M109.森林は湖とほぼ同じ水量を大気へ放出

著者:近藤純正
森林の年蒸発散量は年平均気温と年降水量の2要素でおおよそ決まる。 ただし、平均気温と有効入力放射量(略称:有効放射量)が正の相関関係にある 中・高緯度の森林に適用できる。

降水量が十分にある森林では、年蒸発散量は湖の年蒸発量とほぼ同じである。 その理由は、森林の蒸発散量のうち、晴天日の蒸散は葉面の小さい気孔から、 降水日の蒸発はおもに小面積の濡れた葉面から、いずれも効率よく 水の気化が行なわれているからである。

暖候期(5~8月)の森林蒸発散量は平均気温と高い相関関係にある。 寒冷乾燥気候のシベリアのタイガ林、標高1100mの富士北麓森林、 および低標高にある日本の森林では植生の疎密度を表わす「植物面積指数」 に大きな違いがあるにも関わらず、森林蒸発散量と平均気温の関係に 大きな違いがない。暖候期4ヶ月間蒸発散量は、平均気温=10℃で200mm/4か月 =1.63mm/d、平均気温=22℃で400mm/4ヶ月=3.25mm/dである。

シベリアのタイガ林では水資源量(≒河川による流出量)はほぼゼロで あるのに対し、湿潤気候の日本では水資源量は豊富で、 全国平均値では年降水量の約50%である。 (完成:2023年3月6日)

本稿は自然をより正しく深く理解するための一般向け新刊書「身近な気象のふしぎ」 (東京大学出版会)の 第9章「森林の水収支・熱収支と林内の気温」 について、補足の資料も加えた概要解説である。 より詳しい内容は新刊書をご覧下さい。

本ホームページに掲載の内容は著作物である。 内容(結果や方法、アイデアなど)の参考・利用 に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを明記のこと。

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更新記録
2023年3月1日:素案の作成
2023年3月6日:数か所に微細な加筆・削除


   目次
         9.1 はしがき
         9.2 森林の年蒸発散量は湖面の年蒸発量とほぼ同じ
         9.3 暖候期(5~8月)の森林蒸発散量と気温の関係
         9.4 森林における年降水量と年蒸発散量の関係
         9.5 森林破壊と水資源量の減少
         まとめ
         付録
          付録1 父島の渇水
         付録2 無次元化した降水量と蒸発散量の関係
         付録3 熱帯の最大可能な年蒸散量は概略2880mm/y
         文献

      謝辞
          本稿の作成にあたり東北大学の山崎 剛教授、東京都立大学の松山 洋教授、
     および防衛大学校の菅原広史教授にご協力いただいた。
     ここに厚く御礼申し上げる。           

9.1 はしがき

近年、広範囲の地表面を農地にするための開発が行なわれ、 気候への影響が心配されている。乱開発によって、降水量が減少する地域も 出るようになった。そのため、地球温暖化による気候変動に関する問題と 同等に、生物多様性に関する問題が取り上げられるようになり、 2022年12月に開催された生物多様性条約締結国会議(COP15)では、 生物多様性に富んだ森林、水源涵養地としての森林を保護することになった。

しかし今後、十分な森林の保護が行なわれるだろうか。保護とは何だろうか。 吉川(2022)によれば、例えばアメリカのカリフォルニア州では、 気候変動によって乾季が長引き、森林火災が起きやすくなり、 森林火災が増え続けている。火事の発生が30~50年ほどの周期であれば 低木林が維持される。火事が短い周期で繰り返されると、 遷移の途中で元の焼け跡に戻るので、マツやカシの硬葉低木林まで発達せずに 草原になるという。ところが、防火対策が過度に進むと、 現地の環境に適応した本来のプロセスが歪められ、自然な動植物の生態系が 変質する。それゆえ、自然発火した火事は原則として消火せず、 自然に鎮火するのを待つのが、自然保護であるとされるようになった。 これは、アメリカのカリフォルニア州での一例に過ぎない。

