K221.日本の降水量長期変化、単純モデル計算


著者:近藤純正
暖候期(5月~9月)の日本周辺海域における放射量(日射量、大気放射量) が大気汚染により、また気温上昇にともなう水蒸気量の増加によって変化 すれば海面蒸発量が変わる。そのため暖候期における日本の降水量が変化 すると考えられる。この関係を理解するために、地表面の熱収支式を解く 単純モデルによって、日本周辺海域の蒸発量が大気条件によってどのように 変わるかを調べた。本論では日本周辺海域として西太平洋(東経110~180°、 北緯0~38°)を選んだ。

1900年以後の日本の暖候期における降水量長期変化を概観すると、 工業化・高度経済成長時代(1920~1940年、1960~1970年)は大気汚染により 降水量が減少しており、太平洋戦争末期の都市焼失時代は空気がきれいになり 降水量の増加と関係しているように思われる。さらに最近は日本のみならず 世界平均として大気汚染は改善・日射量の増加により降水量が増える傾向に ある。

大気汚染の少なかった1947年前後の11年間と、大気汚染が深刻になった 1980年前後の11年間を比較すると、日本の暖候期(5月~9月)における 降水量観測値は3.7%減少した。これは両期間の大気の混濁係数の違いに よる日射量計算値の減少(5.7 W/m2)と対応している。 この計算では、暖候期の日本周辺海域の平均気温は観測値の26℃、相対湿度 は観測値の83%とした。

1980年代の以後、大気の混濁係数が0.07から0.05に改善され、同時に温暖化 が進み気温が+1℃または+2℃上昇したとき日本周辺海域上の相対湿度は一定 の83%、雲量も一定の0.65(65%)として、熱収支式の計算から日本の暖候期 における周辺海域の蒸発量を予測してみると、暖候期の周辺海域蒸発量は大気 汚染の深刻な時代に比べて3.4%(+1℃のとき)、または5.1%(+2℃のとき) の増加となる。それに対応して降水量も増えると考えられる。この場合、 CO2の増加による大気放射量の増加は 1W/m2程度で 小さいが、水蒸気量の増加による大気放射量の増加は6.8W/m2 (+1℃のとき)、または13.7W/m2(+2℃のとき)で大きい。

暖候期における日本の陸地平均の降水量は同緯度の海面蒸発量と同程度で ある。しかし、陸地平均の降水量は、西太平洋平均の蒸発量の1.6倍で あることは、水蒸気がそれだけ低緯度側から陸地上に収束・流入している ことを意味している。

さらに単純モデルの応用例として分かったことは、エル・ニーニョ現象のとき、 赤道太平洋のカントン島(2.8°S, 171.7°W)周辺海域の蒸発量計算値が 平常時の約2倍になることと、カントン島の降水量観測値が約2倍になる ことが対応している。 (完成:2021年11月4日)

本ホームページに掲載の内容は著作物である。 内容(新しい結果や方法、アイデアなど)の参考・利用 に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを明記のこと。

トップページへ 研究指針の目次


更新の記録
2021年10月13日:素原稿
2021年10月30日:査読後に掲載
2021年11月4日:要旨と221.4(7)に加筆
2021年12月6日:「まとめ」の(2)に微小な強調加筆

    目次
        221.1 まえがき
        221.2 大気汚染と混濁係数
    221.3 暖候期(5月~9月)の海面熱収支計算に必要な諸要素     
      (1)平均放射量と平均気温
      (2)海洋貯熱量・海洋運搬熱発散量
      (3)海上の平均風速と相対湿度
        221.4  暖候期降水量と日本周辺海域の蒸発量
      (4)日本の暖候期の降水量観測値の長期変化
      (5)日射量の違いによる日本周辺海域の蒸発量計算値の変化
      (6)大気汚染による日射量計算値の減少
      (7)日本の暖候期の森林蒸発散量
        221.5  気温が+1℃と+2℃上昇時代の周辺海域の暖候期蒸発量の予測
      (8)大気放射量増加の計算
      (9)日射量の計算
      (10)計算に必要な諸要素のまとめ
      (11)温暖化と大気汚染の減少による日本周辺海域の蒸発量増加の計算
        まとめ
        付録
      付録1 暖候期(5月~9月)の日平均日射量の計算
      付録2 気象庁の全天日射量観測値の精度
        文献                  


謝辞
次の方々から頂いたコメントを改稿に役立てることができた。ここに深く 感謝いたします。(称号・敬称略、査読順)。木村龍治、山崎 剛、内藤玄一、 中島映至、鈴木健太郎、熊谷朝臣、花輪公雄。


