K35.基準5地点の温暖化量と都市昇温(2)
著者:近藤純正
	35.1 はしがき
	35.2 観測法変更にともなう年平均気温の補正方法
	35.3 5地点平均の温暖化量と10中都市平均の都市昇温量
                気温長期変動の南北比較	    
                5地点平均のバックグラウンド温暖化量
                10中都市平均の昇温量
	35.4 準基準観測所の解析
	    深浦(青森県の日本海沿岸)
	    津山(岡山県の内陸)
	35.5 中都市の各地点における都市昇温量の詳細
    
	まとめ
	資料
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観測所周辺の環境が理想に近い3観測所(寿都、宮古、室戸岬)に、 今回、2ヵ所の準基準の観測所(深浦、津山)を追加し、合計5観測所による バックグラウンド温暖化量を求めた。1893~1987年の昇温率は0.46℃/100y、 その後、1988年ころ0.61℃の幅でジャンプ(1988年ジャンプ)している。
このバックグラウンド温暖化量をもとに、中都市10ヵ所について都市昇温量 を計算した。青森、秋田、山形、石巻、水戸、長野、飯田、彦根、岡山、 高知、宮崎、那覇、石垣島を計算してみると、2000年代初頭は1920~50 年に比べて0.2~1.0℃(平均0.6℃)の昇温である。 (2007年4月3日完成)


35.1 はしがき

研究の目的
都市化の影響を含まない観測所における気温の長期変化を調べるには 2つの目的がある。

(1)気温変化はざまざまな要因によって起きる。 そのうち、大気中の二酸化炭素など温室効果ガスの増加によって生じる 地球温暖化量をより正確に求めること。
(2)求められたバックグラウンドの地球温暖化量を基準にして、 地球温暖化とは別の原因で生じる都市気温上昇量を評価すること。

本章の解析
前回、観測所周辺の環境が理想に近い3観測所(寿都、宮古、室戸岬)の 資料を用いて、日本のバックグラウンド温暖化量を評価した。その詳細は、 「K32. 基準3地点の温暖化と都市昇温」で説明した。 これら3観測所以外では、周辺環境が悪化し、都市化とともに陽だまり効果が 顕著で、そのままでは真実に近いバックグラウンド温暖化量を評価することが 困難となってきている。

周辺環境の条件を厳しくすると、候補となる観測所がなくなってしまうので、 制限をゆるめた観測所(準基準点)も追加し、陽だまり効果などを補正する ことを考えた。

今回選んだ青森県の深浦特別地域観測所(旧深浦測候所)と岡山県の津山 特別地域観測所(旧津山測候所)では、1960年代から1980年ころにかけて 年平均風速が減少しているが、周辺の観測所と比較して陽だまり効果による 昇温がほとんど認められないか、わずかである。そこで、これら2観測所を 準基準観測所とした。

日本の所得倍増論(池田勇人自民党総裁・総理大臣提唱、1960年7月)、 東京オリンピックの開会(1964年10月)、東海道新幹線の開業(1964年10月)、 列島改造論(田中角栄自民党総裁・総理大臣、1972年6月提唱)などで代表 されるように、1960年代から1980年にかけて全国的に建設ブームがあり、都市 化が一段と進んだ。

その結果、各地の気象台や測候所の近傍における風に対する粗度が増加し、 ほとんどの地点で年平均風速が減少した。周辺が建て混んでこることで 気温観測露場の風速も減少し、年平均気温が上昇するという「陽だまり効果」 を起こした。陽だまり効果の顕著なところでは、風速の減少時期とほぼ同じ 1960~1980年ころにかけて年平均気温が0.2~1.0℃ほど上昇している。 これは周辺観測所における年平均気温との比較から見出すことができる。

「陽だまり効果」は、人工排熱や道路の舗装化などにともなって生じる 都市化とは区別される昇温である。

今後、基準と準基準の観測所を次のように分類する。

Aクラス:都市化や陽だまり効果が無視できる(室戸岬、宮古、寿都)
Bクラス:風速減少はあるが、陽だまり効果が小さい(深浦、津山)
Cクラス:風速減少があり、周辺の観測所から陽だまり効果が見出せる (多度津ほか数地点)