地球の気候は水循環によって成り立っている。森林はその水循環に重要な役割を 果たしている。地表面が受け取った太陽からの短波放射量 (波長0.15~3μm範囲にその約99%のエネルギーを含む)と大気からの 長波放射量(波長3~100μm範囲にその約99%のエネルギーを含む)は、 蒸発の潜熱に変換されて地表面の水分は蒸発し水蒸気となり上空へ運ばれ、 雲をつくり、雲は太陽光を反射させると同時に宇宙に向かって長波放射量を放出する。 この過程によって、地球の熱バランスが保たれ、現在の気候が形成されている。 蒸発量または蒸発散量の多いのは海洋など水面と森林である。 本稿では、森林の蒸発散量について調べることにしよう。蒸発散量とは、 「晴天日に起きる葉面の気孔からの蒸散量」と「降水日に起きる濡れた 樹体からの蒸発量」および「林床の土壌や下草からの蒸発散量」の和である。


9.2 森林の年蒸発散量は湖面の年蒸発量とほぼ同じ

図9.1はシベリアのタイガ林と日本の森林における年間の蒸発散量および 湖面蒸発量と年平均気温の関係である。タイガ林(針葉樹林)はヤクーツク市 (北緯62°05′、東経129°45′)の近くにあり、 短い夏と長い厳寒の冬という地球上でもっとも寒冷で乾燥した気候にある。

図9.1によれば、森林の年蒸発散量は同じ気温の湖面の年蒸発量とほぼ同じである。 年平均気温が5℃前後の北海道では500mm/yであり、 年平均気温が20℃以上の奄美大島や沖縄など南西諸島では1000mm/yである。 1000mm=1000kg/m2であり、年間に1平方メートル当たり1トンの水が 大気へ供給されている。日本の平均は約800mm/y=2.19mm/dであり、 蒸発または蒸発散に使われる潜熱のエネルギーに換算すれば 62 W/m2となる。

日本各地の森林と湖、年蒸発散量と気温の関係
図9.1 日本各地の森林の年蒸発散量、および湖の年蒸発量と年平均気温との 関係、近藤ほか(1992)による1986~1990年の5年間平均の森林蒸発散量の 数値表と近藤(1994)の図14.5から作成。3つの大きい◇印(森林 観測) は東京の自然教育園(近藤・菅原、2016)と川越(渡辺、2001)および 富士北麓における観測(近藤ほか、2020)、◆印はYamazaki et al.(2007a; b) のシベリアの森林、2つの大きい×印は十和田湖と野尻湖の観測補正値。 


蒸発散に使われる潜熱(日本の年平均値=62 W/m2) のエネルギー源は、有効入力放射量70 W/m2(日本の年平均値) であり、その約90%が蒸発散のエネルギーとして使われていることになる。 ここに、有効入力放射量=R-σT4で定義される。 Rは地表面に吸収される放射量(太陽からの短波放射量+ 大気からの長波放射量)、Tは地上気温(単位:K)、 σ(=5.67×10-8Wm-2K-4) はステファン-ボルツマン定数である。

備考:有効入力放射量=0の条件
有効入力放射量=0の条件は、太陽光の入らない等温の室内環境であり、 室内にある乾いた物体の温度は気温に等しくなる。それゆえ、 基準となる条件である。厚い下層雲で覆われたとき、有効入力放射量≒0となる。
なお、「有効入力放射量」(effective radiation)は略して「有効放射量」 と呼ぶこともある。正味放射量(net radiation)と近似的に等しい 場合もあるが、数10W/m2違う場合もあるので、理論計算では有効入力 放射量を使う。


