A04.気候観測応援会情報、室戸岬2011年3月

編者:近藤純正
2011年3月9日に開催した室戸岬気象観測所の見学会についての報告である(「気候観測を応援する会」 の情報第4号)。 (完成:2011年4月19日)

本ホームページに掲載の内容は著作物であるので、 引用・利用に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを 明記のこと。

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更新記録
2011年3月19日:概要の作成
2011年4月19日:室戸市内の新メンバーを加筆

	目次
	4.1 室戸岬観測所の見学会、3月9日
             気候観測を応援する会:新メンバー
	4.2 露場周辺の写真
	4.3 測風塔
	4.4 寺田寅彦先祖の墓
	4.5 展望台からの写真


4.1 室戸岬観測所の見学会、3月9日

参加者(15名)
高知地方気象台 (1名):台長・渡辺志伸
気候観測を応援する会(3名):島田信雄、森 牧人、近藤純正
観光ボランティアガイド(4名)
室戸市役所職員 (3名)
高知工科大学学生(4名)

島田信雄氏は、観測所の南にある四国霊場第二十四番「最御崎寺(ほつみさきじ)」(土佐東寺) の前住職であり、この2月に「気候観測を応援する会」のメンバーに入会していただいた。 島田氏は、(財)高知県観光コンベンション協会副会長、(財)室戸市観光協会会長、室戸ジオパーク 推進協議会副会長、室戸観光ボランティア会長などの要職にある。

応援する会の新メンバー:
今回の見学会のあと、室戸市内在住の観光ボランティアガイドの次の方々に「気候観測を応援する会」 のメンバーとして入会していただいた(敬称略)。
細川季代
北村久子
淺川幸子
山川興子
金井理香
浜吉八重
以前に入会されている柳川明彦氏と島田信雄氏を含め室戸市内のメンバーは合計8名になった。

3月9日見学会の参加者は13:30に現地に集合し、室戸岬観測所(室戸岬特別地域気象観測所)を 見学した。

高知地方気象台長による説明
資料「室戸岬特別地域気象観測所~そのあゆみ~」(4ページ)が配布された
1. 沿革
2. 風観測の変遷
3. 気温・雨量・気圧及び日射日照観測の変遷
4. 気象観測露場(気温・降水量・日照時間・視程の観測)
5. 観測記録[平年値](1971~2000年)
6.観測記録[極値](1920年7月~2010年12月)
7.観測記録を全国比較

観測所は1920年(大正9年)7月10日に設立された。1960年(昭和35年)8月25日に気象レーダー第1号機 が設置され、翌年の1961年9月16日に第2室戸台風の眼をとらえることができた。

2008年10月1日に無人化されて名称が測候所から室戸岬特別地域気象観測所に改称される。2011年3月に 旧庁舎は解体されて新しい観測所局舎が完成した。

室戸岬の特徴は、風速が強いこと、短時間の降水量が多いこと(集中豪雨的な雨が降りやすい)、 猛暑日(35℃以上の日)がないこと、氷点下になることは数年に1回程度の稀である。

近藤純正による説明
観測所は1920年7月から観測が行われ、これまで90年間にわたり観測データが蓄積されてきた(それ 以前の1903~1904年の室戸岬の気象観測データはあるが、観測場所の位置は不明である)。

室戸岬と北海道の寿都と岩手県の宮古の3観測所は、観測所周辺の環境変化が少なく、長期の気候 変化を正しく観測できるところである。その中でも環境にもっとも恵まれているのが室戸岬観測所 であり、将来にわたり観測環境を大事に守っていかねばならない。

参考資料は「気候観測応援会」の「A51.室戸岬の気象」、および 「A52. 室戸岬気象観測所」(参加者に配布)に掲載されて いる。

注1:風速
2006年11月27日までの風速計の地上高度は41.8m(現観測所敷地内)であったが、11月28日以後の現在の 風速計の地上高度は21.8m(海上保安庁室戸岬無線方位信号所敷地)となり、年平均風速は86%に 弱く観測されるようになった。そのため、日最大風速が10m/s以上の強風日数は年間258日から約200日 に減少した。

室戸岬の真南26kmに設置されている海上ブイ(高知県運営)による海上風速と新測風塔における 風速を比較してみると、年平均風速は新測風塔で6.6m/s、海上ブイで6.0m/sである (「身近な気象」の「A51.室戸岬の気象」の表65.9と図65.1 を参照のこと)。

注2:旧測候所の写真
旧測候所時代の2005年11月19日に見学した際の写真などについては、「写真の記録」の 「53.高知と室戸岬の観測所」の後半に掲載されている。

4.2 露場周辺の写真

今回の見学日、2011年3月9日に撮影した室戸岬観測所(室戸岬特別地域気象観測所)の写真を掲載 した。

露場南東から
写真4.1 室戸岬観測所の露場の南東側から2011年3月9日撮影。中央がレーダー・ドーム (中ではドップラー気象レーダーが常時観測している)、左が日照計用の塔

露場内観測機器
写真4.2 露場内の観測機器。①視程計、②雨量計、③接続箱、④気温・湿度計、⑤計測震度計感部

見学風景
写真4.3 説明風景(森牧人氏提供)。

参加者集合写真
写真4.4 参加者の集合写真。手前に雨量計、右方に気温・湿度計。

観測所の露場の外側の環境が変化すると、露場内で観測されている気温、湿度、雨量に影響が 現れるようになる。この影響は日常の天気予報等には差し支えないが、地球温暖化など長期的な 気候データには深刻である。なぜなら、地球温暖化量は100年間当たりわずか0.7℃ほどの観測誤差に 匹敵する大きさであるからである。