221.1 まえがき

地球の気候の基本は放射過程で、次いで水循環(蒸発、降水)にともなう 潜熱輸送の働きで大勢が決まっている。

二酸化炭素CO2など温室効果ガスが増えると地球の平均温度は2~3℃ ほど上昇するであろうと100年前からいろいろな学者が論じてきた。最近になり、 この問題が政治・社会問題として取り上げられるようになった。

近年の人間活動によって大気中の二酸化炭素などが増加し、それにともない 下層大気の温暖化が日本では約0.7℃/100yの割合で進んでいる(近藤、2021; 「K208.観測の誤差から真実を見る-地球温暖化観測所 の設立に向けて」)。

この温暖化が続けば、2~3世代後には地球上の動植物に深刻な影響が現れる ため、二酸化炭素の排出量を減らす脱炭素により気候変動の進行を止める 取り組み「気候変動緩和策」が、それと同時に気候変動が進んでも困らない 社会をつくる「気候変動適応策」とともに進められるようになった。

こうした状況下にあっては、国民の多数が地球温暖化について正しく理解して いることが重要と考え、温室効果・気候変動の原理についての解説 「K219. 温室効果、CO2濃度と地表面の放射量」 を示した。この解説では、気候変化について、通常の時間変化を解く数値 シミュレーションによって調べるのではなく、いつでも必ず成り立つ地表面 の熱収支式を用いた。

本研究の動機
筆者による解説「K219. 温室効果、CO2濃度と地表面 の放射量」が仕上がった直後(2021年9月21日)に、「IPCC第6次評価報 告書の図、Box.8.1, Figure1を見たところ世界の5月~9月平均の日射量観測値 (1951年~2014年)は1961年から1988年にかけて大気汚染により5W/m2 ほど減少している(Wild et al., 2017)。これに対して北半球のモンスーン 地域(日本を含む東南アジア、南米北部地域、アフリカ0°N~15°N地域: Polson et al., 2014)では日降水量観測値は1951年から1988年にかけて 0.5 mm/d 減少している(Polson et al., 2014)。(注意:図に示された 日射量の観測値の開始年は10年遅れている。)

一方、多数の気候モデルによるシミュレーションの平均値によれば、日射量 計算値は1951年から1988年にかけて4W/m2ほど減少し、日降水量 計算値は1951年から1988年にかけてわずか0.1 mm/d の減少で、複雑な気候 シミュレーションではモンスーン地域におけるモンスーン期の降水量観測値 の減少量を再現できていない。

しかし、解説「K219. 温室効果、CO2濃度と地表面の 放射量」で用いた地表面の熱収支式を解く単純モデルなら、この降水量 観測値の減少率は説明できる、と直感した。すなわち、複雑な気候モデルの 計算結果に疑問を抱いたので、通常と異なる視点から、筆者は気候変動の 基本的原理を単純モデルで理解することとした。

そして、手元にある観測資料を整理し、地表面の熱収支式を解く準備をした。


備考1:ICPPの報告のリンク先
IPCC第6次評価報告書(AR6)

備考2:全天日射量観測値の誤差
日射量(水平面日射量、全天日射量)の観測値について気になることがある。 日本の気象庁による1980年以前の日射量(水平面日射量、全天日射量) の観測値は誤差が大きく利用できないので、筆者は綿密な放射計算の結果を 高精度実験式で表わすことを行っていた。そのため、IPCC第6次評価報告書の 図に示された日射量の観測値(5W/m2の減少)にも大きな誤差を 含むものと疑った。しかし後で気づくのであるが、外国では1961年以後、 つまり1957~1958年のIGY(International Geophysical Year: 国際地球観測年) で開発された高精度の日射計(例えば、IGY当時に院生であった筆者らによる 東北大学で使ったエプレー社の全天日射計)が利用されるようになり、 日本の気象庁よりも高精度観測データが得られたのかも知れない (付録2を参照のこと)。

備考3:領域を囲った範囲へのエネルギーの出入りを求める「大気収支法」
本論では海面蒸発量を計算する範囲を厳密には決めていないが、対象とする 範囲を決めて、その境界面に出入りするエネルギーとその範囲内の地表面の 熱収支量を観測・計算によって求める「大気収支法」がある。 Benton and Estoque(1954)は北米大陸の周囲を取り巻く高層のラジオゾンデ のデータを用いて大気の水蒸気量の出入りから陸面の年蒸発散量として 550mm/yを得ている。Manabe (1957, 1958) はこの方法に従い(ただし降水量 は推定)、冬の日本海からの蒸発量を求めている。1974年と1975年の2月に 東シナ海で行われた気団変質実験(AMTEX)では、Nitta(1976) とMurty(1976) は沖縄本島周辺の海域(面積=4.3×10112 : 後述の東シナ海と呼ぶ範囲)について海面の熱交換量(=顕熱輸送量+潜熱 輸送量)を求めている。