湖面は水で覆われているので、蒸発量が多いことは理解できる。 森林から日中に生じる蒸散は、葉面の面積のわずか約1%を占める気孔から 行なわれている。気孔の大きさは100μm(=0.1mm)程度の小穴である。 小穴からの単位面積当たりの蒸発量は非常に大きく、交換効率がよい。 また、降水日は濡れた葉面など樹体からの蒸発量が予想外に多いのである。 前章「M108 アスマン通風乾湿計に学ぶ熱交換」において説明したように、 小面積の葉面の熱・水蒸気の交換効率は湖など大面積に比べて桁違いに大きい。 そのため、有効入力放射量≒0となる降雨日には、 濡れた葉面は気温より低くなり、その温度差で生じる顕熱を大気から受けとり、 その熱エネルギーが蒸発の潜熱に変換されて蒸発を生じさせている。 雨の多い日本では、森林における降水日の蒸発量は年蒸発散量 (晴天日の蒸散量+降水日の蒸発量+林床土壌の蒸発量)の約40%を占めている。

蒸発散量は、有効放射量が大きいほど大きく、また地表面(あるいは葉面) と大気間の水蒸気量の差が大きいほど大きくなる。長時間平均では、 ①放射量が大きいとき気温は高くなることが多く、 ②気温が高いとき地表面(あるいは葉面)と大気間の水蒸気量の差が 大きくなることが多い。これら①と②によって、図9.1に示された蒸発散量と 気温の高い相関関係が得られたのである。なお、各プロットのバラツキは、 蒸発散量は気温のほかに、有効入力放射量、風速、 湿度などの条件の違いによって生じたものである。

要約すれば、森林は交換効率のよい小面積の葉面・小枝からなり、 湿度の高い降水日も蒸発し、晴天日には小穴の気孔から効率よく水分が蒸散する。 この特徴によって、湖面からの年蒸発量と同等の水量を大気へ放出している。 地表面で液体の水が蒸発するとき気化の潜熱が使われ、 地表面の温度上昇が抑えられる。この働きによって、 地上気温の上昇が抑えられている。砂漠は、蒸発散量が少なく、 高温になるわけだ。


9.3 暖候期(5~8月)の森林蒸発散量と気温の関係

前記の図9.1に示したシベリアのタイガ林(針葉樹林)では、 11月~3月の気温は極めて低いため(-20℃~-40℃)、蒸発散量は少なく、 年蒸発散量(276mm/y)の大部分は暖候期の蒸発散量である。

吉川(2022)によれば、東シベリアでは氷河期には植生がほとんどなく、 土壌は強く冷却され、地下に厚さ数百メートルの永久凍土ができていたが、 温暖化した後氷期(約1.5万年前以降)になると、氷床が退いた直後の荒廃地に、 乾燥に強い草が侵入した。その後、枯れた植物体(リタ-)の堆積により 土壌が形成され、コケやシダが増え、最後に、寒さに強い樹木が増加し、 タイガ林が成立した。永久凍土帯の土壌は、夏に気温が上がると 地表近くが融解して「活動層」と呼ばれる土壌水が自由に動ける土壌となる。 活動層の下の凍土は水を浸透させないので、 雪解け水や夏の降雨は地表近くの活動層の中に留まる。 この水を樹木が利用している。つまり、永久凍土層があることでタイガは 水分を確保できている。 タイガ林は乾燥した寒冷気候にあるため、樹木の密度は小さく「明るい森林」 と言える。

備考:植物面積指数と葉面積指数
植物面積指数PAI (plant area index)とは、単位土地面積あたりの植物群全て (葉面・枝・幹)の投影面積である。PAIのうち、葉面のみの投影面積を 葉面積指数LAI(leaf area index)という。いずれも、 単位はm2/m2で表わす。

植物面積指数PAIは、シベリアのタイガ林で1程度であり、 日本の森林の6程度に比べてかなり小さい。この違いによって、 暖候期の蒸発散量に違いがあるか否か調べてみよう。図9.2は、暖候期 (5~8月の4ヶ月)の蒸発散量と平均気温の関係である。