Cクラス観測所についての解析は今後にゆずることにして、今回はまず、 陽だまり効果の小さい2観測所を解析する。

次の第2節では気温の1日の観測回数や百葉箱内から百葉箱外の通風式隔測への観測 法の変化にともなう補正の方法を示す。第3節では解析結果のまとめを先に 示し、その後の節では詳細を説明する。

35.2 観測法変更にともなう年平均気温の補正方法

1日の観測回数は時代によって3回、4回、6回、8回、現在の毎時24回と変化 してきた。6回以上の観測では、24回観測に比べて日平均気温は0.1℃以内の 誤差であり補正は不要であるが、3回(6時、14時、22時)の場合は低め、 4回(3時、9時、15時、21時)の場合は高めに観測されているので補正が 必要である。詳細は「1日数回観測の平均と平均気温」 に示されている。

ほぼ1970年代以前は、気温センサーは百葉箱内に設置されて観測されており、 風が弱い日中は1℃ほど高め、夜間は低め、毎日の最高気温の年平均値は0.2℃ ほど高め、日平均気温の年平均値は0.1℃高めに観測されていた。詳細は 「K23.観測法変更にとる気温の不連続」の章で説明 した。

今回解析する観測所に対する補正一覧表を表35.1に示す。


表35.1 観測所の補正量
1日に3回観測から日平均気温が 算出された時代の年平均気温は24回観測に比べて低めの値であるので、 表に示す補正量のぶんだけ高くする。また、百葉箱内から箱外の通風式隔測 (地上気象観測装置による観測)に切り替えられる以前は年平均気温は 平均的に0.1℃高めに観測されているので、以前の生データは0.1℃低くなる ように補正する。最後の列に示す都市昇温の定義は、最近の2000年代初頭の 平均気温と1930~1950年の平均気温の差とする(最後の第5節参照)。
○印付きは気象庁が気候変動を解析する目的で都市化の影響が少ないとして 選んでいる17観測所に属する地点、 * 印付きは図35.3の平均値に用いた 観測所(移転による気温の不連続が小さい地点)を示す。
観測所名      地点番号   3回観測年 3回観測補正量(℃)  通風式隔測開始  都市昇温(℃)                  
  基準および準基準の観測所
   ○寿    都      421     1940-1952     +0.06             1973年5月1日        ---
     宮  古      585     1939-1952     +0.20             1972年4月1日        ---      
     室 戸 岬      899     1921-1952     +0.08             1972年5月1日        ---
   深  浦      574     1940-1952     +0.20             1974年7月1日        ---
     津  山      756     1943-1952     +0.27             1974年5月1日        ---

  中都市観測所
     青  森      575     1939-1952     +0.20             1972年7月1日        0.9
     秋  田*     582     1939-1952     +0.20             1971年4月1日        0.8
   ○山    形*     588     1940-1952     +0.20             1973年7月1日        0.6
   ○石    巻*     591     1940-1952     +0.19             1974年7月1日        0.2                
   ○水    戸*     629     1940-1952     +0.20             1973年6月1日        0.5

   ○長    野*     610     1940-1952     +0.22             1973年5月1日        0.5
   ○飯    田*     637     1940-1952     +0.22             1974年6月1日        0.4
   ○彦    根*     761     1940-1952     +0.27             1973年5月1日        0.6
     岡  山      768     1939-1952     +0.28             1973年5月1日        1.0
     高  知*     893     1939-1952     +0.28             1973年5月1日        1.0

   ○宮    崎      830     1939-1952     +0.28             1972年4月1日        1.0
     那  覇*     936     1941-1952     +0.27             1975年4月1日?      0.7
   ○石 垣 島*     918     1940-1952     +0.19             1973年8月1日        0.5

     13地点平均    ---        ---         ---                   ---            0.6                          


35.3 5地点平均の温暖化量と10中都市平均の都市昇温量

気温長期変動の南北比較
後節で得られる5地点の平均気温のうち、室戸岬と津山の平均気温を「南日本 平均」、寿都と宮古と深浦の平均気温を「北日本平均」とし、両者の差を とって気温の南北差とした。地点数が2、または3と少ないのは やむを得ないが、100年間の長期的な傾向はつかめると思う。 なお、5地点のうち陽だまり効果を含み、それを補正してあるのは津山のみで ある。

