自分が唯一残せること、体験という名の下に推敲もせずに垂れ流しだけれど、この経験を書くことに自分の存在価値があるんだと。明るすぎるということには軽く目をつぶろう。

 一晩たってオットといろいろ話し始める。病状のこととか・・

 6月6日(水)
 どうしても目が早く覚めてしまう、午前4時。目覚ましは5時15分だけれど仕方がない。しかたがないと思ってごろごろしている。でも今日は朝から気分がいい。気持よく身体が動くし、まあそうそう落ち込んでばかりもいられないってことか。躁鬱の躁状態??

 かってみた映画「トミー」。その中の歌に、歌詞の順番忘れてしまったのだけれど「see me, hear me, touch me,feel me♪」というのがあって、今の私、まさに、「feel me」なのだ。亡き恩師に「不幸なときの方が文が書けるとしたら書けなくてもいい」といわれたことがあり、確かに先週来の駄文は、気持のひずみがさせている。以前の私だと書いても隠していた。(誰にもみせずにといいつつ、見てくれた人はいて、受け止めてくれた人はいる、というのは於いておいて・・・・・・。)気持的にはかかえ込んで心の中にしまっていた。でも昨日のHPの立ち上げ。ここまでオープンにというのが自分でも信じられなくびっくり。やっと「feel me」と言えた。

 書くことによって自分を悲劇の中にドラマチックに放り込んでの自己陶酔。昔なじみの相変わらずのパターンにはまりこんで、病気であるという自分に酔っている。
 とりあえず今日のところは。

 6月7日(木)
 待ってるときの方が辛いって、想像で苦しめられるから、それにおびえてしまうけれど現実に向かったときは・・・・って人物が小説上で一人思い浮かぶ。『赤毛のアン』シリーズ、アンの子どものウォルター。ちょっとどころかずいぶん違うか(^^;) 。でも、どこかそれに近いところある。どうしようと悩むより、もう板の上ということで。
 普通のペースの普通の一日。仕事のめり込みすぎで疲れた。仕事といえば「何か希望とかあれば」って、日常の仕事の内容、社員の女の子が退社するのでその関係とかで見直ししているしていることもあるのだろう、「どうですか」と聞かれる。「もっと実験がしたいのですが」というチャンスをずーっと待っていたのだけれど、よりにもよって・・・。とりあえずこのことがすんでから、と返事。惜しいなあ。といって、今新しいことしたいとはさすがに言えないし。
 生協の注文書くときに留守宅でも扱いやすい食材とか選ぶ。娘が横から「わたしがんばるから」と。がんばるほどがんばらなくていいからちょとだけ協力しあってね、と話す。オットと子ども二人、少しずつの力を合わせて過ごしてね、というか、入院したらどうしようもないので、余り気にしないことにした。生き方の元となる考え方は伝えてきたつもりだ。足りない技術が身に付くかな。

 6月9日(土)
 1週間分の疲れか、家にいるというだけで気が抜けるのか午後になってから腰とか背中が痛む。夕方からは寝そべってみたり座椅子に寄り掛かったりしたまま。睡眠不足とかの疲れだけだよね、心労はあっても病気が原因の痛みとは思いたくはなし。
 気になる留守宅のこと、この週末が勝負なのだからと、メモファイルの作成。食のパターン(必要量とか3回にわけての食べ方の例)を始めとして各食事の基本例やら、その他洗濯のこととか書類置き場とか、20枚強に書きわけ家族それぞれに目を通してもらった。伝えたことで一安心だ。本当は戸棚の中身表示とシール貼るといいのだけれどそこまではいいということにしておく。