暖候期の森林の蒸発散量と気温の関係
図9.2 暖候期(5~8月)おける森林の蒸発散量と平均気温の関係。 小さい四角は近藤ほか(1992)による5年間平均数値表から、 大きい◇印は富士北麓の森林における7年間観測(近藤ほか、2020) と川越1996年の観測(渡辺、2001)、◆印はYamazaki et al. (2007a) のシベリアのタイガ林における15年間資料に基づく。 


図9.2に示すように、シベリアの北緯62度のタイガ林は大陸にあることにより 暖候期には北緯43~45度の北海道北部とほぼ同じ気温(14~15℃)となり、 蒸発散量もほぼ同じになる。シベリアと日本の森林では、 植物面積指数PAIが大きく違うにもかかわらず、蒸発散量に大きな違いがない。 暖候期におけるPAIはシベリアのタイガ林では1程度(葉面積指数LAI=0.4、 明るい林)に対して、日本の森林(低標高の森林)では6以上である。 ただし、標高が約1100mにある富士北麓のカラマツ人工林の森林では3程度 (葉面積指数LAI=2.4~2.8)である。PAIが違っても蒸発散量に 大きな違いがないことは、森林の維持にとって重要なことである。 もしLAIが大きいほど蒸発散量が急激に増えれば、土壌が乾燥し、 植生が維持できないかもしれない。

図9.2の縦軸上のバラツキの最大値は±12%程度で、 年蒸発散量の図9.1のバラツキの大きさとほぼ同じである。

図9.2は1年~15年の長期間の暖候期4ヶ月間平均値のプロットであるため、 バラツキは比較的に小さくなっている。しかし、 単年度の1日平均値~1ヶ月平均値については、各種気象要素の 変動が大きいことによって、バラツキは大きくなり、 蒸発散量を気温だけの関数として表わすことはできない。

注意:平均気温が同じ気候でも、有効入力放射量が日本の値より はるかに大きい(または小さい)気候条件では、図9.2の関係は全体として上に (または下に)ずれてくる。


9.4 森林における年降水量と年蒸発散量の関係

図9.3は図9.1で示した森林の年降水量と年蒸発散量の関係である。ただし、 丸印は日本の低標高にある森林66地域の平均である。 実線は日本各地66地域についてのプロット(図9.1の小さい四角印) の平均的な傾向を示したものである。破線と実線の縦軸上の差 (=降水量-蒸発散量)が水資源量であり、流域の地中に浸透し地下水に、 そして河川水となり、住民の生活用水・工業用水や農地の灌漑水となる。 なお、数年以上の長期間平均の水資源量は長期間平均の流出量に等しい。

図9.3の左端のプロットはシベリアのタイガ林(Yamazaki et al. 2007a; b) であり、降水量としてヤクーツクの1961~2000年の平均値(237mm/y)を用いた。 年降水量が年蒸発散量(276mm/y)に比べて小さい理由として3つがある。 その1は、降水量と蒸発散量を求めた年と場所が異なること。 その2として、蒸発散量の元になる降水量のほかに、 地中の永久凍土層に含まれる水分も蒸発散に使われた可能性がある。 その3は、降水量の観測において、雨量計付近の風速が1m/s以上になると 降水粒子が雨量計の受水口に入る割合(捕捉率)は小さくなる。 特に降雪時の降水量観測は不正確になる。例えば雪の場合、 雨量計の周辺風速が1m/sのとき捕捉率は0.8前後に、5m/sのとき0.5前後に、 それぞれなる(近藤、2012)。仮に、秋~冬~春(9月~4月)の捕捉率= 0.74とすれば、年降水量237mm/yの補正値は蒸発散量と同じ276mm/yになり、 プロットはちょうど破線の上にくる。

森林の年蒸発散量と気温の関係
図9.3 森林の年降水量と年蒸発散量の関係。◆印:シベリアのタイガ林、 ◇印:川越と東京の自然教育園と富士北麓の森林、 〇印:日本の低標高にある1986~1990年の5年間の森林66地域の平均  


