148. 子安神社の湧水(八王子市)

著者=近藤 純正
東京には多くの湧水がある。2016年4月から各地湧水の調査を開始した。(完成:2016年7月10日)

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東京には数多くの湧水がある。水道のない時代、人々は湧水のある所で暮らすことができた。 東京には谷など水と関係のある地名が多い。お茶ノ水、鴬谷、四谷、千駄ヶ谷、などなど。

東京都環境保全局が調査した湧水の水質や水温などの資料が1980年代からある。調査は途中で中止 されたが、引き続いて首都大学東京の松山洋教授の研究室が毎年2回ほど測定している。貴重なデータ である。湧水は、大災害で都市水道が出なくなったときに利用することができる。

湧水は、地中の深さ数メートルから10メートルほどの地温と同じ温度で地表面に湧き出した ものである。温泉などを除けば、地中温度は年平均気温より0.5℃ないし2℃ほど高く なっている。それゆえ、湧水の温度と年平均気温の差は0.5℃ないし2℃である。

この温度差は何によって決まるだろうか?湧水の周辺地域が森林など植生で覆われていれば 温度差は0.5℃前後であるが、ビル街となれば地温が上昇し温度差は2℃前後になる。 私は気象学のうち、特に風や熱エネルギー・温度のことを専門に研究してきたので、このことがわかる。

それゆえ、湧水の温度を長期間測ると、その地域の環境変化がわかることになる。環境変化に は、地球温暖化や大都市なら都市乾燥化も含まれる。湧水の温度は季節によってわずか しか変化しないので、年に2~4回程度の測定でよく、普通に行なわれている環境変化の 調査に比べて桁違いに楽で、予算もわずかしか要らない。水温は0.1℃の精度で測る 必要があり、その目的の水銀温度計は8千円ほどである。なお、料理用その他で使われている デジタルのサーミスタ温度計は精度が1℃であり、湧水の測定には向かない。

松山洋教授から30年間の湧水温度のデータをもらって計算してみると、都市化されて 植生面積が減り、ビルが増加するほど湧水温度の上昇が大きいことがわかった。 そうして2016年4月からは、各地湧水の実地見学と調査を開始した。

これら湧水の中で、水温の測定値と計算値が大きくずれるものが二つほどある。八王子市の 子安神社の湧水と国立市のママ下湧水である。家庭からでる温水など人工的な熱の 影響などが考えられる。そこで、子安神社の湧水を詳しく調べることにした。

東京駅から中央線快速の一時間余で八王子駅に着く。駅から北北西に2.5kmに子安神社 がある。写真①に示す石垣の下から湧き出ている。長靴にはき替えて水温を測ってみると、 場所によって異なり、東側の石垣下端から湧き出る水に比べて北側の石垣下端からの水温が 0.5℃ほど高い。温度の高い湧水は、この近所の住宅地のマンホールの近くか、地表面に 近い深さを流れてきた水であるのかもしれない、つまり人工熱などの影響を受けている 可能性がある。それならば計算とずれるはずだ。

子安神社の湧水
写真① 子安神社の湧水、南から北に向かって撮影。

野菜を洗う女性
写真② 湧水の流れで野菜を洗う人。

池の西側から小川となって水が流れている。この水で野菜を洗う女性や(写真②)、 多数のペットボトルに水を汲んで車で運ぶ男性がいた。私がここに来るたびに出会う。 湧水池の一段上には子安神社があり参拝する人が時々やってくる(写真③)。

子安神社
写真③ 子安神社。

八王子駅の絹の舞
写真④ JR八王子駅北口前の塔にかけられた「絹の舞」、北口から北方を撮影。

JR八王子駅に戻ると、それまで気づかなかった八王子城を模した塔に虹色に輝く文字 「八」の帯が掛っている。案内板には次の説明がある。

マルベリーブリッジと絹の舞
「桑都」とは、八王子の美称で、かつて西行法師が詠んだと伝わる
「浅川を渡れば富士の影清く 桑の都に青嵐吹く」
に由来する。

八王子城主北条氏照は、南関東随一の八王子城を天正年間に築き、八王子の基礎を開いた。 室町時代には滝山袖を産し、天正18年(1590)、八王子総奉行の大久保石見守長安の 采配により、横山、八日市、八幡の三宿が、現在の市街地に移転し、毎月6回の定期市が 開かれ、八王子織物の流通が活況を呈した。

また、幕末から明治にかけて八王子は、横浜への要所となり、いわゆる「絹の道」を通して ヨーロッパへの輸出用生糸が運ばれ、織物のまちとしての歴史的遺産を今に伝えている。

八王子駅北口整備事業の推進にあたり、先人たちが歩んできた織物のまちの伝統を二十一世紀 へと継承するため、この地にあった「織物の八王子」のシンボルタワーに代わって、 マロニエのシンボルロードに続くこの橋を「マルベリーブリッジ(桑の橋)」と命名し、 八王子城を模した塔に明日を開く「絹の舞」を飾った。 これは、未来に向かって、八王子が力強く飛揚する夢を託したものである。

平成十一年十二月吉日 八王子市

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