これらの特別な観測例のほか、最近の大気大循環モデル計算でも大気収支法 が用いられているがその欠点は、観測ではなくて複雑な計算であることである。

備考4:世界の気候モデル計算の現状
現在、世界には何十という多数の大気大循環気候モデルの計算方式がある。 これらの気候モデルと計算結果は、WCRP-CMIP プロジェクト(World Climate Reserch Programme-Coupled Model Inter-comparison Project: 世界機構 研究計画の相互比較計画)などによってデータベースとして整備されており、 研究者は自由に使って計算・研究することができる。

しかし、地球のアルベドや雲量、等々について地球の環境・気候が変化したとき、 どのようになるか大気現象について未解決な問題も多く、どの計算モデルも完全とは 言えない。そのため諸研究では、多数のモデルを用いた計算を行い、それら 結果の平均値と各モデル間の分散をもとめて研究結果として論文にしている。

注意:不適当なモデル計算が多いのではないか?
もう一つ気になることがある。筆者の提案する単純な地表面の熱収支モデル では、設定条件としていい加減な放射量などの条件を与えてはいけない。 現実に観測される気温、風速、湿度、および熱収支量を設定しなければなら ない。その理由は、地表面の熱収支式は物理学の原理「エネルギー保存則」 であるため、気象要素と熱収支量は相互に矛盾することなく繋がっている からである。そのため単純な地表面の熱収支式モデルでは、矛盾データを 用いていれば気づきやすい。一方、上述の複雑な気候シミュレーションの 計算結果を見ると、各モデル間で大きな違いがある。多数のモデルの中には、 いい加減な条件を用いたモデルが混在しているのではなかろうか?  複雑な気候シミュレーションでは、多くの物理過程が含まれているため、 どこが正しくないか見抜くことが難しいのではなかろうか。



221.2 大気汚染と混濁係数

大気汚染による日射量の減少をあらわすとき混濁係数を用いる。混濁係数は、 太陽の周辺に雲のない晴天日に、直達日射計を太陽の方向へ向けて観測し、 水蒸気の影響を補正して求める。

太平洋戦争(1941~1945年)以前の日本では工業生産活動が盛んであった。 この時代、英国でも公害があり、ロンドンの霧が有名になっていた。 戦争中の日本では米軍による空襲で都市は焼き尽くされ、大気汚染は少なく なった。しかし、戦後復興と高度経済成長期の1950~1970年は再び大気汚染 が深刻となり、東京では大気汚染による天空のぼやけと雲の区別が困難となり 晴天日の直達日射量の観測は中止となった。1964年には公害によって四日市市 で死者が出た。そして1967年には公害基本法ができ、1971年には光化学 スモッグが深刻化、1974年には公害研究所が発足した。

図1は日本の代表地点における混濁係数 βdust*の経年変化であり、 前節で述べた世界の傾向と似ている。すなわち、1950年ころから1980年に かけて大気汚染が進み、それ以後の混濁係数は小さい値へと回復傾向にある。

混濁係数長期変化
図1 日本の代表地点における混濁係数 βdust* (Yamamoto et al., 1968)の3月~8月平均値の経年変化(近藤の 「水環境の気象学」(1994)の図4.5より転載)。


筆者と佐藤威(Kondo and Sato, 1979)は、地球大気開発計画(GARP)の 一環として行われた1979年のMONEX(モンスーン実験観測)で、赤道海域の 定点(2°N, 140°E)における13日間のうちの晴天4日間と帰途の6月3日の 15°N付近おいて合計23回の混濁係数を観測し、各日ごとの平均値をもとめ、 それらの平均値(日本南方洋上の値)を求めている。

日本南方洋上の混濁係数:βdust*=0.061 ・・・・・ 1979年5月~6月

以下では、陸地から遠く離れた海洋上で観測したこの値と、図1に示した潮岬 の観測値の平均値を「日本周辺海域における暖候期の混濁係数」として利用する。 つまり、日本周辺海域では1980年前後は混濁係数が大きくなり全天日射量が 減少した結果、海面蒸発量が少なくなり、日本の降水量が減少したと推測 できる。


221.3 暖候期(5月~9月)の海面熱収支計算に必要 な諸要素

日本の暖候期(5月~9月)の降水量をもたらす水蒸気源は主に周辺海域の 海面蒸発量であり、次いで国内の森林域の蒸発散量と見なされる。海面蒸発量 と森林蒸発散量のエネルギー源は地表面における放射量(日射量、大気放射量) である。