いずれにしろ、シベリアのタイガ林は寒冷乾燥気候にあり、 水資源量はゼロに近いことを示している(融雪期の短い期間だけ、 少量の流出がある)。破線の近くにプロットされる乾燥気候にある森林は、 気候変動に対して不安定になりそうである。 仮に長年にわたり降水量が減少したとき、温暖化すれば永久凍土の 融解によって地中水が補充されるが、温暖化しなければ土壌内の水分が減少し 蒸散が十分に行なわれなくなり、別の植生へ遷移が起きることになる。 こうした遷移が起きるか否かを論じるとき、 降水量の正確な観測・補正が重要となる。

それに対して日本は降水量の多い湿潤気候であり、水資源が豊富である。 日本平均(丸印)として、降水量=1645mm/y、蒸発散量=800mm/y、水資源量 (=降水量-蒸発散量)=845mm/yである(ただし、1986~1990年の5年間平均)。 すなわち降水量の約半分が蒸発散量に、残りの約半分が水資源量となっている。


9.5 森林破壊と水資源量の減少

広範囲の地表面を農地にするための開発が行なわれ、気候への影響が 南米のアマゾン流域や東南アジアのボルネオ島とインドネシナ半島で生じている。 世界で3番目の面積をもつボルネオ島では、1950年代は全面積の90%以上が 熱帯雨林であったが、伐採による森林破壊が10年あたり17%の割合で進んでいる。 その影響のほか、近年の大規模場の変動による影響と考えられる降水量の減少が 生じている。Kumagai et al. (2013) によれば、年降水量は1950~1965年の 2400mm/yから、2000年代の2000mm/yに20%ほど減少している。 その期間の中で1997年~2000年に生じた少ない降水量 (1300mm/y) は、 1997~1998年に起きた強いエルニーニョ現象によると考えられている。 赤道付近の海水温度の高い暖水域は通常、インドネシア付近にあり ボルネオ島などでは降水量は多いが、貿易風が弱くなるエルニーニョ現象のとき 暖水域は東にずれて、インドネシア付近の降水量は少なくなる。

こうした降水量の大きな違いが水資源量(=降水量-蒸発散量) にどの程度の変化を生むのか、中・高緯度で成り立つ図9.3の実線で示した 関係が仮に熱帯でも成り立つとして調べてみよう。

ボルネオ島の水資源量
図9.4 ボルネオ島における水資源量が降水量によって変わることを示す 模式図。
A:1950~1965年の森林破壊前、B: 森林破壊が進んだ2000年代、 C: エルニーニョの影響を受けたと考えられる1997~2000年。



図9.4に示した縦線の長さが水資源量であり、Aは1950~1965年の森林破壊前、 Bは森林破壊が進んだ2000年代、Cは1997~1998年のエルニーニョの影響を 受けたと考えられる1997~2000年の水資源量である。縦軸の長さA=1500mm/y 、 B=1200mm/y 、C=500mm/y であり、降水量の違いによって生じた 水資源量の大きな変化である。農地を増やすために森林を伐採し過ぎると、 水不足が生じる可能性がある。水資源量は河川の流量にもなり、 森林から海洋へ運ばれている魚介類の栄養にも影響し、 生態系が変わることになる。


まとめ

(1) 降水量の十分な森林では、年蒸発散量は湖の年蒸発量とほぼ同じである。 森林の蒸発散量のうちの晴天日の蒸散は小穴の気孔から、 降水日の蒸発はおもに濡れた葉面から、それぞれ行なわれ、 いずれも大面積の湖に比べて効率のよい水の気化である。そのため森林は、 水で覆われた湖からの年蒸発量に匹敵する年蒸発散量となる。

(2) 蒸発散の盛んな暖候期(5~8月)の森林蒸発散量は平均気温と 高い相関関係にあり、平均的な蒸発散量は、平均気温=10℃で200mm/4か月 =1.63mm/d、平均気温=22℃で400mm/4ヶ月=3.25mm/dである。