気温の南北比較
図35.1 南日本平均(室戸岬、津山)と北日本平均(寿都、宮古、 深浦)の気温差の経年変化、青線は5年移動平均。


図35.1によれば、数十年の短周期では南北の傾向が存在するようにも見えるが、 100年スケールの長周期変動では明らかな差は見出し難い。この確証は今後の解析 を待たねばならないが、注目に値する。

5地点平均のバックグラウンド温暖化量
図35.2は5ヶ所平均によるバックグラウンド温暖化量の経年変化である。 1893~1987年の昇温率は0.46℃/100y、その後、1988年ころ0.61℃の幅で ジャンプ(1988年気温ジャンプ)している。

0.61℃の気温ジャンプは「K32.基準3地点の温暖化量 と都市昇温」の表32.4に示した、全国各地で見られるジャンプの平均値 (=0.67℃)にほぼ一致している。

平均温暖化5地点平均
図35.2 5地点平均(室戸岬・津山・寿都・宮古・深浦)の気温経年 変化、緑の四角印は5年移動平均、緑の線は長期変化の傾向を示す。


前回解析した基準3地点の結果に比べて、今回の解析では地点数が増えたことで、 プロットのばらつきは小さくなっている。

10中都市平均の昇温量
前図(図35.2)で得られたのは、都市化の影響(厳密には周辺環境の変化に ともなう影響)を殆んど含まないバックグラウンド温暖化量(気候変動)で ある。都市では、この気温に都市化の効果を含んだ気温が観測されている。

後者と前者の差の経年変化のうち、終戦(1945年)以前を基準にとり、 それからの上昇したぶんを都市の昇温と定義する。ただし今回は未解析の 東京など大都市は1920年ころを基準とする。

図35.3は中都市10地点(1928年以後に移転があり不連続の大きい青森、岡山、 宮崎を除く)の平均の都市昇温の経年変化である。

中都市10点平均昇温
図35.3 中都市10地点平均(秋田・山形・石巻・水戸・長野・飯田・ 彦根・高知・那覇・石垣島)の都市昇温の経年変化、赤四角印は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向を示す。


1960~1980年ころ、都市昇温が急速に大きくなっている。その後、やや平坦な 時代があるが、これは経済バブルの崩壊期と対応するのかも知れない。 さらに最近の約10年間、都市昇温が増加する傾向にある。これらの確認に ついては今後、準基準の地点を増やした解析によって得られると思う。

以上により、今回の解析の結論を述べた。以下では解析の詳細について 説明する。

35.4 準基準観測所の解析

深浦(青森県の日本海沿岸)
旧深浦測候所(現・特別地域気象観測所)を見学した内容は「写真の記録」の 「64.青森県の深浦測候所」に掲載して ある。

深浦測候所の開設は比較的新しいので、1939年以前の年平均気温は秋田の資料 から推定する。

●1940~1959年(20年間):秋田の平均気温-深浦の平均気温=0.22℃

よって、1939年以前の深浦の気温=秋田の気温-0.22℃、

によって推定した。そのようにして得られた年平均気温は、その後、前節 で説明した方法で補正する。それを全補正済みデータとする。

図35.4は秋田と深浦を結合して得られた年平均気温の経年変化である。現在の 深浦の観測値を基準にして、過去を補正してある。

秋田深浦の結合
図35.4 秋田(~1939年まで)と深浦(1940年以後~)を結合した 気温の経年変化、青線は5年移動平均。


次の図35.5に示すように、深浦の気温の長期的な経年変化は基準点の寿都(図a) や宮古(図b)、及び他の4点平均(図c)と比べて特異でないと判断されよう。

深浦と寿都の気温差
図35.5(a) 深浦と寿都の気温差の経年変化、黒線は3年移動平均。


深浦と宮古の気温差
図35.5(b) 深浦と宮古の気温差の経年変化、黒線は3年移動平均。


深浦と4点平均の気温差
図35.5(c) 深浦と4点平均(寿都・宮古・室戸岬・津山)の気温差 の経年変化、黒線は3年移動平均。


深浦と4点平均の差(図35.5(c))を見ると、1960~1980年代は深浦が相対的に 0.1℃ほど高温になっている。これは40~50年程度の時間スケールにおける 東北地方日本海側の特徴であるのかも知れないが、差は0.1℃と小さく、 判断は難しい。