この節では、熱収支式を解くに必要な諸パラメータを観測に基づき推定する。 本論では、この諸パラメータの設定のために全体の記述が長くなったのであり、 熱収支式を解く内容の記述は僅かである。

(1)平均放射量と平均気温
日本の気象官署における1980年以前の日射量の観測精度はあまりよくなかった (近藤・三浦、1983)。その後、1980年代になって観測精度は改善されたので、 近藤・桑形(1992)は全国66地点の気象官署のデータを用いて1986年~1990年 の5年間平均の月ごとの平均日射量を求め、さらに、Kondo and Miura(1985) および近藤・中村・山崎(1991)による実験式を用いて月ごとの平均大気 放射量を求めている。その実験式には、日平均日射量、大気上端における 日積算日射量、可降水量、有効水蒸気量、大気の混濁係数、太陽南中時の 天頂角、日の出から南中までの時角、緯度、などのパラメータが用いられて おり、高い精度で放射量が推定されている。近藤・桑形(1992)に示された 一覧表から次の結果を得ることができる。本論では、放射量の観測値を海面 に応用するので、海面アルベドを r=0.06 とする。

5月~9月の平均値(国内66地点平均)
 日射量:S=186±16 W/m2
 大気放射量:L=380±24 W/m2
 気温:T=21.6℃±3.5℃

 海面入力放射量:(1-r)S+L=637 W/m2  ・・・・(1a)

また、Kondo and Sato(1979)はモンスーン実験「MONEX」において1979年5月 2日~6月7日(37日間)の東京大学海洋研究所の白鳳丸による東京から東経 140度線に沿って南下し2°Nで定点観測、ラバウルに寄港・給油、東経150度線 に沿って東京湾へ帰港した。この往復観測では、次の結果を得た。

 平均気温:T=25.9℃
 相対湿度:rh=83%
 日射量:S=245 W/m2
 大気放射量:L=422 W/m2
 正味入力放射量:(1-r)S+ L=652 W/m2  ・・・・・(1b)

ただし、これらは定点観測点(2°N、140°E)に停泊した5月9日~21日の期間 は13日間の平均値を用いて他の日と同じ重みづけで平均した値である。 式(1b)は(1a)と比べて大差がないので、式(1b)を日本周辺海域に おける1980年前後の5月~9月の平均値として用いる。

暖候期(5月~9月)の日本に降水をもたらす水蒸気源の中心域は日本の平均 緯度よりやや南にあり、気温は国内66地点平均値21.6℃より少し高温とし、 上記MONEXで得た東経140度(往路)と東経150度(帰路)の緯度0~32°N間 で観測した平均気温:

 平均気温:T=26℃ ・・・・・・・・・(2)

を利用する。


備考5:船上の定常観測(気象通報用の観測)の問題点
この航海における気象通報用の定常観測(船員が担当)では、船上にできる ヒートアイランドにより日中は最大+0.6℃、夜間はクールアイランドにより -0.1℃程度の誤差があることがわかった。また、追い風のときは相対的に 船尾からの風が甲板上を吹くことになり、海面上の真の気温と異なる気温を 観測することになる。このMONEXでは、多数の研究者が乗船し各々の研究目的 用に各班は船上の異なる場所で気温を観測した。それら気温データをもらって 比較してみると各班の気温はみな異なっていることがわかった。

そのため、東北大学班(筆者と佐藤威の2名)は、37日間にわたり深夜も含めて 3時間間隔の1日8回の観測を行うこととし、通常は白鳳丸の舳先で、追い風 のときは船尾で真の海上の気温と湿度を観測したのである。

海洋上の気温の日変化幅(最高気温と最低気温の差)は小さく約0.4℃である。 船員による定常観測(気象通報用の観測)の気温は甲板上に設置された 百葉箱内の気温である。この気温が筆者らの観測気温に比べて、何となく 位相が早いように感じたので、船員に尋ねると、「気温は定時の30分前に 観測し、他の要素の目視観測などを行い、ちょうど定時に気圧観測を行う」 とのことであった。


(2)海洋貯熱量・海洋運搬熱発散量
日本の周辺海域の海面下へ入る貯熱量と海流が運ぶ海洋運搬熱については 下記の情報(2-1)~(2-3)から推定する。

(2-1)野尻湖における5月~9月の貯熱量
Yamamoto and Kondo(1968)は空気力学的方法と熱収支法の2方法によって 野尻湖の蒸発量の季節変化を求めている。この資料から暖候期(5月~9月) 平均の貯熱量を求めると次の値となる。符号のプラスは水面下へ下向きに入る 熱輸送量を表わすとして、

