教育行政の条項は、政治的、官僚的支配の排除を意図していた
 戦前、教育行政は「国家が教育に関して命令権を実施する行為」であり、小学教員とは「国家の命令により教育事業を担任する者」であった。
 学校は市町村長が設置、管理し、一般行政と分離していなかった。地方自治はなく、知事は中央から任命された。

 このような教育と政治が一体化した構造は、軍国主義教育を生む原因となった。それに対する歯止めをいかに作るかが、大きな課題であった。そのため、政治と官僚の支配から、教育をいかに独立させるかが、戦後教育改革の大きなテーマとなった。
 しかし、行政や財政をまったく排除しては教育システムが維持できない。そのため、教育行政は教育を支配せず、条件整備を行うのだ、という教育基本法第10条ができてくる。

 教育基本法の具体的立案は、1946年秋から行われ、文部大臣田中耕太郎が主導して文部省官房審議室で原案を作成し、これを教育刷新委員会が審議し、さらにCIE(占領軍の文化情報教育局)の諒解を求めていた。教育行政の条項は、教育を政治と行政からいかに独立させるかに主眼が置かれていた。

「不当な支配」が挿入された経過
 教育行政条項における「不当な支配」は、政治的、官僚的支配を意味していた。その立案過程を追うと

 教育行政条項の当初の案は、「学問の自由と教育の自主性を尊重し」いう表現であった。

 それに対し、CIE(占領軍の文化情報教育局)は、「教育の自主性」の訳語 Autonomy of educationは教育者の独断につながるとして変更を要求する。

 文部省審議室、教育刷新委員会、CI&E三案を比較検討し、1946年12月21日の教育基本法要綱案で、「政治的又は官僚的支配」という表現が登場する。
「教育は、政治的又は官僚的支配に服することなく、国民に対して独立して責任を負うべきものであること。
学問の自由は、教育上尊重されなければならないこと。
教育行政は、右の自覚の下に教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならないこと。」

 1947年1月15日の教育基本法案に、「不当な」が登場する。
「教育は、不当な政治的または官僚的支配に服することなく、国民に対し、独立して責任を負うべきものである。
教育行政は、右の自覚のもとに、学問の自由を尊重し、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」

 この次の案である1月30日の案で、「政治的官僚的支配」がなくなり、「不当な支配」となる。この箇所に、以後の変更は無い。
 「教育は、不当な支配に服することなく、国民に対し直接に責任を負うべきものである。
教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」

 資料1により詳しい変化の表がある。

田中耕太郎の教育権独立論
 田中耕太郎文部大臣は、教育権独立の構想をもっていた。つまり、教育を政府からも議会からも指揮されないようにしようとしていた。その根本的な考え方は、教育は文化現象であり政治や行政の支配に服すべきでない、というものである。
 田中耕太郎は、全国をブロックに分け、それぞれの帝大総長が教育行政を管轄する「大学区構想を打ち出す」。しかし大学区構想は、内務省の反対と、教育委員会構想との衝突で消える。

 しかし、教育権独立の構想は、教育基本法第十条に引き継がれる。「新憲法と文化」(1948)で、田中は第十条の意味に触れて「教育は政治的干渉から守られなければならぬとともに、官僚的支配に対しても保護せられなければならない。」という。

 その理由は教育そのものに深く根ざしている。教育は文化現象であり、国家統制、官僚統制になじまないものである。教育者の使命は、宗教家、学者、芸術家などと同じ性質のものである。だから、小学校から大学にいたるまで、学校の種類の間に官庁のような上下関係があってはいけない。所管する官庁と学校の間にも、官庁的な上下関係があってはいけない。

 教育基本法第十条の、「不当な支配に服することなく」には、単に官僚の横暴な支配を戒めたものではなく、学校を官庁的な指揮系統に組み込むな、という意味も込められていた。

2006年の政府改正案における『不当な支配』
 2006年の改正にあたり、立案の過程では、16条は「教育行政は不当な支配に服することなく...」という文言が存在した。これは、教育行政を聖域に置き、教育行政自体が教育に対する不当な支配になり得ることを、まったく排除するものであった。これは、日本教育の最大のガンである官僚支配を、野放しにするに等しい。

 しかし、国会に提出された政府案では主語が「教育」となり
「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、...」(第16条)
となった。これなら、16条は教育の独立性を保つ手がかりになっている。

 「不当な支配」であるが、社会的有力者からの教育への介入は、誰が見ても不当だとわかる。しかし、議会あるいは政治家は選挙民の意思の名の下に教育の専門性を侵す可能性がある。また、行政機構ないし官僚は、「規則だから」の名の下に実情に合わないことを押し付ける可能性がある。だから、法律で、政治的支配と官僚的支配から教育を守る必要が生じるのである。

 実際、現在の公立学校は行政機構の末端に位置づけられ、規則と前例と繁文縟礼で窒息しかけている。政治と行政に対してこそ、「不当な支配である」として教育を法律で守ることが必要になる。教育基本法改正後も「不当な支配」の文言は残っている。これは、政治的支配、官僚的支配に対する歯止めとして利用すべきである。

上位法としての価値を弱めた
 だが、現行の法体系のもとでは、16条の条文は実質的に文科省権限の強化として働くであろう。
 なぜなら、現在の『学校教育法』は、「〜は文部科学大臣がこれを定める」として、文科省の省令に多くの権限を集める構造だからである。議会を通さずに文科省が多くのことを決定できる。それが法律の定めなのである。
 そのため、改正案に「この法律及び他の法律の定めるところにより」を挿入したことにより、文科省権限に対して、教育基本法からチェックアンドバランスを図ることが難しくなっている。

 ただし、「法律の定めるところにより」を挿入したことは、法律通りにやるのが教育基本法の意思だ、ということになるので、教育基本法の上位法としての性格を弱めるものである。下位の法律しだいで、どのような方向にも行きやすくなる。

 今後、『学校教育法』を中心として文科省に集められた教育運営権限の多くを、地方と学校に移譲していくことが重要になるであろう。また、教師、生徒、保護者の運営参加権を確保しないと、いつまでたってもお役所仕事が変わらないであろう。
 中央集権型から学校裁量を増やして改革に成功したフィンランドが、よいモデルとなるであろう。


参考資料
「教育行政」鈴木栄一 東京大学出版会 1970
「資料教育基本法50年史」 鈴木栄一、平原春好編 勁草書房 1998  
「教育基本法の理論」 田中耕太郎 有斐閣 1961
「新憲法と文化」 田中耕太郎 国立書院 1948

トップに戻る


07年2月15日 古山明男  (引用・転載・リンクを歓迎 但し商業的利用を除く)

「不当な支配」とは政治的、官僚的支配