しかし、寿都との差(図35.5(a))では、1950~1970年に深浦が相対的に 0.2℃ほど高温であるので、この時代には日本海沿岸の北方ほど現在に 比べて低温であったことを表している可能性がある。

次の図35.5(d)は深浦と周辺の7アメダスの年平均気温の差である。毎日24回 観測はアメダス開始の1970年代後半には欠測などトラブルが多かったので、 この図では1980年以後をプロットしてある。

「写真の記録」の「64.青森県の深浦測候所」 の図64.1に示したように、深浦では1970年ころから現在まで年平均風速が 4.25m/sから3.8m/sまで34%も減少しているが、それにともなって生じる陽 だまり効果による、精度0.1℃以上の気温上昇は、この図からは認められない。

深浦と7アメダスの気温差
図35.5(d) 深浦と7アメダス平均(大間・今別・市浦・鰺ヶ沢・ 八森・能代・大潟)の気温差の経年変化。


もちろん、周辺の気象官署(気象台、測候所)との比較からも陽だまり効果 は認められない(図は省略)。 日本における多くの気象官署では1960年代~1980年代の国土開発時代に 観測所周辺が込み合ってきて「都市化」と「陽だまり効果」の影響で 0.2~1.0℃ほどの気温上昇がある。それゆえ、深浦では陽だまり効果が仮に 0.1~0.2℃程度あったとしても、周辺の気象官署との比較からこれは見出せ ないわけである。

現時点では、深浦は風速減少があるが陽だまり効果はなし、として取り扱う。

津山(岡山県の内陸)
津山測候所も観測開始が新しいので1942年以前のデータは境(鳥取県)と 多度津(香川県)の平均気温から推定する。さらに、津山では陽だまり効果 による気温上昇0.3℃を補正する。

●1943~1960年(18年間):境と多度津の平均気温-津山の平均気温=1.67℃

よって、1942年以前の津山の気温=境・多度津の平均気温-1.67℃

によって推定する。その後、前節で説明した補正を行う。

●陽だまり効果の補正
津山では年平均風速は、
1970年ころ・・・・2.34m/s
2000年ころ・・・・1.55m/s
風速の減少率=(2.35-1.55)/ 2.35=0.34

つまり、34%の風速の減少がある。この減少率が深浦における減少率と同じ であるのは偶然である。
津山における風速減少の傾向がずっと続いているのは、周辺の樹木の繁茂 等によるのかもしれない。これは現地にて確かめなければならない。

津山では陽だまり効果が大きいものと予想し、周辺の6気象官署(室戸岬、清水、 洲本、潮岬、境、浜田)の平均気温と比較したところ、この数年間のみ津山 の気温が高くなっているものの、全体として大きな気温差は認められない (図35.6下)。その理由は、室戸岬以外では風速減少傾向にともなう陽だまり 効果や都市化の影響によって0.2~0.4℃程度の年平均気温の上昇が存在する と考えられるからである。

一方、岡山県内の9アメダス(高梁・上長田・千屋・新見・福渡・和気・ 虫明・倉敷・笠岡)の平均気温と比較してみると、図35.6(上)から わかるように、1990~2000年に相対的に、約0.3℃の気温上昇がある。 これを津山の陽だまり効果によるものと考える。

津山の陽だまり効果
図35.6 (上)津山と9アメダス(高梁・上長田・千屋・新見・ 福渡・和気・虫明・倉敷・笠岡)の平均気温の差の経年変化。
(下)津山と6気象官署(室戸岬・清水・洲本・潮岬・境・浜田)の 平均気温の差の経年変化。
青線は5年移動平均、赤線は長期的な傾向を示す。


2000年代の初期の気温を基準にし、過去の年平均気温を次のように補正する。
1893~1987年・・・・+0.3℃
1988~1993年・・・・+0.2℃
1994~1999年・・・・+0.1℃
2000年以後・・・・・・観測気温を用いる。

以上の補正を陽だまり効果を含む全補正として、津山における年平均気温の 経年変化を図35.7に示した。

多度津と津山の結合
図35.7 多度津(~1942年まで)と津山(1943年以後~)を 結合した気温の経年変化、青線は5年移動平均。


次の図35.8(a)は津山と室戸岬の気温差の経年変化である。10~20年程度の 短周期成分では、個々の地点はその地域固有の気候変動をしているが、 100年スケールの長期変動はほぼ似ているのではないか。ただし、±0.1℃ より細かな変動はあるとしても誤差の範囲内と見るべきだろう。

