ゲーム論


昭和のゲームが世界を救う

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 ゲームとは現実のシミュレーション(模擬)です。子供にとって現実や大人の世界というのは、なかなか手の届かないところです。「もの」についても、自分の金を持たない子どもにとって、例えば家や車や欲しいと思っても買うことはできませんし、大人も子供にそのようなものは必要ないと思っています。そこで玩具が登場します。玩具は安く現物の代わりをしてくれます。また玩具は遊びかたが自由です。独楽、凧、人形…どのように扱っても良いのが玩具の良いところです。別に独楽は回さなくても良いし、凧も揚げる必要はありません。このような意味で昨今の遊び方の決まった玩具よりも、昔の玩具は子どもの想像力を豊かにするといった意見もあります。

 しかし、玩具で情緒は豊かになりますが、人と人との間の競争はありません。平和主義のものと言えるでしょう。ところが現実の社会は決まりだらけで勝ち負けだらけです。努力をして目標を達成しなければなりません。嫌でもゲームをしなければならないのです。競争相手はいなくても試験はあります。試験がなくても努力なくして就職、結婚などできません。通学・通勤や恋愛さえできないでしょう。人生はあらゆる場面、あらゆる瞬間がゲームなのです。

 ゲームは現実の模倣と書きましたが、玩具遊びと違うことが3つあります。遊び方にルールがあること、始めと終わりがあること、勝ち負けがあることです。ゲームは玩具より現実に近いと言えます。実生活で役立つのです。実社会は競争です。朝起きれば時間までに職場に行かなければならない、買い物にいけば予算内で買わなければならない。人生は常に決断をし、良い結果を目指すゲームなのです。子供がゲームをすることは現実の模擬訓練です。ゲームをすることによって子供は世の中に勝ちと敗けがあること、勝つと得をすること、努力をすると勝てること、運というものがあって運が良いと勝てることがある、実力があっても負けることがある、というようなことを学習します。子供には、現実の世界には勝ちと負けとがあること、そして負けるということを教えなければなりません。差別になるから、かわいそうだからと、通知表をオール3にしたり、運動会で順位をつけなかったりするのはいけないのです。

ゲームの良いところは終わりがあり、終わるとゲーム中の戦闘状態がなくなることです。ゲームの中でどんなに偉くなっても、どんなにお金を儲けても、貧乏になっても、死んでも、ゲームが終われば皆平等です。これがゲームの最大のメリットです。ゲームは時間の浪費で何も得るものがない、という人がいますが、そんなことはありません。ゲームは大金を使ったり、危険な目に遭ったりせずに現実の世界を体験できる便利な道具なのです。株式のゲームを体験することにより、株で損をする(ことがある)ことを知り、製造業のゲームをすることにより、ものの販売価格というのは原価よりも遥かに高いことを知り、政治のゲームをすることにより、政治家は金持ちのいうことを聞いて貧乏人をだますことが最も得策だということがわかります。ゲームをして育った人間は、ゲームのときに犯した失敗を現実の世界で犯さなくて済むのです。もちろんゲームをしても学ばない人間もいますが。

 ゲームの効能は勝とうと努力をすることです。例えば老人福祉施設などでは、運動をさせようとしても面倒臭がる人がいて、なかなか積極的に体を動かしてくれないそうです。ところが同じような動きをゲームでさせると、勝とうとして積極的に動かすそうです。体を動かさないと老化しますよ、といってもなかなか分かりにくいのです。ところがゲームとなると変わります。今申し上げた手を上げる動作も、たとえば紙風船でバレーボールをしたり、わかった人は手を挙げるといったゲームをしたりすると、元気よく手を挙げてくれるそうです。ゲームはリハビリにも使われ、こういう活動は遊びとリハビリテーションを合わせて遊びリテーションと呼ばれています。長い目で見ることができれば、体を動かすことが良いことは理解できますが、すぐに行う必要性がないとなかなか実行できないものがあります。ゲームは短時間で終わりますが、そこでは集中して努力することができるのです。麻雀は頭の体操と手の運動になって良い、という意見がありますが、それはアナログゲーム全般に共通する特徴なのです。たかがゲームではなく、もっと評価されて良いと思います。