  貯熱量=+37 W/m2

なお、野尻湖の平均水深は21m、最大深度は41mである。海は水温変化層が 深いので、貯熱量はこの値より大きくなるはずである。

(2-2)西太平洋(東経110~180°、北緯0~38°)の1979年5月の貯熱量
Kondo and Miura(1985)はモンスーン実験が行われた1979年5月について、 西太平洋上を航行する一般船舶からの気象通報と、観測船(白鳳丸と啓風丸) による諸観測データを用いて海面の顕熱・潜熱輸送量、海洋の貯熱量・海洋 運搬熱発散量の月平均値を求めている。この場合、海面の顕熱・潜熱輸送量 はKondo(1975)の大気安定度を考慮したバルク輸送係数を用いて評価した。 海洋の貯熱量・海洋運搬熱発散量は海面熱収支式と海面水温の変化率と海洋 混合層の深さから評価した。海洋混合層深さは熱帯海域で60m以上、 20~30°Nでは30mより浅く、30°N以北では再び深くなる緯度分布の観測値を 用いた。その際の放射量は気象通報に含まれる雲量・雲形、気温などのほか、 緯度、太陽赤緯、大気上端の日射量などを含むKondo and Miura(1983)の実験式 を用いて評価した。

その結果によれば、東経110~180°、北緯0~38°の西太平洋における5月の貯熱量 は-50~+150 W/m2の範囲に分布し、平均値≒+80 W/m2 である。一方、海洋運搬熱発散量は-150~+150 W/m2の範囲に 分布しており、東シナ海から日本の南岸に沿う黒潮流域では平均 -100 W/m2であるが、それ以南では平均+50 W/m2 である。

(2-3)東シナ海周辺海域における5月~9月の貯熱量と海洋運搬熱の発散量
冬期2月の観測「AMTEX」(Kondo, 1976)に続き、石井・近藤(1987)は 東シナ海周辺海域について、海面下へ輸送される熱輸送量 G(貯熱量と海洋 運搬熱発散量の和)の1月~12月までの季節変化を求めている。この計算では、 一般船舶からの日々の気象通報データも用いている。東シナ海、黄海、渤海 (各面積は4.3×10112)の5月~9月の G の平均値は 次の通りである(プラス値は海面から下向き)。

 +30 W/m2 ・・・東シナ海
 +81 W/m2 ・・・黄海
 +116 W/m2 ・・・渤海

暖流・黒潮の影響の大きい東シナ海では海洋運搬熱発散量(マイナス値: 海面へ向かって水中から上向きの熱フラックス)の影響によってプラス値が 小さくなっている。

(2-4)海洋貯熱量・海洋運搬熱発散量のまとめ
以上をまとめると、日本の周辺海域における5月~9月の海面下へ入る熱 フラックスは、

 G=+82 W/m2  ・・・・・・・・・(3)

と推定される。それゆえ、次節に示す熱収支式(8)の左辺(有効入力量) の値として、

 (1-r)S+L-G=652-82=570 W/m2  ・・・・・(4)

を得る。


備考6:冬の東シナ海周辺海域における海洋運搬熱発散量
1974年2月15日~27日と1975年2月15日~28日に行われた冬の東シナ海周辺海域 における国際協力実験「気団変質実験:AMTEX」で得られた東シナ海の海洋 運搬熱発散量の2週間平均値は-290 W/m2 である(Kondo, 1976)。 この莫大なエネルギーによって、大陸からの乾燥寒冷気団が湿潤温暖気団へと 変質されている。この海面から放出される大きな顕熱・潜熱放出量があっても、 海洋運搬熱発散量があるため海水温度の低下はほとんど生じていない。



(3)海上の平均風速と相対湿度
Kondo and Miura(1985)はモンスーン実験が行われた1979年5月について、 西太平洋上を航行する一般船舶からの気象通報のデータを整理し、 東経110~180°、北緯0~38°の海域における5月の平均風速は4~9m/sの 範囲にあり、高緯度ほど風速が強くなっていることを示した。

一方、前記のKondo and Sato(1979)はモンスーン実験「MONEX」で観測した 高度22mの風速は6.5m/s である。この風速値を高度10mに換算すると 6.1m/s になる。

これらの結果から、日本周辺海域の暖候期(5月~9月)の高度10mにおける 平均風速として次を利用する。

 平均風速 U=6 m/s

Kondo(1975)によれば、大気安定度が中立時の風速6m/s に対する海面の顕熱 輸送のバルク係数Ch=1.2×10-3である。したがって、顕熱輸送の 交換速度として次の値を用いる。、

 kH=ChU≒0.007 m/s・・・・・・・(5)

