Z 就学義務の問題点
就学義務の規定は苦しむ人たちを生み出している。
憲法の「教育を受けさせる義務」にとどめるべきである。
学校教育法22条第1項(小学校)、39条第1項(中学校)は保護者が子どもを就学させることを義務づけ、第91条は、督促に従わなかった場合の罰金を規定している。これは実状にそぐわない。憲法、教育基本法にある、「教育を受けさせる義務」だけで十分である。
どのような教育方法であれ、ある学校が完璧であることも、その学校にすべての子どもが合っていることもあり得ない。学校に合わない場合の救済策を用意しておかないと、とことん追い詰められる子どもができる。しかし、日本の義務教育は、教育方法を文科省方式の1種類しか用意せず、しかも子どもの人権保護規定を欠く学校に就学を強制した。これは、多数の不登校を生みだした。不登校の多くは、子どもは学校に行こうとし、親も学校に行かせようとするが、恐怖、不安などにより行けなくなっているものである。
国際人権A規約第13条第3項が、公の機関によって設置される学校以外の学校を選択する自由を保障するとともに、第4項が教育機関設置の自由を定めるのは、このような事態を防ぐためである。公立学校以外の学校を選べることは基本的人権である。
不登校の増加により、実質的に就学義務と罰則規定は死文化が始まっている。「子どもが行きたがらなければ無理させない」ことは、ある程度定着してきている。しかし、それは、裁量の範囲が広がってお目こぼしにあずかっているにすぎない。教育機関設置の自由と教育選択の自由によって「与えられた教育の中で無理するしかない」状況の解決へと向かわなければならない。
就学義務不履行に伴う罰則規定は、戦前の法制にもなかった。「教育を受ける義務」は存在したが、貧困などのために、罰則を設けてまで就学を強制できなかった。また、戦前は家庭での教科履修を認める条項があった。戦後、個人尊重の理念のもとに社会が再構成されたにもかかわらず、就学については、かえって規制を強めた。
特定の学校がすべての子どもに対して有益であることを主張することは不可能であり、したがって不就学に罰則まで設けるのは無理がある。法律は「普通教育を受けさせる義務」の表現にとどめ、教育行政は親の教育選択の幅が広がるように努力すべきである。
学校教育法は、子どもが学校に合わなかったときの救済措置をいっさい配慮していない。学校に問題があったときの処理方法、学校に不満があるときの処理方法も規定していない。
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