図35.8(b)は津山と4点(寿都・宮古・深浦・室戸岬)平均の気温差で ある。30~100年の時間スケールでは、津山はこれら4地点と比べた場合、 特殊な変動はしていない。

津山と室戸の気温差
図35.8(a) 津山と室戸岬の気温差の経年変化、黒線は3年移動平均。


津山と4点の気温差
図35.8(b) 津山と4点(寿都・宮古・深浦・室戸岬)平均の気温差 の経年変化、黒線は3年移動平均。


35.5 中都市の各地点における都市昇温量の詳細

前掲の図35.2に示した5地点平均のバックグラウンド温暖化量をもとにして、 各都市の昇温量(=各都市の年平均気温-5地点平均の温暖化量)を以下の 図に示した。青森、秋田、山形、石巻、水戸、長野、飯田、彦根、岡山、 高知、宮崎、那覇、石垣島の順である。

都市昇温青森
図35.9 都市昇温の経年変化(青森)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向、緑の縦線は観測所の移転があったことを示す。
1896~1920年(25年間)について、秋田気温-青森気温=1.1℃であること を参考にして、1893~1896年(4年間):秋田の気温=(青森の気温+1.1℃) によって推定した。これは、他所において1893年以後のデータが多いこと にあわせるためである。


図35.9は青森の都市昇温の経年変化である。ここでは3回の移転があるので、 1940年頃を基準として2000年代初頭までの昇温(0.9℃)を前掲の表35.1の 右端の列に示した。以下に示す都市についても同様である。

都市昇温秋田
図35.10 都市昇温の経年変化(秋田)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向。


都市昇温山形
図35.11 都市昇温の経年変化(山形)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向。


都市昇温石巻
図35.12 都市昇温の経年変化(石巻)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向。


都市昇温水戸
図35.13 都市昇温の経年変化(水戸)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向。


都市昇温長野
図35.14 都市昇温の経年変化(長野)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向、緑の縦線は観測所の移転があったことを示す。


都市昇温飯田
図35.15 都市昇温の経年変化(飯田)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向、緑の縦線は観測所の移転があったことを示す。


都市昇温彦根
図35.16 都市昇温の経年変化(彦根)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向。


次の図35.17は岡山の都市昇温の図である。これまでの図では縦軸の目盛は0.2℃ 間隔であるが、この岡山の図からは0.5℃間隔に変えてあることに注意のこと。

都市昇温岡山
図35.17 都市昇温の経年変化(岡山)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向、緑の縦線は観測所の移転があったことを示す。


次の図35.18は高知の都市昇温の経年変化である。高知の観測露場は終戦 (1945年)以後、周辺に住宅が建設されるようになり、1970~2000年のころ は密集の状態となった。2001~2004年にかけて周辺は都市再開発が行われ、 密集住宅は整備された住宅街となり、縦横に舗装道路ができた。

周辺のアメダス数地点と比較してみると2000年以後、年平均気温は0.3℃ほど 上昇した。その詳細は「K12.温暖化は進んでいるか(2)」 の図12.9で説明した。その結果と図35.18に示す傾向は矛盾していない。

都市昇温高知
図35.18 都市昇温の経年変化(高知)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向、緑の縦線は観測所の移転があったことを示す。


都市昇温宮崎
図35.19 都市昇温の経年変化(宮崎)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向、緑の縦線は観測所の移転があったことを示す。


都市昇温那覇
図35.20 都市昇温の経年変化(那覇)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向、緑の縦線は観測所の移転があったことを示す。


都市昇温石垣島1
図35.21 都市昇温の経年変化(石垣島)、青線は5年移動平均、 赤線は長期変化の傾向。


南西諸島の那覇と石垣島は基準の5観測所の平均的な位置から1,000km以上 も離れているために、年々変動のプロットはばらついているけれども、 20年以上の長期的変動の傾向はよく対応しているように見える。

図35.21から、石垣島の都市昇温は約0.5℃と読みとれる。この約0.5℃の値 を確かめるために、図35.22に石垣島と西表島の気温差(左図)と、石垣島と 与那国島の気温差(右図)の経年変動を示した。

