季刊かすてら・2002年秋の号

◆目次◆

軽挙妄動手帳
奇妙倶楽部
編集後記

『軽挙妄動手帳』

●不定形俳句●

『奇妙倶楽部』

●世界虚事大百科事典●

加々美直哉(かがみなおや)

 1899‐1967(明治32‐昭和42)
 劇作家、演出家、舞台美術家。父は近代建築の先覚者の一人加々美左右吉。弟は舞台俳優の佐々木芳雄。19歳で、のちの築地小劇場創立者土方与志の模型舞台研究所に加わり、東京工業学校卒業後、1925年、砂原小劇場上演『桜の園』の象徴的装置でデビュー。1928年劇団痴愚神社を結成、30年代には『幽霊』や『朝食』など、当時としてはあまりに前衛的な舞台をつくりだす。特徴は、ほとんどの舞台で俳優が一人も登場しない事で、物語は家具や食器など大道具小道具の動きと声のみの台詞で進められた。道具類は機会じかけや舞台下からの操作、天井からテグスで吊って動かすなどの方法で動かした。人物は完全に透明で、その動きは靴や帽子、眼鏡などの動きと、人物たちが動かす食器や新聞、椅子、抽出しなどの動きで表現され、人間はもちろんその衣服も登場しない。「透明人間の芝居」と一時評判になった。会場内は意図的に温度を上げ湿気を立ち籠らせて、不快指数を上げた状態で上演された。その演出の前衛性に比べると筋立ては何気ない日常の一こまを切り取ったような物で、現代で言うホームドラマのような物だった。なぜこのような演出をしたのかさまざな人が訊ねたが、加々美はこれに明確な答えをする事はなかった。
 戦後は四十分間舞台中央で蝋燭が燃え続けるだけの『蝋燭ショー』など、極端に抽象化された作品が増え、これを理解する者は、台頭して来た前衛的小劇場運動の作家たちを含めてほとんどいなかった。

シクパプ族

 中国広西チワン(壮)族自治区北東部、桂林地区に住む少数民族。この地域は垂直に切り立つ棒状の石灰岩の奇峰で有名だが、シクパプ族はこの壁面を住居とする民族である。一般に壁面居住と言うと、洞窟を利用したり穴を掘ったりして住居とする場合が多いが、彼らは壁面から水平方向に張り出すように住居を建てる。家の構造は簡単で、竹などで作った床板の一辺を壁面に彫り込んだ溝に押し込み、対する辺を壁面に打ち込んだ登山のハーケンのような釘に引っかけた綱で吊り下げる。こうして作りだした水平の床板の上に、テント様の住居が作られる。住居間の交通は、壁面に取り付けられた梯子を伝って行われ、地元で他民族は彼らの村を「梯子の村」と呼んでいる。
 主な産業は養蜂による蜂蜜の生産だが、南向きの壁面では一種のプランターを利用した芋や葉采類の栽培も行われている。
 近年、上海の高層ビルの壁面に不法に住み付くシクパプ族が問題になる一方、「高層建築の著作権は我々にある」と主張して全世界の建設会社を相手に訴訟を起そうという運動が始まっている。これに対し中国政府は「地に足が着いていない」と批判したという。

リヒター 1898‐1962

 ドイツの作曲家、音楽人類学者。ウィーンで1919‐23年にシェーンベルク、ウェーベルンに学び、世界のあらゆる人種、文化の異なる地域での溜め息の録音、採譜を行う。比較文化論の音声論的な論文を執筆しようとするが、果たせなかった。途中から、独自の溜め息の「作曲」に熱中し始めたためである。五線譜には書き表す事が不可能で、独自の溜め息楽譜を考案する。25年にベルリンに移り、そのころより共産主義者として社会活動に参加、社会に関する論文とともにその方面の溜め息を多数作曲。また溜め息とオーケストラによる『メランコリー』(1935)などを発表。第2次世界大戦中はアメリカに亡命、ハリウッドで劇音楽に従事。48年帰国後の作品には、『鬱』(1949作曲)など多数の溜め息がある。遺言により、葬儀には自作品を演奏したため、溜め息に満ちた葬儀となった。

イスコランド

正式名称=イスコランド共和国
面積=0km2
人口(2002)=0人
首都=ノレイゾソビーワクフ(日本との時差=−9時間)
主要言語=イスコランド語
通貨=ガクル
 オーストラリアのあるサークルが作りだした国家で、国土もなく国民もおらず、かといってコンピュータの中に構築された架空の国家という訳でもない。では、イスコランドは存在しないかと言うと、これはあるとしか言い様がない。イスコランド語を話し、読み書きする人々がおり、イスコランド語を学ぶ人たちがいる。また、通貨ガクルの為替相場は刻々と変動しており、当初1ドル=1ガクルで売り出されたが2002年八月現在ではおよそ1ドル=2.8ガクルである。1989年頃誕生したこの国は、普及し始めたインターネットを通じてあっという間に世界中で国として認知された。最初は、仮想ペットなどのようなインターネット利用者の好む遊びとして発達した。しかし現在ではイスコランド語で利用できるソフトウェアなども開発され、もちろん英語ほどには普及していないが、この言語はインターネット内の公用語の一つとなりつつある。2001年までインターネット内にしかなかったイスコランド語教室だが、2002年三月にアムステルダムに、四月にはメルボルンに専門の学校ができた。また、十一月にはトロントと仙台にも開校予定である。通貨ガクルは現実に活発な取引がなされており、これにより財をなす者や破産する者まで出ている。現在市場には、百億ガクルが出まわっており、不正な取引がないよう、誰がどれだけのガクルを持っているかが取引者相互によって厳重に監視、管理され、情報は常に公開されている。実際に動くのは抽象的な数値だけで、ガルクという貨幣を見た者は誰もいないのであるが。
 イスコランドには国土も国民もないにもかかわらず国の資産がある。ガクルを売り出した際の百億ドルである。これは銀行に預けられ、年々利子を増やしている。また、どういうわけかイスコランドに寄付をする者が時折いる。イスコランド自体は国として何の活動もしておらず、歳出ゼロなので国の資産は増える一方である。この預金残高は常に公開されていて、不正に持ち出したりできないようになっている。
 イスコランドは「内部」としては存在しないが、「外部」からは存在する国なのである。

