教育基本法改正答申に反対する意見


  法律で縛ろうと言う発想が、気持ち悪い
  教育基本法の不実行が問題を引き起こしている
  現在の社会状況でも、教育基本法は全く有効
  現行のものにとどめるべき

  主婦だからこそ


 
法律で縛ろうと言う発想が、気持ち悪い
 教育基本法の改正案は、一言で言って「気持ち悪い」です。
 個人の精神の自由や、家庭のあり方などについて、また、教員一人一人の資質について、法律で縛ろうと言う発想が、気持ち悪いです。
 こういう発想の元に営まれる公教育は、今後、より多くの不登校児や、ホームスクーラーの出現と言う形で、結果が出ると思います。
 なぜなら、国民一人一人の、教育への権利を全く保障していないからです。
 かえって、思想を縛り、国家が国民を教育する権利を保障するようなものです。
 経済政策、教育政策、医療、どれをとっても、日本の政治は破綻の一歩手前まで来ています。

 そういう今の社会を構成している人が、次の世代にいえることは、「あなたたちはどう思うか、どう生きたいのか、それを一緒に探らせてください。」と言うことではないでしょうか?
 今の大人たちは、はっきり言って、どうすればいいのかわからないのです。
 今、教育に求められているのは、今ある社会に当てはまる歯車を作ることではなく、これからの社会を作り出す思想、力を生み出すことです。
 それは、私たちが答えを与える教育ではなく、子ども達 の中から、答えを作り出す力を引き出す教育です。
 そのためにも、大人を含めた国民に、試行錯誤する権利を与えてください。

(藤本晴枝)



 
教育基本法の不実行が問題を引き起こしている

 現状、教育に関してさまざまな問題が起こっていますが、その問題を教育基本法を改正することで解決できるという考え方の根拠はどこにあるのでしょうか。
 教育基本法が現在の諸問題を引き起こしていると考えるならば、まず、どの条文の何が問題で、どんな問題を引き起こしているのかを明らかにすべきです。
 しかも、改正の検討内容は教育を規定し、市民を拘束する可能性がさまざまに潜在しています。
 今日の国際社会の情勢の中で、あえて教育基本法を改正する真意が、日本の全体主義的傾向を意図していると詮索されても仕方ないのではないでしょうか。
 特に、「国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養」は今の国際状況と重ねると、とても危険な解釈が可能です。多くの国民、自治体がイラク攻撃に反対を唱えている中で、米国の先制攻撃を支持する国のあり方が、その危険性をさらに強めています。

 教育基本法が問題を引き起こしているのではなく、その不実行が問題を引き起こしているという「中教審の教育基本法改正案に対する意見」は、まったくその通りであり、賛同します。

未来資産研究会 伊藤 篤 )


 
現在の社会状況でも、教育基本法は全く有効

 改訂に反対です。今このタイミングでは、どうしても右傾化していきかねないです。改正すべきは、学校教育法と地方教育行政法でしょう。この二つの法律によって、教育基本法の前文に始まる高らかな思想は形骸化されていると考えています。と読むことができるはずです。
(平野 慶次)


 
現行のものにとどめるべき

 私は、教育基本法を現行のものにとどめておいていただきたいと考えています。
 風土や郷土への愛情、自国への思いは湧き上がるものであり、とりたてて「愛国心」として教え込むようなものではないと考えています。むしろ、景観を整備したり環境を守ったり、言葉や文化を守り伝えていく努力の中で、子ども達の心に自然と培われていくと思います。
 また、10条は、教育における精神の自由を保障するものとして大変価値のある条文だと思います。この条文には手を加えず、むしろもっとこの法を活かして、教員や学習指導要領、教科書検定などを文科省や教育委員会の管理から自由にしていくこと望んでいます。
(奥村 知亜子)


 
主婦だからこそ

賛同します!!

 実はメールを打つまでに少し時間がかかってしまいました。
なぜか・・・私が何の団体にも属さないただの主婦だから。気の利いた意見が浮かばなかったから。自分の無力感と戦わなかったから。この運動に賛同しながらも自分の問題として考えなかったから。

 そして今日またしても戦争がはじまりました。それはなぜか・・・
 私がたった一つのメールを打つのにためらっっていた理由と同じものをそこに見ました。私は力のない主婦だから。この戦争を自分のものとして考えていなかったから。自分の無力感と戦わなかったから。

 私は主婦だからこそ、子を持つ一人の親だからこそ、権力を持たない市民だからこそ行動しなければならない、いいえ行動したいと思います。これからは、真実を表す時代は我々が動かすのではないかと思ったのです。今までの価値観で育った者たちがもたらす物が戦争ならば(戦争を容認する社会ならば)その価値観こそ違っているのではないでしょうか。我々が人間として誇れる社会を気づくために新たな価値観に基づく教育を考え直したいのです。それは教育のプロでもなく、お役所の仕事でもなく未来を担う子供の親である我々こそがはじめることなのですね。
 皆さんの活動を通して教わりました。ありがとうございました。
 今やっと目覚めたことが無駄にならぬよう出来ることからはじめたいと思います。
(田中美嘉)


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