1970~1980年にかけて、それぞれ0.6℃、0.25℃の昇温がある。上述の0.5℃は 西表島との気温差0.6℃に対応している。

一方、与那国島は日本各地の多くの観測所と同様に、この年代に石垣島の 「都市化」の進行と同時に「陽だまり効果」があり、石垣島との気温差が 小さく現れているものと解釈したい。

都市昇温石垣島2
図35.22 (左)石垣島と西表島の気温差、(右)石垣島と与那国島 の気温差の経年変化、青線は5年移動平均、赤線は長期変化の傾向。


西表島(左図)について気になる点は2003~2006年の値が約0.3℃下降して いることである。これは西表島の気温が相対的に上昇していることである。 石垣島内の伊原間アメダスの気温と比較しても同様に、西表島の気温が 2003年以後、0.3℃上昇している。

西表島測候所が無人化されたのは2002年3月1日である。 無人化によって、観測所の露場とその周辺の管理が適切に行われているか どうかが心配になった。露場の風当たりが無人化によって悪化し、陽だまり効果 によって平均気温が上昇したのではないか?

その原因として次のことが考えられる。
(1)無人化にともない、風を遮るフェンスで露場が取り囲まれた。
(2)無人化後、露場に雑草が生い茂るようになった。
(3)隣地に建物ができたり、舗装部分ができたり、あるいは樹木等が生長した。

これまで筆者が観察した多くの例では、無人化された測候所では 露場に雑草が繁茂している。また空き地となった敷地は売り出して いる所もある。

そこで、石垣島地方気象台の玉城潤二次長に問合せした結果、
旧西表島測候所は2003年3月12日に移転しており、そのほか、
(ⅰ)旧測候所は、山すそにあり、周辺が田んぼであったので現在地より低温であった。
(ⅱ)旧測候所は、東から南東に山があり、東~南寄りの風の影響は受け にくいが、北風の影響は受けやすい場所にあった。
(ⅲ)現在の西表島特別地域気象観測所は、周辺に山や田んぼが無く、 観測環境はよい。
(ⅳ)現在の無人観測所は定期的に管理しているので雑草が生い茂るなど、 環境悪化はない。
等のことがわかった。

結局、内地5地点の基準観測所からでも、石垣島の都市化や陽だまり 効果による年平均気温に及ぼす影響が推定できることがわかった。

まとめ

地球温暖化など気候変化を観測できる5観測所(寿都、宮古、深浦、室戸岬、 津山)の100年余の気温資料から温暖化量を求めた。気温変化の傾向は、 1987年までと、それ以後の急激な上昇(気温ジャンプ)の2つに分けた。

1980年代までの約100年間の気温上昇率は0.46℃/100y 程度であり、 その後の1990年代にかけて気温は0.61℃の 幅でジャンプ(1988年の気温ジャンプ)している。

なお、全期間(1893~2006年、114年間)の気温 変化を機械的に直線近似で表すと、気温上昇率=0.69℃/100y となる。

温室効果ガスの増加による地球温暖化とは異なる原因で生じる「都市気温 上昇量」を中都市13ヵ所について、基準5観測所平均気温との差から求める と、戦後復興時の1950年頃から目立つようになり、経済膨張時代の1960年代 から1980年に急速に大きくなり、その後の停滞期があり、そして最近の2000年 前後に急上昇している。

基準とする観測所の数が5地点と少ないために断言できないが、20年以上の 長期変動については、バックグラウンド温暖化量の南日本・北日本の明瞭な 差は認められない。

これら5地点は四国以北の観測所における平均値であるのもかかわらず、 南西諸島の石垣島周辺の20年以上の長期変動をもほぼ代表できる。

都市昇温について、20年以下の短周期変動の傾向を正しくみるには基準観測所 5地点では数が少ないので、今後、陽だまり効果など含む観測所データを 補正して基準として選ぶことを計画している。

資料

中央気象台:中央気象台年報、1886(明治19年)~1940(昭和15年), 1950 (昭和25年)~1996(平成8年).

気象庁:気象庁ホームページ、「気象統計情報」の「気象観測(電子閲覧室)」.

気象庁(編):気象庁年報2005年度版、CD-ROM. (財)気象業務支援センター.

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