6月11日(月)
 それにしても大病院の役割分担はみごとというか・・・、予約しても順番に変動があるという先週の経験をいかして今日は早めに出かけて診察券提出。それでも前に何人もいる。みんなすごい。名前を呼ばれて「3番診察室にお入り下さい」。??? 前回までは2番だったのに。中に入るとやはり、組織診の時に2番目にレクチュアー受けていた女医さんだった。先週の入院のための検査の結果と入院日程の説明だからということなのだろうけれど。
 来週の19日入院、21日に手術。検査の結果は中性脂肪が少し高いけど(って、コレステロールだけどさ^^;)問題ありませんとのこと。先週少し聞き足りなかったことがあるのですが、と、「この円錐切除術の終了後実際に車を運転できるようになる時期とか仕事に復帰できるまでどのくらいか、というのと、再手術の可能性について」尋ねる。前回話を聞かれたと思いますが、と、気のせいか口ごもった感じ、「内容にもよるけど会社休むことは長期になると思った方がよい」など系の、まあ・・・。んで「再手術ということになって一回退院もしくは外泊という形で自宅に帰ることは可能でしょうか」など。(家のことももちろん心配なのだけれど、ネットで新刊本チェックしたいし、パソで遊びたいし、いろいろ)。日程にもよるけれど可能でしょうとの返事をいただく。
 看護婦さんから入院時の持ち物などの説明を受けた後で入退院受付にて、入院予約表の記入と説明。そこに提出するようにと外来でもらった『入院指示票』、“病名:上皮内癌 目的:手術(有)6/21 入院予定:10日”、あれ? 1週間という話はどこ? 手術から数えてだとそういうことかな。様子で決められないという説明もあることだし。 入院案内の説明書など受けとる。
 駐車場から日程の兼オットに携帯メール。今週は仕事が組んであるのでと悩んでいたので来週ということで予定が少しはつけやすいだろうし、私の準備のゆっくりできる。
 上司に予定の報告、最低でも来週火曜から習慣は休む旨つたえる。2週分のスケジュール記入の私専用のボードにも<休み・休み・休み・・・>と。パート一緒の人にも休むことを話す。
 夜はひたすらパソ。LAN接続成功でソフトをダウンロード、その他設定の変更など2台のノートいったりきたり。

6月12日(火)
 昨晩深夜近く、オットと口論。私が冗談で言ってることを真に受けて注意されたことに腹が立ち、一方的にまくし立てて、ついでに怒りから外の感情も派生してこの2週間の気持などあれこれ。興奮状態で眠れないかと思ったら朝の5時までぐっすり、久々の熟睡感。気持をぶちまけちゃったからだろうけれど、それにしても・・・。病気人質にして泣き落としなのだから、むちゃくちゃアンフェアだったなあ。とてもコミュニケーションとは言えない」\(TT。)ハンセイ・・・
 夜はあいかわらずのパソ、なかなかいうこと聞かなくてそれを動かしていくのが楽しくそのことにだけ夢中、結局翌朝まで解決を一つ持ち越す。娘ががっこの書類「自覚してるから何もいわないで」とコメント欄記入を求めてやってくる。「いいたくても言えないから・・」。本人次第だから、と、夫婦の会話。

 6月13日(水)
 息子の面談でがっこ。ここでも(自覚してるのかな)的成績など見せてもらいながらの話、帰宅後少し話す。
 会社、照らしあわせの文書整理、何とか入院前に間に合いそうでやれやれ。出勤表とかファイル書類など少しづつ片づけ、ロッカーの掃除も。月末の仕事なども頼んでいきたいが一応2週間という建前だからあとで電話でお願いしてもわかるように、など。

 6月14日(木)
 保険書類の確認。生命保険の特約(妻)と、あとは掛け捨ての医療保険1口に癌保険(家族タイプ)が2口。保険料毎月ばかにならなかったけれど掛けといてよかった。書類申請など問い合わせをオットに頼む。告知だけで○○円とかのパターンもありそうなので、支払いとりあえず何とかなるだろうとはいえ、やはり心強い。家族の日常の生活も通常以上に膨らむだろうし・・・。
 電話。おしゃべり。ありがたく。