次に、海面上の相対湿度について調べた。上記の海域についてKondo and Miura(1985)が作成した気温と露点温度の分布図から、1979年5月における海上 の相対湿度を計算すると、77%~90%の範囲にある。また、前記の Kondo and Sato(1979)によるモンスーン実験「MONEX」の観測では、 次の結果を得た。

 海上の相対湿度:rh=83%=0.83 ・・・・・(6)

この式(6)を、暖候期(5月~9月)の日本周辺海域の相対湿度の平均値として 用いる。

以上のように推定した条件を次節の熱収支式に用いて、潜熱輸送量と顕熱 輸送量(ιE、H)を求めることになる。後掲の図で示すように、風速などの 推定値に多少の誤差が含まれていたとしても、蒸発量の変化量に大きな誤差は 生じない。これは熱収支式の利用における特徴(利点)である。


221.4 暖候期降水量と日本周辺海域の蒸発量

前節よって準備ができたので、本節では日本国内の降水量と比較するために 海面の熱収支式を解き海面蒸発量を求めることになる。

(4)日本の暖候期の降水量観測値の長期変化
図2は暖候期(5月~9月)の日本の気象庁51観測所平均の降水量の長期変化で ある。51地点は気象庁が降水量の気候統計に利用している観測所(旭川、網走、 札幌、帯広、根室、寿都・・・・松山、多度津、高知、徳島、名瀬、石垣島、 那覇)と同じである。

降水量は年々変動が激しいので11年移動平均値を破線で示してある。 前述のIPCC第6次評価報告書の図に示された北半球モンスーン期のモンスーン 地域の降水量観測値に比べて変動が大きいのは、図2は日本のみの狭い範囲の 降水量であることによると思われる。

気温や降水量に限らず気象要素の長期変動には大気汚染や地球温暖化のほか、 太陽黒点周期や大規模火山噴火にともなう数十年の周期的変動、1946年に 生じた日本東方沖における黒潮・親潮境界の移動による海面水温のジャンプ などの影響も含まれている。

降水量の長期変化の傾向
図2を概観してみよう。1914年~1918年の第一次世界大戦後に日本の工業近代 化が進み、さらに1923年の関東大震災後も日本は大きく発展した。1900年 以後のこの時代に大気汚染が進んだことと降水量の減少が関係しているのでは なかろうか? 1941年~1945年の太平洋戦争の終戦前の都市はアメリカ空軍の爆撃により焼き 尽くされ工業生産活動が弱化し大気はきれいになった。これと降水量の増加 が関係しているように思われる。1953年と1954年(昭和28年と29年)の異常に 大きな降水量の原因は不明である。戦後復興による1960年代から1970年代に かけての高度経済成長時代には大気汚染が進み1980年前後には大気汚染が深刻と なる。この時代は日本のみならず世界でも大気汚染の時代であり、降水量が 少なくなった時代である。 その後、日本のみならず世界平均として大気汚染は減少し日射量が増える傾向 となり、降水量も増加傾向にある。特に2005年以後の最近の降水量増加傾向は、 大気汚染の減少傾向のほか、最近の気温上昇率が大きいこと (「K206.地球温暖化、全国3試験観測所」 の図206.9を参照)と対応すると考えられる。気温上昇との関係は、 本論の221.5節で述べる。

51地点降水量
図2 日本の暖候期(5月~9月)の51地点平均の降水量の長期変化 (1900年~2020年)。


太平洋戦末期~終戦直後の1943~1953年(11年間)の大気汚染の少なかった 時代の降水量平均値=5.93mm/d に比べて、公害が深刻になった1975~1985年 (11年間)の降水量平均値=5.71mm/d は3.7%ほど少ない。

図から見て、3.7%には誤差が含まれる可能性があるが、以下では、この値と 蒸発量計算値の変化率を比較することになる。

(5)日射量の違いによる日本周辺海域の蒸発量計算値の変化
地表面に短波放射(太陽放射、日射)Sと長波放射量(遠赤外放射、大気放射) Lが入射するとき、地表面温度 Tsと気温 T に差が生じ、地表面 から長波放射量σTs4、顕熱輸送量 H、蒸発による潜熱輸送量ιE、 および地表面下の地中・水中への熱輸送量 G が発生して熱収支がバランスする。 左辺は入るエネルギー、右辺は出るエネルギーとして表せば、r を海面の アルベドとして、

 熱収支式:(1-r)S+L=σTs +ιE+H+G ・・・・(7)

本論では G を式(3)によって与えるので、この式(7)を書き直せば、

 本論で解く熱収支式:(1-r)S+L-G =σTs+ιE+H・・・・・(8)

ここに、
 H=CpρkH(Ts-T) ・・・・・・(9)
 ιE=ιρβkH(qs―q) ・・・・(10)

