108. 二宮尊徳(金次郎)

著者=近藤 純正
小田原市栢山の二宮尊徳記念館に立ち寄り尊徳の生家を見学し、善栄寺境内にある 尊徳の少年時代の像と墓を見学した。 (完成:2013年3月5日)

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2012年6月3日、神奈川県酒匂川の堤防を歩いて下り、小田原市栢山(かやま・昔の 栢山村)に入る。 二宮尊徳記念館に寄る。以前にも見学したことがあるが、新発見もあろう。

尊徳の生家と記念館
尊徳記念館の隣に尊徳の生家が復元され保存されている(写真108.1)。尊徳は 金次郎と呼ばれ、幼いころからよく働き学ぶ。薪を背負い、本を読みながら歩く姿の 銅像が戦前の全国の小学校には建てられていたことを思い出す。

尊徳生家
写真108.1 二宮尊徳の生家(正面)、右手は尊徳記念館の入り口。

生まれたのは天明大飢饉(1783~1786年)直後の天明7年(1787年) 7月23日である。記念館内には少年時代、青年時代、小田原藩主の命を受けて現在の 栃木県の桜町領の村づくり、天保大飢饉(1833~1838)を契機に藩主の特命 を受けて小田原藩領の飢民救済にあたっている。逸話や金次郎の姿をアニメーション 映画やグラフィックパネルで展示している。

また、自筆の手紙や「村づくり」に関する資料、勉強した本や俳句集など遺品も 展示されている。収蔵品の多くは神奈川県の重要文化財に指定されている。

酒匂川の氾濫に苦しめられ、金次郎が堤防工事で働く姿や、「砂文字の習字」、 「行燈下の読書」の様子などは現在の子どもたちには想像もつかないであろう。 行燈の明るさも体験できる。

天保大飢饉のときは、城内の米蔵を開けさせた逸話や精力的に村々を回って活躍する 姿をみることができる。米蔵の前で役人に、激しく蔵開けを要求している。

ボランティアガイドの檀さんに説明していただきながら見学した。金次郎は身長が 182センチメートルの大男で、体力もあったようだ。何事も活躍するには、 まずは体力が基礎となる。当時にすれば長寿の70歳まで生きている。

モザイク作品
写真108.2 尊徳記念館ホールに飾られた小石のモザイク作品。

以前に見学したときは気付かなかったのだが、玄関ホールの真正面には壁面いっぱいの 絵があった(写真108.2)。酒匂川と松並木が表現されている。ガイドの檀さんの 説明を受けて近くから見ると、小石のモザイクで作られており、見事だ。 使った石の数は43,674個である。この作品は、昭和63年の記年館の 俊工事に東京芸大の先生の監修で芸大学生による制作とのことである。

ホームページへの掲載は可との許しをいただいた。

檀さんから、尊徳の墓が近くの善栄寺にあると聞き、地図をもらって小田急線の 栢山駅の方向へ歩き、善栄寺の山門を入る。金次郎の学ぶ像があった(写真108.3)。

反対の左手に進むと、案内板とともに二宮尊徳の墓があった(写真108.4)。

学ぶ金次郎
写真108.3 善栄寺境内にある金次郎の学ぶ像。

尊徳の墓
写真108.4 二宮尊徳の墓。

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