検査


  


 5月20日(日)
 パーマをかける。美容院に行くのも10年ぶり。このまま年をとっていくと身だしなみ放り出してしまいそうな自分が怖くて、自分でのカットもいい加減やめようとおもいたったのだった。(何か予感があったのか?)

 5月21日(月)
 病院へ。2週間ほど前に電話して診察券あるけど(最後が7年前)と問い合わせたらカルテ保存は3年なので再度新患受付を通すようにとのこと。8時につくとすでに何人も待っていたが思ったより早くクリアし、産婦人科の受付No.は6番だった。久しぶりということで問診票の記入。今年はノート型のスケジュール表買わなかったので生理の間隔とか、最後は何時とかの質問にカレンダーがあればすぐ思い当たるのがなかなか出てこなくて少しあわてる。
 名前を呼ばれて診察室。子宮頚癌と体癌の両方の検査をお願いする。
 10年近く前検査で一回引っかかり紹介状を持ってここの産婦人科へ数カ月おきに通っていた。そのときは何もなくて半年か1年後にまた検査すれば・・という状態にまでなったた。そして7年前、夫の転勤の伴う転居、半年をおいて再度の転居で横浜・東京都移動。どこの病院に行けばいいのかなと探すのもおっくうで、それにあの内診はいやだし・・・。そのまま4年たち、3年前の4月にまたこちらに戻ってきたのだけれど子どもが学校に合わなくてあたふたしていたりパートの仕事に行くようになったりと、検査しなければと思いつついかないままにしていて、去年あたりさずがに、でもここで検査にいって何かあったら下の子高校受験のまっただ中、まずい、など言い訳だけであとのばしにして、この週木曜日は会社の配偶者検診もありそこでいろいろ調べるからそれに合わせてと、思いきって検査にやってきたのだった。
 内診台というのはいつでもいやなものだ。かたや仕事だから事務的対応なのだから完全にこちらの気持だけなのだけれど、でもその気持がここまで検診をさぼらせていたわけだから・・。
 基本の検診ということで結果は郵送してくれるとの話を聞き、終了。そのときの話ではきれいなので特に問題もない、というような言い方だったんだよなあ。かえってこちらの方が心配になり、「もし何かあったらまたくればいいわけですね」と聞いてしまったのだった。結果は1週間くらいということだった。

 5月26日(土)
 夕刊を取りに行くとポストの大学病院名の封筒。ずいぶん早いなあ、と思いながら封を切る。体癌異常なし、頚癌3b精密検査に早めに来るようにの欄に○。えっ。どこかでたかをくくっていたので、まさか、である。いくら月曜に医者に「もし・・」といったとはいえ。
 わかっているようで今ひとつ知らない子宮癌について調べ始める。 何よりも記入してある数値の意味を知りたい。まずは書棚の『家庭の医学』より。こんな時は疑いが・・の項目に心当たりがあってちょっとまずいとさらに心臓がどきっ。生理以外の小さな出血なんてたいしたことないと無視してた記憶が・・・。でも一般の説明ではわからない。インターネットで検索をかける。
 数値の意味や子宮癌のことについて本よりはもっとわかる。実際に子宮癌を体験した人のWEBページ、ついつい読んでしまう。ここで、ときまつさんのページが検索で出てきて、あれこれ読む。まさか、でも、もしがぐるぐるしていて何かしていないと落ち着かない感じだ。
 家族には精密検査受けるようにとの知らせが来たことを話し、もし入院したら食事の志度とかお弁当のこととかよろしくね、とか。明るく悪く考えときたいからね、といいつつ、(もし)入院したらどの本のシリーズ読もうか、あれにこれにそれに、と、指示を出せばわかるよね、と子どもと無駄口。結構自分の趣味押しつけないように押しつけたからそれぞれの子どもと(特に下の子とは)読む本かぶっている(SFとファンタジーなど)。勝手に盛り上がって笑う。パソも持ち込んで・・などなど。笑ってる以外何ができるんだというのだろう。

 5月27日(日)
 パソがEasyCDCreatorを認識しなくてあれこれあれこれ土曜の深夜から日曜の夜までかけて調べたり再インストールしたりプラグ落としたりムキになって意地になって直して操作マスターして一段落。
 空いている時間が怖いからよけいパソにしがみついて。