βは蒸発効率(β=0~1)である。ここでは海面を対象とするのでβ=1を 用いる。これら式(8)~(10)から T が与えられたときの(Ts-T)、H、 ιEを求めることができる。

解法として(Ts-T)が小さいときは近似解があり、一般には逐次近似法がある (近藤、1994、p.132~p.135)。逐次近似法の計算プログラムは近藤(2000) の付録Fに記載してある。あるいは、エクセル計算の場合は、Tsの予想値を 細かく並べ、それにしたがって式(8)の右辺各項を計算し、右辺の和が 左辺に一致するときのTs を見つけ、その結果から(Ts-T)、H、ιEが わかる。エクセル計算に慣れていれば、この方法による解法がもっとも簡単 である(ただし、FORTRANなどではプログラムに間違いがあれば計算は進行 しないが、エクセルでは間違っていても気づかぬことがあるので注意しよう)。

以上の条件をまとめると次の通りである。

 左辺:(1-r)S+L-G=652-82 =570 W/m2  ・・(4)
 海上気温:T=26℃  ・・・・・・・・・・・・・・・(2)
 海上の相対湿度:rh=0.83  ・・・・・・・・・・・・(6)
 顕熱の交換速度:kH=ChU≒0.007 m/s  ・・・・・・(5)

これら条件に対する計算結果を図3に示した。風速に誤差が含まれる場合を想定 し、横軸の kH=0.004m/s~0.011 m/s の範囲を描いてある。また、 式(8)の左辺を570、580,590 W/m2と変化させた場合について 色分けして示した。

蒸発量 E を示す最下段の図からわかることは、各曲線がほぼ同じ間隔で並んで いることから、顕熱の交換速度すなわち風速の推定に多少の誤差があっても、 また式(8)左辺の値に多少の誤差があっても、蒸発量の変化率には大きな 誤差は生じないことがわかる。これは熱収支式の特徴である。

熱収支量と交換速度の関係
図3 熱収支量と顕熱の交換速度kHとの関係、色分けして表わした パラメータは式(8)の左辺が570、580、590W/m2の場合である。 各図は上から順番に、海面水温・気温差(Ts-T)、顕熱輸送量(H)、潜熱 輸送量(ιE)、蒸発量(E)である。


図3に示された最下段の蒸発量 E に注目する。式(8)の左辺=570 W/m2 のときを基準としたときの条件(大気汚染が深刻な時代:1980年前後11年間、 式2,4,5,6)における日本周辺海域の蒸発量計算値の結果は次の通りである。

 海面蒸発量計算値:E=3.54 mm/d ・・・・・・・・・・(11)

図3(最下段の図、青線と緑破線の差)から読み取ると、式(8)左辺の入力 エネルギー [(1-r)S+L-G ] における 10 W/m2 の違いに対して、蒸発量 E の変化=(3.77mm/d-3.54mm/d) =0.23mm/d(6.5%)である。図2に示した降水量の変化率3.7%が蒸発量の 変化率に等しいとみなせば、これを生む入力放射量の差は(=10 W/m2 ×3.7/6.5=)5.7 W/m2に対応する。

この5.7 W/m2は、「はしがき」の「本研究の動機」の 「IPCC第6次評価報告書の図、Box.8.1, Figure1」で説明した5月~9月の 世界平均の日射量観測値の減少(1961年から1988年にかけて大気汚染による 減少)の 5 W/m2 と、偶然にもよく対応しており、筆者は驚いた。 当初、5W/m2は観測誤差から信用できないと疑ったのだが、 それは1980年以前における日本の気象庁の全天日射量の観測誤差から抱いて いた先入観からであった。

5.7 W/m2の違いは日射量の高精度計算からも得られるか否か、 後掲の(6)項で検討する。

表1は大気汚染が深刻な年代(1975年~1985年)の暖候期(5月~9月)について計算された 熱収支量のまとめである。表の下半分は式(8)の左辺(有効入力量)= 570 W/m2 のときの各熱収支量である。570 W/m2の 入力のうち、大部分は海面温度 Ts から上方へ向かって失う長波放射量 (σTs4=461 W/m2)となり、残りの109 W/m2 が顕熱輸送量 H=9 W/m2と蒸発の潜熱輸送量ιE=100 W/m2 に分配される。ボーエン比=H/ιE=9/100 である。このことからもわかる ように、地球の気候は放射によって基本が決まり、次いで水循環(蒸発、降水) にともなう潜熱輸送によって支配されている。

