59. 盛岡と岩手内陸の観測所

近藤 純正

岩手県内陸の盛岡地方気象台と江刺、好摩、奥中山の3アメダスについて 周辺環境を説明した内容である。 (2006年8月15日完成)

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  	  もくじ
		(1)はしがき
		(2)盛岡地方気象台
		(3)江刺アメダス
		(4)好摩アメダス
		(5)奥中山アメダス
(1)はしがき
岩手県内陸で、1902年から気象観測が始まったのは旧水沢緯度観測所、 現在の奥州市にある国立天文台水沢VERA(VLBI Exploration of Radio Astrometry) 観測所においてである。ここは1965年頃までは、内陸の気候変動を監視する 代表地点と見なされるが、最近は都市化の影響が現れている。

盛岡地方気象台の前身、盛岡測候所は1923年9月1日に創立しており、当時は 周辺に人家などがほとんどない所であった。しかし、戦後の1950年頃から 戦後復興にしたがって都市化の影響が出始めた。

現在、内陸の気候変動を監視できるのは盛岡市厨川にある東北農業研究センター であるが、1950年頃以後の観測データしかない。それゆえ、やや南方に位置 する旧水沢緯度観測所と盛岡地方気象台と厨川のデータをつなぎあわせて、 さらに周辺のアメダスを参考にして、岩手内陸の気候変動の実態を掴む必要 がある。

岩手内陸における気温長期変動の解析結果については、「研究の指針」の 「K18.宮古と岩手内陸の温暖化量」 の「18.3 岩手内陸の温暖化量解析」の節に説明してある。

この章は、盛岡地方気象台と周辺アメダスについての内容である。

(2)盛岡地方気象台
2006年7月11日から13日にかけて、藪川アメダス、小本アメダス、普代アメダス、 宮古測候所、川井アメダスを訪問したあと、7月14日盛岡地方気象台を6月に 続いて再度訪問した。

盛岡地方気象台は市街地の中心部から東に約1.2km離れたところの高台にあって、 国道4号線から約200m寄った所に位置している。市街地との高度差約26m、露 場の北側に庁舎がある。高台にあり、周囲はゆるやかな丘陵となっている。 標高は155mである(盛岡地方気象台、地域気象観測所調書による)。

盛岡露場2
写真1 盛岡地方気象台の露場、庁舎の南東角(露場の北東角)から 撮影


盛岡露場
写真2 盛岡地方気象台の露場、庁舎屋上から南方向を見下ろす


盛岡露場
写真3 盛岡地方気象台の庁舎屋上から見た周辺
(左)北方向、(中央)東方向、(右)西方向。


現在の庁舎は1996~2000年にかけて建て替えたものである。旧庁舎と 露場の関係は新庁舎でもほとんど同じである。わずかな 違いについては
「K18.宮古と岩手内陸の 温暖化量」 の図18.7のうしろに次のように説明した。

建て替えの前後に、露場周辺で起きたこと:
(1)気象台は、西~北側が崖状になり、小高い丘の上にある。 南の正門から旧庁舎玄関に向かって右手に露場、左手に4本の樹木が 生えた築山はロータリーとなっていたが、築山は新庁舎建設に際し撤去され、 駐車場の一部となった。旧ロータリーはアスファルト舗装されていた。
(2)新庁舎の建設に際し、露場以外の敷地は低く削り取られたため、露場 は相対的に庁舎敷地よりも高くなった。
(3)2階建て旧庁舎の壁の南面から露場の百葉箱北面までの水平距離は17.2m、 隔測温湿度計までは19.5m、庁舎屋根の地面からの高さは11.5mであった。
(4)旧庁舎と露場の間、幅5.5m、長さ23.5mの敷地、は砂利敷きであったが、 新庁舎の建築後はアスファルト舗装となった。
(5)露場を含む気象台敷地の南~東側を通る道路はアスファルト舗装されて いたが、これは現在も同じである。
(6)新庁舎の規模は旧庁舎とほとんど同じ2階建てである。

写真3は1927年頃に撮影された盛岡地方気象台(建築当時は盛岡測候所)で あり、周辺には殆んど人家などない所であったことがわかる。

盛岡1927年
写真4 盛岡地方気象台(1927年頃)、左の写真の中央後方は岩手山
盛岡地方気象台提供


次の図1と図2は現庁舎建て替え前の配置図と立面図である。

盛岡旧庁舎図面
図1 盛岡地方気象台、建て替え前の旧庁舎図面
盛岡地方気象台提供


旧盛岡立面図
図2 盛岡地方気象台、建て替え前の立面図
盛岡地方気象台提供


(3)江刺アメダス
ここは江刺市であったが水沢市と合併し、現在は奥州市となった。 このアメダスの脇には、百葉箱がある。案内していただいた旧水沢緯度観測 所に勤務されていた菊地直吉さんによると、この百葉箱は水沢緯度観測所で 使用していたものだという。

江刺アメダス01
写真5 江刺アメダス、その1(横に2枚を合成)


江刺アメダス02
写真6 江刺アメダス、その2(横に3枚を合成)

このアメダスは、岩手県農業研究センターの旧銘柄米開発センターの敷地内 に設置されたが、近くには生垣やビニールハウスがあり、風通りは よくないように見えた。

ここではアメダス以前から気象観測が行われていたというが、岩手県農産部の 担当者に問合せたが、古い気象観測資料は行方不明らしい。

(4)好摩アメダス
好摩アメダスはJR東北本線(現在のいわて銀河鉄道)の西側にあり、好摩駅 から歩いて20分ほどの所にあった。 公営住宅地と広場の南東側にアメダスがあり、北側に北西から南東 方向に水路が通っている。その水路とアメダスの間に設けられた背の高いフェンスに 蔓が巻きつき繁茂し、さらに数本の樹木によって陽だまり効果が生じ、 気温が高めに観測される可能性があるが、その他の方向は水田が広がり、 江刺アメダスやこれから訪ねる奥中山アメダスに比べれば風通しはよいと 思った。

好摩アメダス01
写真7 好摩アメダスの南から

好摩アメダス02
写真8 好摩アメダスの北西から(この右手後方に公営住宅がある)

好摩の観測所は1954年に好摩気象通報所として創立、変遷を経て1977年1月1日 に地域気象観測所として玉山村(現・盛岡市)農業協同組合用地にて観測開始、1982年3月 26日に現在地の公営住宅用地へ移転している。

(3)奥中山アメダス
このアメダスはわかり難い場所だと聞いていたが、盛岡地方気象台で作図 していただいた詳しい地図を頼りに、JR東北本線(現在のいわて銀河鉄道) 奥中山高原駅から歩いて行くと、すぐにわかった。

ここは岩手県園芸試験場の高冷地開発センター跡地にあり、標高は430mで ある。アメダスの東側約22mには旧庁舎があり、さらにその後方には背の高い 防風林があった。そのために、風は弱い。

アメダスの北側と西側はやや低地となり、昔水田のあったところは沼地の ようになっていた。

奥中山01
写真9 旧高冷地開発センター庁舎の南端から見た奥中山 アメダス

奥中山02
写真10 奥中山アメダス
(左)アメダスの北西方から、この左手後方に旧高冷地開発センター庁舎
(中央)旧庁舎(この右手方にアメダス)、後方は背の高い防風林
(右)西方から見たアメダス(赤矢印)

奥中山では1916年から気象観測が行われており、1947年9月10日に奥中山 小学校から岩手県農業試験場高冷地試験地へ移転し、1977年11月1日から地域 気象観測所へ移行となっている。高冷地試験地の名称は1981年に高冷地 開発センターに改称された。

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