 5月28日(月)
 会社に遅刻の連絡して病院へ。実はその会社も気がかりの一つ。週4日のパートが入院となったとき次年度の契約とか大丈夫だろうか・・・と、雇用の不安。すべて仮定の状態で考えてぐるぐる。
 今日は直接産婦人科の受付へ。8時少し前だったが3番だった。診察は9時から。それでも予約とかあるのだろう(ということはあとでわかった)9時20分頃名前を呼ばれる。前回の先生とは違う。3bの説明を少ししてくれる。異形物、もしかしたら初期癌かも、と、今日はそれを調べるための検査だと。
 内診台へ。ぐるっと調べたあとで細胞(組織だ)をとるのかなと思っていると、ちょっと待っててくださいと。次に聞こえてきたのが、なにやら説明している声。(その通りの言葉ではないけれど)「肉眼でもわかるだろうけれど、見てごらん、赤いところ、白いところ、赤のぶつぶつの突起が出ているのとか、ほらもそこはモザイクで・・・。ここは(細胞とるとき)落としてはいけないところだ・・8時の方向と10・11時の方向。。あと、○○先生も・・」と、また次の先生がのぞいて横で説明を加えている。それがすんでやっと細胞をとるのだった。そうそ、「酢酸は3分待ってからじゃないと・・」なんて説明してるのも聞こえたぞ。
 内診台の上でもう開き直るしかない。被験者というか、ベテランの先生が経験の浅い先生に説明してるのはわかるし、いろんな症状はいつもあるというわけではないのはわかるけど、つまりそういう風に使われるということは(完全に本人に断りなくというのが大学病院で聞くあれこれと同じだ)そういうことなんだと思うしかないではないか。その裏でどきどきどきどき、どうしようどうしようとリズムが刻まれている。
 再度診察室。思わず「教科書通りですか」と口に出してしまう。そういえば説明してるときに「○○はこの場合見られないけど」といっていたから本通りというわけではないか。顕微鏡で調べてからの臨床検査結果出てからのことです。とそっけない。ただ、7時とか8時とかの話のことだろう、大まかな図を書いて、この位置とこの位置の2カ所が異常なのでそこから細胞をとりましたとの説明あり。あと、内診台での処置の説明と出血多いから注意してとか、抗生剤投薬することとか、まあていねいに話してくれたのではないだろうか。ヘビの生殺し的ではあるけれど、「悪いと思っていた方がいいですよね」との問いかけに「検査結果が出てから」と曖昧なこたえ。それでも結果を聞く時の予約ということで1週間後の同じ月曜、どこでもいいと答えたら1番の時間だった。
 薬は院外処方ということでどのみち夕食後から飲む薬だから仕事帰りによることにして職場に直行。薬はバナン錠、風邪とかひいたときに内科で処方されるのでなじみはある。で大丈夫、とか、土曜日の通知以来それなりの覚悟はしていたから、など自分に言い聞かせていてもそれはやはりそれだけでしかなかったようだ。仕事関連のことで同じ立場のパートさんと気まずくなる。普段だといわないようなことを言ってしまったのは気が立ってたんだろうなあ。静寂に耐えられなくて無理矢理言葉を口にしたらとんでもないことである。そのあとの空気ときたら・・・。
 帰ってきた家族にちょっとだけ話してハイモード。娘に家の空気悪い、母さん変に明くしてるから重いの何の・・・・言われてウーん。、

 メール。ついでに妹にも電話。家族以外の誰かに語ることで気を紛らわせたいのだ。

 5月29日(火)
 ねこのお友達からメールやらwebやらで言葉をもらう。返事は書けてないけど、ありがたく受けて、待ってもらって、待つのが一人でないのがこんなにもありがたい。家族(夫)は、悪い方には考えたくないのだろうと思う、検査のこといっても聞いているだけ。どう思っているんだろう。私が「入院したら家事どうする」なんて方向でしか話さないからかなあ。学校の保護者会の想定問答がむちゃくちゃだって相方に文句いったり、仮定の状況で言い合う方が悪いのか・・。

 5月30日(水)
 仕事は休みで、妹とデート。「2001年宇宙の旅」映画。帰りの書店にて子宮癌の本を探す。あと勉強用のパソコンの本も購入。もし入院ということになったら考え込まなくてもいいようにいろんな本を手元に置いて気を紛らわせようか。
 帰宅後夕食の準備をしながら子宮癌の本パラパラ読む。Q&A形式でまとまっているのでついつい最後まで読んで、一部はすでにネットで知り得ていたことだけれど、読んでいるうちに自分への不安がわき起こってきて(生存率、なんてところに数字にひっかかって)眠いのに寝付かれない状態に。それでも深夜過ぎにはやっと・・・。