(3) シベリアのタイガ林、標高約1100mの富士北麓の森林、 および低標高にある日本の森林では植物面積指数に大きな違いがあるにも 関わらず、暖候期(5~8月)の森林蒸発散量と平均気温の関係に 大きな違いはみられない。

(4) 森林について、年降水量と年蒸発散量の関係を調べてみると、 寒冷乾燥気候にあるシベリアのタイガ林の水資源量(≒流出量) はほぼゼロであるのに対し、湿潤気候の日本の水資源量は豊富である。

(5) 近年、広範囲の地表面が人為的に変えられ、 気候への影響が出始めている。その例として東南アジアのボルネオ島における 降水量の変化が水資源量に大きく影響することを示した。

本稿では、森林の水循環に果たす役割の概要を知るために、 年蒸発散量と年平均気温の関係、暖候期(5~8月)の蒸発散量と平均気温の関係、 および年蒸発散量と年降水量の関係を調べた。その結果、 年蒸発散量の概略値は年平均気温と年降水量の2要素で決まることがわかった (ただし、平均気温と有効入力放射量が正の相関関係にある中・高緯度で 成り立つ関係である)。つまり、この2要素が地域の気候と生態系の大勢を 決めているといえる。

ここで、思い出したことがある。100年前の昔、ドイツの気候学者ケッペンが、 世界の植生分布に注目し、気温と降水量の2要素から気候区分を行なっている。 ただし、ケッペンの気候区分では気温と降水量の季節変化も考慮されていて、 例えば熱帯のサバンナ気候は明確な乾季があり、疎林や草原になる。本稿では、 中・高緯度において各地域の気候に適応した「森林」が形成されていれば、 その森林の年蒸発散量は年平均気温と年降水量の2要素でおおよそ決まる ということである。

本稿では示さなかったが、降水量・降水日数が十分でない森林では、 降水日の濡れた葉面・小枝からの蒸発量が少なくなるため、 年蒸発散量 E は湖の年蒸発量に比べて小さくなる。また、 有効入力放射量が小さい(大きい)地域でも年蒸発散量は少なく(多く)なる。 さらに、流域内の「降水量」と地表水流の堰を通って流域外に出る「流出量」 の観測から流域の蒸発散量を求める、いわゆる「流域水収支法」を用いるとき、 堰を通らない流出量(例えば地下水によって流域外に出る水量)がある場合、 それらが誤差となり蒸発散量は過大に評価される。

これらを含む一般条件に適応する関係を調べるとき、あるいは「流域水収支法」 による観測値をチェックするとき、湿潤な基準面の蒸発量を表わす 「ポテンシャル蒸発量」Ep を導入し、E /Ep について調べる。 降水量 Pr の多寡についても Pr/ Epを調べる。 降水量が十分な湿潤気候の森林ではE/Ep=0.8~0.9となる(付録3)。 寒冷乾燥気候に適応して存在しているシベリアのタイガ林では暖候期(5~8月) のPr/ Ep ≒0.23に対してE/Ep=0.37~0.44である(Yamazaki et al. 2007b)。 降水量の不足分は、暖候期の気温上昇で永久凍土帯の地表近くが融解して 「活動層」の土壌水となり蒸発散に使われている。

備考:ポテンシャル蒸発量
ポテンシャル蒸発量Epとは、十分に湿った有限面積の地表面からの蒸発量であり、 広域からの蒸発散量はEpを超えることはない。Ep は通常の気象観測資料 (気温、湿度、風速、日射量または日照時間)を用いて計算できる。 また、2002年以前に日本の気象観測所で観測していた直径1.2m、 深さ0.25mの大型蒸発計からの蒸発量にほぼ等しい。詳細は、近藤(2000) の7.5節、および「身近な気象のふしぎ」の第2章に説明されている。 ポテンシャル蒸発量の具体的な計算方法は近藤・徐(1997)に、 また日本各地66地域の月ごとのポテンシャル蒸発量の一覧表は近藤(1997) に掲載されている。

