冗談の部屋
モノポリーにおけるQOLを考える
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モノポリーにおけるQOLを考える
最近、医学界のみならず新聞などで多くとりあげられる言葉に、
「QOL(Quality of life)」というのがある。
主として末期癌患者について使われる言葉である。
「従来の癌の治療は、主に余命の延長という方向で行われて来たわけであるが、多少余命は短くても、
残りの命を痛み少なく少しでも充実させたほうが、より人間的ではあるまいか」、
といったことが問題になっているわけだ。
これは「尊厳死」−「インフォームド・コンセント」
といった事柄とも関連があってなかなか難しい話なのだが、
どうして差し込み口の場所を教えることがそんなに問題なのか私にはわからない。
話はガラッと変わってモノポリーである。
当会で近年ずっと評判の悪いこのゲーム、私に言わせれば、「負けてくやしく、勝って後味が悪い」
(このゲームで勝ったあと、口喧嘩で相手を言い負かしてしまったあとのような寂しさを感じる人、私のお友達です)
ということになるのだが、負けるくやしさのうちに、
「一度大打撃を被ると、回復がほとんど不可能である」という案外見過ごされがちな一点がある。
たとえばゲーム中盤、ついうっかり家3軒のボードウォークに飛び込んでしまった
(カードを引いてならショックは格別)。
現金と、家2軒ずつ建つ赤グループを手放してもまだ足りず、わずかに残ったのは、紫グループ
(しかもバルティックは抵当)と現金24ドル。
さて、このプレイヤーは残り45分をどのように過ごしていけばいいのでしょうか。
当然のことながら、破滅はすぐにやってくる。
今度は他のプレイヤーの「ニューヨーク家2軒」に止まってしまうのだ。ここからが本題である。
私なら、「破産!」と叫んで一切をニューヨークの地権者に譲り渡し(もちろん投げつけたりはしない)、
別のテーブルにコーラでも取りに行くのだが、上級者と言われるなかには、
次のようなことをおっしゃる方もいる。
「たとえば、半分裏の紫グループを250ドルで買いましょう、といった温かい援助の手(少なくとも36度Cはあるだろう)
があればありがたく受け、性急な破産は慎むべきであーる。
早いうちからひとりに富が集中してしまうと、ゲームのバランスが崩れてしまうので、
他のプレイヤーにも配慮して、ね」
はいはいそれではそうしましようか。
で、ビクビクしながらの3周後。
今度は家3軒のアトランティックが待っていた。
ここで先の話題に戻る。
「この3周の間のQOLは?」
皆さん評価してください。
大体、他のプレイヤーに対する配慮なんぞを考えた時点で、これはゲームではなくなっている。
資産がなくなったら断固破産する権利が、モノポリープレイヤーには与えられるべきである。
本来モノポリーなんてものは、サイコロの目に一喜一憂してキャアキャア騒ぎながらやるものではないのか。
囲碁将棋なみの小賢しい戦術論が影をひそめた時、当会でのモノポリーの復権は約束されよう。
(瀧慶治)
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