それゆえ、今後は特に露場の外側 0~50mの範囲の環境が大きく変らないことが重要である。 長期にわたって雑草が生い茂ることや、周辺の樹木が露場の近くまで生えてこないように長期に わたり監視していかねばならない。この観点から、今回、露場の周辺に注意して撮影した。

観測所南西から
写真4.5 観測所南西から撮影。左:北方向、右:東方向

観測所南東から
写真4.6 観測所南東から撮影。左:北方向、右:西方向

観測所北東から
写真4.7 観測所北東から撮影(外側フェンスは未完成)。左:南方向、右:西方向

観測所北西から
写真4.8 観測所北西から撮影(外側フェンスは未完成)。左:南方向、右:東方向

南東からのパノラマ
写真4.9 南東側からのパノラマ、4枚を合成したため歪んでいる。

北西からのパノラマ
写真4.10 北西側からのパノラマ、4枚を合成したため歪んでいる。

4.3 測風塔

室戸スカイライン(県道203号線)入り口から急坂を登りつめて傾斜がやや緩やかに なったところに駐車場があり、最御崎寺と灯台への分岐点となっている。この分岐点から東へ歩いた のち、斜面を下ると、海上保安庁室戸岬無線方位信号所がある。この敷地内に室戸岬観測所の 測風塔があり、風向・風速計が設置されている。

この新しい場所における風向・風速は2006年11月28日から観測されている。

なお、旧測候所の敷地内にあった旧測風塔(高さ40m)は2007年5月31日に解体撤去された。

測風塔
写真4.11 測風塔(海上保安庁室戸岬無線方位信号所の標高154m、風向風速計地上高21.8m)。 中央の下方の壁の向こう側に小さい円形の頭は灯台の頭である。

この新測風塔の一段低い場所に室戸岬灯台がある。室戸スカイラインの最御崎寺と灯台への分岐点 から灯台までの距離は約330mである。

灯台
写真4.12 室戸岬灯台、レンズの大きさは直径2.6mで日本最大級(海面から火点まで154.7m)。 最御崎寺(ほつみさきじ)のすぐ下方の斜面にあり、遍路が立ち寄る名所となっている。

4.4 寺田寅彦先祖の墓

観測所見学の前日(3月8日)、最御崎寺前住職・島田信雄氏から、観測所(旧測候所)のすぐ南側 に寺田寅彦先祖の墓があると教えられた。寅彦が高知の尋常中学校(現在の高知県立追手前 高校の前身)の生徒のとき、父から「先祖が最御崎寺の住職をしていたので、お墓参りに行くように」 と言われ、1893年冬に高知から約90kmの距離を歩いて墓参りしたとのことである。

私・近藤純正は旧制中学校のとき、寅彦は私たち中学校の先輩であることを教えられていた。 寅彦は大正時代から昭和初期にかけて活躍した自然科学者であり、地球物理学関連の研究を行い、 特に科学と文学を調和させた随筆を多く残している。 これらのこともあって、寅彦が墓参りしたという最御崎寺の墓地を見学した。

国道55号線の室戸スカイライン(県道203号線)入り口から急坂を登りつめて傾斜がやや緩やかに なったところに駐車場があり、寺と灯台への分岐点となっている。この分岐点からそのまま県道203号線 を北へ230m進むと、左側に「寺田寅彦先祖の墓」の案内板がある。案内板のそばから小道を登ると 墓地があった。墓地の上の段、西寄りのところに「寺田寅彦先祖之墓」と書かれた石碑の脇に 「當山一世一海天梁墓」(中興第16世、1813年10月25日遷化)があった。

寅彦先祖の墓案内板
写真4.13 寺田寅彦先祖の墓の案内板。

寅彦先祖の墓
写真4.14 寺田寅彦先祖の墓(室戸山明星院最御崎寺中興第16世一海天梁の墓)。

この墓地の西側にある小道を登ると室戸岬観測所の露場の南側へ出る。県道203号線 から露場南側までの小道の距離は約100mである。この小道は室戸スカイライン(県道203号線)が 開通する1970(昭和45)年以前には、旧測候所へ行く通路として利用されていた。

最御崎寺の前住職・島田信雄氏によれば、スカイラインの開通以前には室戸岬の海岸から歩いて 測候所までの急坂を登っていた。墓地の西側の小道を登りつめた所(現在の露場の南側)に測候所の 門柱があった。測候所職員宿舎も測候所の敷地内(東側と北側)にあり、家族もそこで暮らしていた。

なお、前述の案内板「寺田寅彦先祖の墓」から観測所入り口の門扉までのスカイライン(県道203号線) の距離は約150mである。

4.5 展望台からの写真

島田信雄氏に案内されて、観測所北方の山頂にある津呂山展望台に登ると、東側 に紀伊水道、西側に土佐湾が一望できた。西寄りの風によって土佐湾には白波が立っているが、 風は室戸岬に遮られて紀伊水道側の海面は静かであった。

津呂山展望台から
写真4.15 津呂山展望台から室戸岬観測所の遠望、中央の山頂に写っている小さい白色の建物が 室戸岬観測所。

最御崎寺下から西方遠望
写真4.16 最御崎寺と灯台への入り口の駐車場から西方を撮影。港は室戸岬漁港(室戸岬新港)、 その右側に室戸の市街部が見える。

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