アロイキ語

 南米北部、アルゼンチンのアコンカグア山中に住むインディオ、アロイキ族が使用する言語。22,000人(2002)により使用されているが、年々使用者は減っており、保存のための活動が活発になっている。ケチュア語に似た語彙と文法を持っているが、コロンブスのアメリカ大陸到着以前に漂着したバイキングに影響を受けているらしく、古ノルド語の特徴が見られる。
 この言語の最も大きな特徴は、「少々」や「大変に」などといった程度や等級を表す副詞や形容詞を話者の身体の痛みの程度で表現する事である。すなわち「少し」や「軽微な」という意味を表す時には、軽く自分の体をつねったり叩いたりし、「すごく」や「大いに」という意味を表す時には、強くつねったり石や棒で殴りつけたり、さらに大きな程度を表す場合には身体を傷付ける事もある。当然のことながら最大級の程度を表すには、最大の苦痛である死を持ってする。アロイキ族では最初の男子が生まれた際、父親が自分の喜びを表そうとして腹を横に割いて内蔵を掴み出す事がしばしば行われる。日本の切腹との類似を指摘する文化人類学者もあるが、無関係であろうというのが現在の定説である。
 アロイキ族で以前から問題になっている事に「虚構」や「伝聞」がある。老人が子供たちに神話や伝説を語り伝えている時にしばしば起こる事であるが、聞き手を喜ばせようとして表現を誇張し、結果として話者が死に致る事がある。元々文字を持たなかったアロイキ族に、西欧人が「文学」という概念を持ち込んだ事により、この問題は更に混乱を極めており、アロイキ語使用者減少の原因の一つになっている。現在、アロイキ族の学校では生徒に「朗読」という事をさせてはいけないだけではなく、朗読という概念の存在すら子供たちから隠そうとしている。
 これに対し言論の自由と自民族の言語文化を守ろうとする少数の文学者が抗議しており、街角で詩の朗読会を催したりしているが、朗読者が興奮して自傷から死に致ることが多く、急激に活動を低下させている。

懐祭(フアイジ)

 中国南西部、雲南省の山間の村。人口5100(2002)。彫刻や陶器などの生産をを中心とする農業と工芸品の町。1180年ごろ村立。住民のほとんどは少数民族白(ペー)族であるが、文化は白族のそれとは大きく異なっている。ほぼ全員が仏教徒であるが、交通の便の悪い山間の盆地で長年自給自足的な経済を送ってきたため、独自の仏教を築き上げている。仏教では人間の輪廻転生が信じられているが、この村では都市や村の輪廻転生が信じられており、滅びた村も世界の何処かで転生しているといわれる。そして懐祭村民はこの村がイタリアの古都市ポンペイの生まれ変わりだと信じている。どうやらこれは、この村の建築物がこのあたりでは珍しい石造りであり、内装にモザイク画を施す習慣が、発掘されたポンペイと類似している事から発想したと思われる。ポンペイ発掘以前から、モザイク画の習慣はあった物の、彫刻や陶器などを作るようになったのはポンペイの文化に刺激を受けて始められた物らしい。村には煉瓦で舗装した道路、煉瓦造りの水道、石造りの寺、劇場、公衆浴場などがあるが、いずれもポンペイをまねて作られたものである。陶器や彫刻などが特産品となり流通する以前、村には現金収入がほとんどなく、ほぼ完全な自給自足の生活であったが、気候が温暖で特別な手入れをしなくても農作物が良く育つため、これらの公共施設を作るための余剰労働力が充分にあったらしい。十八世紀には既に西欧風の葡萄酒を作っており、これもポンペイの影響と思われる。村の東側にある浴場の壁面には、男湯にも女湯にもモザイク画でベスビオ火山が描かれている。

◆編集後記◆

 ここに掲載した文章は、パソコン通信ASAHIネットにおいて私が書き散らした文章、主に会議室(電子フォーラム)「滑稽堂本舗」と「創作空間・天樹の森」の2002年7月〜9月までを編集したものです。私の脳味噌を刺激し続けてくれた「滑稽堂本舗」および「創作空間・天樹の森」参加者の皆様に感謝いたします。

◆次号予告◆

2003年 1月上旬発行予定。
別に楽しみにせんでもよい。

季刊カステラ・2002年夏の号
季刊カステラ・2003年冬の号
『カブレ者』目次