 6月15日(金)
 朝、子どもが起きてくる前にオットと話。保険のことなど話しているうちに私の病気について彼の中に実感が出たというか、やっと病気を病気として深刻にとらえたというか。。婦人科の癌は普通の癌とは違って切ってしまえばすぐよくなると思っていた、ってそれはそうだけど、胃癌で胃を切除するのと同じくらいではないけど、そんな盲腸なみに考えられても・・・。義母が肝臓癌で亡くなっているのだけれどそれとこれとは別物(確かに別だ)で、軽いんだと思ってたと教えてくれた。
 まあ、軽いかもしれないけど、悪いかもしれないって話はしてあるのに。こちらが暗くならないでいるからよけいそう感じていたのかな。はまると躓きタイプみたいだし、そう深刻になってもしかたがないって。子どものこと頼んでいくのだから。
 私は、‘事前の余裕で雑学でも何でも知識は多いに超したことはない’のだけれどオットはぎりぎりタイプ? 直前まで追いかけないでいるから、今回の告知に対する反応の違いはそこにあるのかも。だってちゃんと「癌」といったつもりだけれど。その辺の食い違いでこの2週間のトラブル、こちらが一方的に「もし、たら・・・」といっている状況が伝わらずにいたことに原因があったのだな。

 6月16日(土)
 オットは午前中、子宮癌に関する本を読んで基礎知識は入ったらしく、改めて『大変なんだ』とぼそっ。『だからぁ・・・』とあいかわらず一言多い私。でも、これでスタートラインだ。状況を把握している相手と隠さずに話す方が楽にきまってるから、私自身はお気楽モード、負担は任せたよ、と。家族のことは(気になるけれど)入院したらもう気にしないからよろしくね、と念を押す。いいながらも子どものスケジュール、メモ帳に書き写したりなんかして、何かあったら確認の連絡入れようなど思っていたりもする。冷凍庫の中身などについてもそれぞれに説明。
 入院グッズの買い物にお店のはしご。寝間着は病院のを借りると1日100円で、入院時に申し込みが必要との書類有り。ラッキー(^^)。自分で準備ということはいかにも病人っていうかっこうしてなくていいんだ。Tシャツの上にボタンダウンのチェックのシャツ&スパッツを基本ゴロゴロにして、うん、こんな時だからロングスカートも・・・。スカートなんかはいて(日ごろはパンツ専門な私)さりげなくカバンかかえて歩いていたっていいんだよね、動けるときは、でもって憧れのモバイル、なんて空想だけは飛ばす。動けない状態もある、ということについては考えないようにしている。持っていく本も勉強モード数冊と軽めのFTなどは束にして用意。
 【MY WEB】形を整えることに時間をつぎ込む。その割にはほんの少しだけ。入院したらできなくて辛いことの筆頭かもしれない。

 6月17日(日)
 入院時に持っていく持ち物の確認と詰め込み。名前を付けて数をかぞえて、いよいよかと思う。提出書類の署名、印など。オットに私のいないところで話があるということがあってもそれは拒否してきちんと私交えてできるように持っていくように頼んでおく。まさか、だけど、用心用心。
 夜はゴーヤーチャンプルーとトムヤンクン。 好きだけど絶対に病院のメニューにはあるはずのないもの(家族は嫌いなので自分のためにだけ)作る。

 6月18日(月)
 いよいよ明日。仕事頼まれたことは終わらせようとばたばた走り回る。昼休みに誰もいないので読書。時間を忘れるくらい本の世界に入り込む。明日からはそれが頼り。
 任せたといいながら週末までの夕食メニュー、おおよそを書き出して食材の買い物予定などもメモにしてわたす。家事をしていて食事作りは気にならなくても「何作ろうか」考えるのって結構負担になること自分でもあるから、「何でもいいから任せた」といわれても困るだろうなあと想像がつく。これとこれ、とわかっていれば動きやすいかな。
 もし○○なら××して、など、家族に同じこと繰り返し状態になっている。ケースバイケースのこともあるのにその事例をいちいちあげてしまって、聞かされる方も飽きたかもしれない。



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