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 教育問題が起こる基本法制構造 
  自主的問題発見と、自律的解決ができない法制度的理由 
1 権利保障の不備  教育の国際標準法制との比較
  日本の法制は
     教育機関設置の自由、
     教育選択の自由
     親の教育権の尊重
     学校内での子どもの人権保護
を欠いている 
 国際的な条約(世界人権宣言、経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約、子どもの権利条約、ヨーロッパ条約)は次のような原則を表明している。これらの原則は、ほとんどの欧米諸国の法制中に実現されている。 
1 すべての人に対する「教育への権利」
2 無償の初等教育
3 初等教育を経験する義務
4 高等教育を受ける機会の均等
5 親が子どもに与えるようと望む教育の種類を選ぶ権利
6 親が公的権威によって維持される学校以外の学校を選ぶ権利
7 誰でも、教育機関を設立し運営する権利 
Eurydice (ヨーロッパの教育データベースhttp://www.eurydice.org/accueil_menu/en/frameset_menu.html)より  

 これらのうち、2(無償の初等教育),3(教育義務の存在),4(教育の機会均等)については、日本の憲法と教育基本法が保障している。
 国際標準との不一致が存在するのは、1(教育への権利),5(教育の種類を選ぶ権利),6(公立学校以外の学校を選ぶ権利),7(教育機関設置の自由)である。 
 1の「教育への権利 ( Right to Education )」は、教育を受ける者の権利である。誰でもが、自分が望む、自分に適した教育を受けることのできる権利である。
 「教育への権利」は、憲法26条の「教育を受ける権利」と同一線上にある。昭和21年の日本国憲法憲法26条第1項は、戦前の「教育を受ける義務」を「教育を受ける権利」と逆転させたことで、教育観の抜本的転換を図った。
 しかし、学校教育法(昭22年)は、文科省基準に従う学校への就学義務とそれを履行しない場合の罰金規定を設けた。それによって、義務教育は戦前と同様に「国によって決められた教育を受ける義務」と見なされ続け、教育が権利であるという理解は広まらなかった。 
5(親の教育選択権)、6(公立校以外の学校を選ぶ権利)、7(教育機関設置・運営の自由)は、日本の「学校教育法」に欠けている。しかし、これらを憲法と教育基本法は、支持していると解釈するのが妥当である。
 教育機関設置の自由と教育選択の自由は、車の両輪として存在するものである。教育機関設置の自由なしには、教育選択はきわめて限られたものになる。 
 教育機関を設置する自由がなかったことが、日本の教育問題を解決困難なものにした。
 一例をあげると、不登校に関しての日本と米国の比較がある。米国においても、いじめ、非行、学力低下などの問題はあり、日本と同様に公立学校に合わない生徒たちが存在する。しかし、米国で、深刻な不登校問題は起きない。その理由は、学校設置の自由があることと、親の教育権を尊重して家庭教育を認める(ホームスクール)ためである。公立学校に行けない場合でも、代替手段が見つけやすく、日本ほど深刻な問題とはならない。 
 学校内の人権保障においても、日本の法制は具体条項を欠いている。
「児童の権利に関する条約」を日本が1994年に批准したとき、この条約に国内法をきちんと整合させていれば、いじめ、学級崩壊、不登校などは、大幅に少なくなっていたであろう。
 特に、「児童の権利に関する条約」第12条(子どもの意見表明権)、第13条(子どもの表現の自由)、第14条(子どもの思想、良心、宗教の自由)、第15条(子どもの結社、集会の自由)、第16条(子どものプライバシーの保護)が、学校教育に関して重要である。


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