 回想法、あるいは懐古療法というものがあります。アメリカのロバート・バトラーという医師が始めた療法だそうです。回想法は、高齢者の思い出に対して専門家が共感的に受け入れる姿勢をもって働きかけることにより、高齢者に人生に対する再評価や自己の強化を促し、心理的な安定や記憶力の改善をはかる療法です。認知症高齢者では、すぐ前のできごとを忘れてしまっていても過去のことを覚えています。そのような認知症高齢者の記憶を引き出し、懐かしい・楽しいといった思い出を蘇らせることで精神的に心地良い環境を作り出し、認知症の進行を遅らせたり、精神的な安定をはかったりする療法です。過去を思い出せることにより脳が刺激されて認知症などが改善するそうです。たとえば認知症の人に昔の音楽を聴かせると、その当時のことを思い出すそうです。人間は10〜15歳頃の記憶が日常生活の行動として重要で、この頃の記憶を失うと日常生活に支障が出る、例えば認知症の状態になるそうで、この頃の記憶を思い出させることが良いそうです。子供のころの遊びの記憶は誰にとっても楽しいものではないでしょうか。懐かしい遊びによって記憶を思い起こし、また手の運動によって脳が活性化されるなら一石二鳥というものでしょう。

 技術の進歩により、ゲームは大変高度化しています。ゲームは現実の模倣だと書きましたが、昔は単純な真似だったのに、今のゲームは非常に現実に近づいています。昨今のゲームは画像も美しく速度も現実並みに高速化しています。そのため現実との境目をつけられない人間を増やしています。ゲームで飛行機を操縦できるようになった人間が、本当に旅客機を操縦できると思い込み機長を襲うという事件がありましたが、その典型というべきでしょう。ゲームと割り切れる人には、リアルなゲームほど面白いのでしょうが、悪影響も考えなければなりません。

昨今、テレビで頻繁にゲームのコマーシャルが流れています。これほどゲームをしようと訴えかけている時代はなかったように思います。昔のゲーム会社と今のゲーム会社には、その思想が大きく違っているように思います。自分の売っているゲームは面白い、楽しい、そこは同じでしょう。しかし根本が違っているように思います。昔は、いかにゲームをして楽しんでもらうか、いかに楽しい時間を過ごしてもらうかを考えていました。それは勉強や仕事の合間の余暇をいかに楽しんでもらうか、ということに主眼が置かれていたと思います。今は、いかにゲームにはめるか、はめて神経を麻痺させて、お金を使わせるか。そのために仕事も勉強もせずにゲームをしろ、と言っているような気がします。それはつまり自分がいかに金を取るかが重要で、ゲームをする人が良く学びよく遊び、ではなく、とにかく何をおいても遊べ、遊べ、と言っているような気がします。そして何よりも多くのゲームが大人向けです。模擬訓練としては役に立たないものであると言えます。大人向けなら、仕事や生活の合間の息抜き・気分転換になるものであるべきでしょうが、実際のところ夢中にさせて時間を奪うものや神経を集中させて疲労を増すものが多いようです。

 仕事場で、家庭で、電車の中で、喫茶店で、大勢の人間が四六時中ゲームをするようになってきています。それだけ余裕ができた、と喜んではいられません。もっと大事なことをせずに、知らないうちに時間と金をつぎ込んでしまう。それはプレイヤーが単にゲーム会社に負けることだけでなく、社会が負けることです。勤務時間にゲームをすることや、睡眠時間が減っていることによる経済的損失などもいろいろ発表されていますが、本や新聞を読まないことによる教養の低下など、もっと大きな損失が考えられます。

みんなが勝てるゲームを作り、それを遊ばせ、それで遊んでこそ、社会全体としてゲームが役に立っているということができるでしょう。昭和のゲームを見捨ててはいけません。昭和のゲームの思想こそが、みんなが健康で幸せになる道といえるでしょう。

(「昭和のゲーム大集合展」図録(2015.7)に収録)


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