看護人間学教室

つうしん No.64

1997年4月1日

 
 大段智亮著『人間理解』の推薦文を高橋幸枝さん(東大医学系研究科保健科学・看護学専攻博士課程)が『看護学雑誌』(医学書院発行)4月号で書いて下さったものです。以下に転載させていただきます。



自分の声を一度は自分の耳で聴いてみよう

−わたしという人間理解はこれでよいか−

高橋幸枝   



 人間理解ということば自体はとりたてて目新しいものではない。援助、ケアを業とする者にとってはなおさらである。今や、「援助」も「ケア」も、看護領域特有の専門用語とはいえない。福祉、教育、心理、保健etcさまざまな職種がそれぞれの専門領域のフィルター(これは理論、定説といってもいいかもしれない)と経験、カンを通した視点で「人間理解」をして、「援助」「ケア」をしている(はずである、事実としてどうであるかはさておいて)。

 本書の著者は心理のバックグラウンドを持ち、にもかかわらず、数ある人間相手の援助の中でも特に看護に目を向けていたが、1993年、長い闘病生活の末に67歳で亡くなられた。
 著者は昭和20年代初期より肺結核を患いつつ晩年はC型肝炎・肝臓ガンとも闘い、患者としてさまざまな体験を持つ。一見、痛烈な医療者への批判のオンパレードのように受け取ってしまわれる方もいるようだが、カール・ロジャースのクライエント中心療法の考え方、その他多岐にわたる学問領域に目を向けておられた。
 著者自身の関心領域は人間関係学にあるといい、人間関係の勉強はどれだけ本を読んで知識や理論を頭いっぱいに仕入れてもダメだという。自分自身の人間理解のあり方が、他の人を傷つけたり、追いつめたりはしていないか。自分の仕事そのものを根底からぶちこわしてはいないか。人間相手の援助を専門とする人はそうしたことを、じっくり再検討しなくてはならないと著者はいう。
 そのときこちら側はどうであるか、どうだったのかということを抜きにして、原則やあるべき姿、相手の欠点をあげ連ねることは多くの場合それほど意味を成さない。無意味な確執、葛藤、行き違い、誤解・・・から、ただ余計なエネルギーを消耗し人間関係を悪化させて終わるだけになることは少なくない。しかし、こうしたことは意識してやっているうちは意外と墓穴を掘らないようだが、ちょっとしたすきに、罠にはまってしまうことが多い。

 著者は、まず自分のやっていることを客観的に眺めてショックを受けることから全てがはじまるという意味のことを述べている。自分のやっていることを眺めるとは、対象化できる形にしてみることをいい、具体的には自分の話しているところやロールプレイングをテープに録音し自分の耳で聴くことをいう。
 自分を直視するということの厳しさ何たるや。自分は普段こんな声で、こんな話し方、接し方をしているのか。周囲の人はよくまあ、あきれもせず付き合ってくれているものだと驚嘆するであろう。その場の雰囲気の中でできあがっている言外のニュアンス、非言語的コミュニケーションに依っている部分がかなりあることにも気づくはずである。
 著者が主催している学習会ではそこでできたロールプレイング場面でいったい何が起こっているのかを参加者の意見も交えて検討し、さらにそれが「援助」になっているかという視点に返って問い返されるような印象があった。それは、ただ単に面接の技術としてこちらの言葉の技術をどうすればよいかという問題ではなく、そこに表現された対象の言動のもとになったこちらの人間理解や態度を問われるものであったように思う。

 本書は6つの章からなる。1.「人間の看護」を支えるもの 2.「患者理解」の具体的意味 3.「観察」の再検討 4.患者のニードを把握する 5.ひとの欲求と欲望 6.新しい医学へのおそれ である。これらの章のうち、2章以外は『看護技術』(メヂカルフレンド社)という雑誌に1978年に連載されたものである。
 実例そのものは連載当時のタイムリーなものであるが、そこで示されている人間の状況や学ぶことにはむしろ普遍性があるように思う。
 著者は「《人間理解》ということばで表現されているものこそ、わたしたちの生活と仕事を支える土台だといってもよいのである」といい、「この問題をあいまいにしたまま、子どもを育て、教育を推進し、医療や看護の仕事をしてゆくのはちょうど基礎工事をしないで建物を建てるのと同じような危険をつくり出している」という。
 現在、疾病構造も、社会状況も確かに今の時代ならではのものがある。しかし、本質的な実状は変わっていないものは多く、一筋縄ではゆかない問題は依然として山積しているままである。
 この本は、著者の遺稿集として出されたものだが、わかりやすい文章と身近な具体例で構成されている。読者にわかりやすいように、実践に結びつくようにと、意図されているのが手に取るように伝わってくる。はじめて読む人にもとっつきやすい本である。

 なお、前述の学習会は現在、生前ずっと著者の助手を務めておられた木下救子さんが、著者が行っていたスタイルを引き継いで、継続して行われている。関心のある方は発行元の看護人間学研究会に問い合わせてみてほしい。

『看護人間学教室』神戸宿泊学習会のお知らせ
◆学習会の目的
 看護は「人間相手」の「援助」であることはいうまでもありません。しかし、「人間相手」も「援助」も、少し考えてみると、たいへん難しいことです。いつの間にか「人体相手」となり、自己満足的な「人間操作」になりがちです。そして、それを臨床の看護活動のなかで気づくことは、なかなか難しいのです。
 日頃の私たちがやっている「看護」は、どんなふうになっているのか。それをあらためて問い直し、そこから、どうしたらいいのか、を探求する学習会が、この人間学教室です。
   ◆学習方法
 現実の患者の問題をとりあげ、討議やロールプレイングなどを通して、徹底的に考え合おうというのです。「首から上の学習」ではなく「内蔵も参加する学習」の場にしたいと考えています。「看護」の仕事をしている人たちには、こうした集中的な学習の機会を、1年に一度くらいは持ってほしいと願っています。
 「人間の看護」の学習を望まれる方は、どなたでも歓迎します。
◆日 時  1997年6月26日(木)13:00〜28日(土)16:00
◆会 場  神戸タワーサイドホテル(神戸市中央区波止場町6−1
◆参加費  38,000円(宿泊費・食事代・資料費等含む)
◆参加ご希望の方はFAXまたはメールでお申し込みください
看護人間学研究会 木下救子 FAX 078(927)9645
BYQ10124@niftyserve.or.jp

つうしん No.64 をさしあげます。
看護人間学教室 つうしん は、A5版 15pの小冊子です。
80円切手をはった返信用封筒を送っていただいた方に、つうしんをお送りします。
ご希望の方は、事前に、連絡先を、FAXまたはメールで、お知らせ下さい。
バックナンバーもあります。お問い合わせ下さい。
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