注意:一部の研究分野では、正味放射量を与えて計算する Penman(1948;1956)の可能蒸発量を使うことがある。 これは間接的に地表面温度を与えて計算するようになるので、 可能蒸発量とポテンシャル蒸発量はほぼ同じになる場合もあるが、 数十%の違いが生じる場合もある。それゆえ、 Penmanの可能蒸発量は使わないことにしよう(近藤、1996)。

本稿では、平均気温と有効入力放射量(有効放射量)が正の相関関係にある 中・高緯度について 調べてきた。他の条件の場合は降水量と蒸発散量はポテンシャル蒸発量で 無次元化して比較しなければならない。その例を付録2に示した。

森林についてより深く理解するための、森林伐採・火災による蒸発散量の減少、 熱収支量の季節変化・日変化、蒸発散量(潜熱輸送量)と有効入力放射量との 関係、林内の気温の特徴、都市の憩いの場としての森林公園のあり方については 「身近な気象のふしぎ」の第9章でとりあげる。


付録
森林の蒸発散量について、専門的な内容はこの付録で説明する。

付録1 父島の渇水
小笠原諸島の父島は亜熱帯高気圧帯にあり、年降水量は日本の平均値に比べて 少なく、約1300mm/yであり、渇水となる亜湿潤気候の年が時々起きている。 この父島において、2016年5月~2017年4月に641mm/yの少雨で渇水状態になった (松山、2018)。その度合いを知るために、吉田ほか(2002) が初寝山付近で行なった水文気象観測に基づいて計算した2000年の 父島気象観測所のポテンシャル蒸発量 Ep=1387mm/yを用いると、 Pr/Ep(=641/1387)=0.46となる。なお、近藤(2000)の図8.2によれば、 1≦Pr/Epは湿潤域、0.3≦Pr/Ep<1は亜湿潤域、0.1≦Pr/Ep<0.3は半乾燥域、 Pr/Ep<0.1は乾燥域である。


付録2 無次元化した降水量と蒸発散量の関係
有効入力放射量(有効放射量)が大きく異なる地域の蒸発散量E と降水量 Pr と比較するとき、 ポテンシャル蒸発量Epを用いて、Pr / Ep とE /Epの関係をつくり、 その比較によって、その地域の降水量と水資源量の多寡の度合いがわかる。 砂漠などの裸地についての関係はKondo and Xu(1997)または近藤(2000) の図8.2に示されている。

図9.5は無次元化した森林の年降水量 Pr/Ep と年蒸発散量 E/Ep の関係である。 小さい四角印66点は日本の低標高にある森林66地域の1986~1990年の5年間平均 (近藤ほか、1992)、大きい菱形印3点は川越の1997年(渡辺、2001) と岡山県の北谷の1986~1990年の5年間平均(谷・細田、2012) および東京の自然教育園の2010~2015年の6年間平均(近藤・菅原、2016) の資料を基に作成した値である。黒塗り菱形印はシベリアのタイガ林における 暖候期5~8月の1986~2000年の15年間平均(Yamazaki et al. 2007b)である。 タイガ林以外はいずれも年間値である。

無次元化降水量と蒸発散量
図9.5 森林の年降水量と年蒸発散量の関係。 小さい四角印66点:日本の低標高にある森林66地点の1986~1990年の5年間平均、 黒塗り菱形印:シベリアのタイガ林における暖候期5~8月の1986~2000年の 5年間平均、大きい菱形印3点:川越の1997年と北谷の1986~1990年の 5年間平均および東京の自然教育園の2010~2015年の6年間平均である。 


表9.1 各地の森林における降水量 Pr と蒸発散量 E とポテンシャル蒸発量 Ep の表、シベリアのタイガ林のみ暖候期(5~8月)、 その他は年間値である。 

森 林     期 間   Pr E Ep   Pr/Ep E/Ep               年 mm/y mm/y mm/y  シベリア タイガ林  1986-2000  -- -- -- 0.23 0.41 東京 自然教育園 2010-2015 1656 940 1115 1.49 0.84  埼玉県 川越      1997 1057 678 1070 0.99 0.63  岡山県 竜の口山北谷 1986-1990 1329 889 1095 1.21 0.81



