2 地方教育行政法
サンフランシスコ講和条約後の国家意識高揚期に、自民党は教育内容統制と左翼教員排除の政策を推進した。「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭31年 略称:地方教育行政法)がその具体化である。地方教育行政法は、教育委員会の公選制を廃し、教育制度のすべてを任命制で固め、上位者の意向が末端まで反映しやすい体制を作った。
戦後改革の目的のうち、地方分権はまったく形骸化し、民意反映はまったく閉ざされた。これが、現在の教育諸問題噴出の根元である。
教育と一般行政の分離は、教育が政治潮流や利権に流されないための重要な原則であるが、地方教育行政法体制下では、民意反映を閉ざす装置として働いた。
戦後の教育界改革で教育の国家統制体制を否定した経過から、文部省は教育を直接に指揮する権限を要求しなかった。文部省は「これまでと変わらない。中央集権にするのではない」と説明し、「指導・助言」という実質的権限を握った。
そのため、文部省の表面的な権限は小さく、各教育委員会に対し、指導助言するという形式しか持っていない。
しかし、「学校教育法」を初めとする国法および付随する政令・省令を通じて、文科省は絶大な権限を握った。「学校教育法」は国法なので、地方の権限より優先した。
長らく、文科省は「指導助言している」という建前の下に、教育を指揮した。このため、教育委員会は、文科省の意向を察して実行する機関となった。教育委員会が自主性を持っていないことがよく批判されるが、それは制度的・歴史的要因が主因であり、現場の「自覚」の問題ではない。
一般行政において、民主主義と地方分権は定着している。いっぽう、教育制度は民主主義原則と地方分権を欠いている。そのため、教育システムは一般行政に比べて、自主的問題発見、自律的解決の能力にはなはだ乏しい。
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