 5月31日(木)
 再度ときまつさんのWEBページへ。いろんな方のお便りや体験記を読む。まだ組織診の結果が出ていないけれど、どうなんだろう。読むと、けっこうみなさん病院を調べたりとかで、以前に紹介状もらって以来の一番近い大学病院だから何かあったときに便利(行ったり来たりなど)なんていう理由で自分の身体にとっては何が最善かちゃんと考えなくていいんだろうか、と思いつつ、どこかで人ごとみたいに投げている自分である。
 全部摘出してしまえば大丈夫くらいの段階だから(きっと)、と心の中で言い聞かせているらしい。子宮をとってしまうことへの抵抗感、あるんだろうけれど、表層的には、いいや、べつに・・・・って。反動が怖いなあ。
 結果を聞きに行くのに一人で車運転してって大丈夫、だよね。病状は図とか言葉で書いてもらったらその用紙はもらってこよう、一人でどんな話聞いても・・・なんて思いながら、相方にきてもらえるか聞いてみたり、やはり来なくていい、と断ってみたり、揺れていて情けない。

 6月1日(金)
 次に会社のくるときは状況がわかってるんだなと思うと仕事の合間に考えなくてもいいこと思い浮かべて、いざというときにどう切り出せばいいんだろうなんてこと考えたりしてるから夜になっても眠れなくなるんだよね。いらいらしていて子供にあたってしまう。スムーズに対話している時はいいんだけれど時間の使い方とかが目に余るとこちらの気持がこじれてくる。いずれ一人になるんだからと育てていても甘やかして何でもやってあげているから、もしもの時に大丈夫かと不安な気持ちがよけいにきつくあたってしまうのだった。
 注文の本が配達されたのでそれを読むつもりがやはり気になる週明けの検査結果。今日もときまつさんのホームページを訪れて皆さんの体験記をはじから読む。確かに若い方の手記が多いのでそれに比べればもう閉経も間近のこの年の人間としては、と、開き直りの逃げ道つくってはいるんだけど、自分をだましてだまして、といい聞かせるようにして、
 で、何が怖いんだろう。子宮がなくなること、か? 今の生活ペースがくずれることか?
 家族の心配か? 死ぬことは生活の中断というよりは終了なのだよね。 かっての投げやりな自分もちらほら見えて、こんな未整理の感情ぶつけの文は見苦しいのに、書くことでの気持の昇華か。

  6月2日(土)
 モバギにするには愛用のノートパソコンでは大きすぎるからそれようのパソコンを買えばいいか、お金がかかるけれど、何か希望がないと・・・などと朝からぶつぶつ。聞いてる家族は呆れているけど、まあ、らしい、と思ってくれているものと解釈。
 オットと口論。子どもの送迎頼んでいて朝状況を説明したのに同じことを昼に聞き返されて切れる。何で朝いったこと忘れてしまうの・・と。もう少し責任持って覚えていたり判断してくれないと入院する不安より家を空ける心配しなくちゃいけないなんてなんで・・・、と、駅に送ってもらう車の中で思わず涙、やはりまともな精神状態ではないと納得自分でしてどうする。オットは会話のために聞いたのにそれじゃあ何もいうなと言うことかと逆切れ。
 家にいる空いた時間でパソのセキュリティの設定をバージョンアップ、引き続きため込んでいた家計の整理、そしてネット。目がボロボロに疲れるまでパソ。

 6月3日(日)
 処方されたバナン錠は昨日の朝までで5日分だった。組織診による出血は数日続くと本にもあり、木曜くらい(3日目)にはほとんど止まり、ただ便をするときに力が加わるのかその刺激で子宮内が切れたかのように鮮血。それでもそのときだけだから、それに傷ついた子宮が少しの刺激で出血状態でも仕方がない、と、言い聞かせていたんだろうと思う、今朝、そんなことと何の関係もないおりものとそれに混じった出血を見るまでは・・・。
 家事を済ませて新聞を広げている時間、鳥肌が立つような感じが手の先から肩にかけてのぼりひんやり。思いなしか鼓動の刻みも早い。たぶん悪い結果だから覚悟して、といくら口にもし想定を立てていてもやはり怖いのだ。どこかで何もなくあってくれと祈る自分がいる。あの心配は笑い話だったと、こんな風に書いたこと自体が無駄になるように・・と。何もしない状態ではいられない。とにかく何かしなければ。結果は明日なのだ。
 そうはいっても家の中の整理(オットと子どもが家事しやすいように整えるとか)なんかはしたくないし、究極のパソと本。



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