図9.5に描かれた斜めの破線はPr/Ep=E/Epを表わす。数年間以上の長期間平均値 では、観測値はこの破線の右側にプロットされる。タイガ林の暖候期(5~8月) のプロットが破線の左側にあるのは、暖候期には降水量のほか、 夏季の気温上昇で永久凍土帯の地表近くが融解してできた融雪水も加わり、 蒸発散に使われていることを表わしている。なお、このタイガ林では、 年による夏季の降水量変動は大きいが、年による蒸発散量の変動は 大きくなく安定している。

注意:図9.5の小さい四角印に用いた E と Ep は 「地域代表風速UB」による計算値
図9.5の小さい四角印で示す森林の蒸発散量 E とポテンシャル蒸発量 Ep は、 日射量の観測が行なわれていた日本の66か所の気象官署における 「地域代表風速UB」(1986~1990年)を用いた計算値である。 全国のE(UB)は近藤ほか(1992)の一覧表に、 全国のEp(UB)は近藤(1997)の一覧表に示されている。

風速はローカルな地形の影響を含むので、日本全域で平滑化されたような 高度50mの風速が「地域代表風速UB」である。UBは 水平スケール100km程度の範囲を代表する(近藤・中園、1993)。したがって、 実際の風速は、広大で平坦な裸地・草地や岬ではUBよりも強く、 盆地や谷間などでは弱い。本稿では利用していないが、 「準実測風速UA」は、各観測所の風速計の設置高度が 一定でないため、各観測所の粗度を考慮して実測風速を地上50mの高度に 換算した風速であり、観測所の近傍数km程度の範囲を代表する。 UAを用いた全国のポテンシャル蒸発量Ep(UA) も近藤(1977)の一覧表に掲載されている。

現実の観測地点で蒸発散量を観測したとき、 その地点のポテンシャル蒸発量は近藤・徐(1997)の方法で計算すればよい。


付録3 熱帯の最大可能な年蒸散量は概略2880mm/y
例えばマングローブの森林のように、樹木の根の周辺が十分な水分に 浸かっていて、いつも蒸散が可能で、年間を通じて晴天が続けば、 可能な蒸散量は地球上で最大値となる。この最大値を見積もってみよう。 近藤・菅原(2016)が東京の自然教育園で観測した晴天続きの 2015年8月1~7日の7日間の平均気温=30.0℃、相対湿度=69% (水蒸気圧=29.4hPa)、日射量=286W/m2、正味放射量= 199W/m2の条件において、蒸散の潜熱=224W/m2 (蒸散量=7.91mm/d)である。 「K123.東京都心部の森林(自然教育園)における熱収支解析」

平均気温30℃の晴天日の蒸散量が1年間続けば、7.91mm/d×365日≒2880mm である。したがって、雨も降らない条件が1年間続き、 樹木の蒸散活動が衰えなければ、 最大可能な年蒸散量≒2880mm/yとなる。それゆえ、 熱帯の最大可能な年蒸散量は概略2880mm/yであり、これを超えることはない。

もう一つの方法として、有効入力放射量(≒正味放射量)から 年蒸発散量を見積もることができる。高温の条件に限れば、 「湿った地表面」のボーエン比(=顕熱輸送量 / 潜熱輸送量)は近似的にゼロ、 さらに平均気温≒平均地表面温度であるので、有効入力放射量≒ 潜熱輸送量となる。この潜熱を蒸発散量に換算すれば、 年蒸発散量の概算値が得られる。上記の正味放射量=199W/m2の すべてが蒸散の潜熱になれば、蒸散量=7.02mm/d≒2560mm/yとなる。 このことから、高温の熱帯では、 蒸発散量を求めるとき放射量の観測(または正確な推定)が重要となる。


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