表1 大気汚染が深刻な年代(1975年~1985年)の暖候期(5月~9月) における熱収支表
基準年代の熱収支表


さらに表1の3行目(162 W/m2)と5行目(100W/m2) からわかることは、日本周辺海域における蒸発に ともなう潜熱輸送量100 W/m2に比べて、日本陸上での降水の際に 上空で解放される潜熱162 W/m2が大きいことである。つまり日本 には周辺海域から水分(熱エネルギー)が1.6倍も収束・流入している。 この162 W/m2 は日本上空大気を加熱すると同時に、雲が多くなり 宇宙に向かって放出される長波放射量も多くなることでバランスしている。


備考7:全天日射計の検定と観測
1957~1958年のIGY(International Geophysical Year : 国際地球観測年) では高精度の日射計(例えば、IGY当時に院生であった筆者らによる東北大学 で使ったエプレー社の全天日射計)が利用されるようになっていた。しかし、 日本の気象庁では、主に日本製の全天日射計を使っていた。IGY後の当時、 筆者は気象庁の検定方法に疑問を抱いていた。また日本製の全天日射計 の黒色受感部は数年経過すると白っぽく変色していた。当時、東北大学では 準標準器と見なされるオングストローム補償日射計を基準にして他の全天 日射計や長波放射計を検定し使用していた。東北大学の観測値と気象庁観測値 に大きな違いがあった(詳細は付録2を参照のこと)。



(6)大気汚染による日射量計算値の減少
前項(5)で説明したように、暖候期(5月~9月)の日本周辺海域において、 大気汚染による1980年前後の全天日射量が1947年後に比べて5.7W/m2 減少するか否か、綿密な実験式から計算してみよう。

1980年頃より以前の日本の日射量(全天日射量)の観測値は誤差が大きく、 熱収支式の計算には利用できない。筆者が1960年代に行った日本全国の湖面 蒸発量の推定や、1970年代に行った東シナ海周辺海域の熱収支解析などに利用 できなかった。そのため筆者は、日射量の厳密な計算値(Robinson, 1966) を高精度の実験式で表わすことを行った。その実験式に基づき、大気汚染に より混濁係数(Robinson のβdust)が変わったときの日射量(全天日射量) がいくら変化するかについて計算する。その実験式は近藤(1994)「水環境の 気象学」の第4章「日射と大気放射」に掲載されている。ここでは主な式のみ 記載し、エクセルによる具体的な計算は付録1に示してある。

○ 大気上端の水平面の日平均日射量(式番号は同書の式番号):

 Sod=(Ioo/π)(d/do)2×(Hsinφsinδ+ cosφcosδsinH)・・・(4.3)

ここに、Ioo は太陽定数、dとdoは太陽・地球間の距離とその平均距離、 φは緯度、δは太陽の赤緯、それらは1月1日からの日数 i から計算式で 与えられる。本論では暖候期を代表する8月1日(i=213)を想定する (付録1の計算表に示してある)。

○ 快晴日の全天日射量の日平均値 Sdf

 Sdf/ Sod=(C1+0.7×10-mdF1) (1-i3)(1+j1) ・・・・(4.76)

ここに、

 F1=0.056+0.16(βdust)0.5
 C1=0.21-0.2βdust
 i3=0.014(md+7+2 log10w) log10w
 j1=[ 0.066+0.34(βdust)0.5 ] (r-0.15)

また、mdは日平均的な太陽の光路長(天頂のときmd=1)、rは地表面の アルベドである。

○ 雲があるときの全天日射量の日平均値 Sd

 Sd=y × Sdf ・・・・・・・・・・・・(4.77)

 y=1.70×log10(1.22-1.02x)+0.0521x+0.846, ただしn≧0.3のとき、
 y=1,ただし n<0.3のとき
 x=n-α×exp(-3NL)

ここに、n(=0~1)は平均雲量、NLは下層雲の平均雲量で正しくは気象 通報式の記号Nh(=0~1)のこと、αは0.4程度であるが、雲が特殊な場合は α=0.3程度になる場合もある。ここではα=0.4を用いる。 Kondo and Miura(1985)が作成した1979年5月の西太平洋(東経110~180°、 北緯0~38°)における平均雲量 n の分布図によれば、n=0.4~0.9であること から n=0.65を用いる(詳細は付録1を参照のこと)。


備考8:Yamamoto の混濁係数 βdust* とRobinson の混濁係数 βdust の違い
混濁係数は晴天日(ただし、太陽の周辺に雲がないとき)に直達光を観測し 水蒸気の効果を補正して求める。Yamamoto et al, (1968)とRobinson(1966)の 図について、両者には原理的にほとんど差はないが、計算に用いた大気上端に おける太陽光のスペクトル形やその他が少し異なるために、βdust* の値がβdustに比べて0.02~0.04程度大きめになる。本論では、

 βdust=βdust*-0.02 ・・・・・(12)

によって観測値βdust*からβdustを求める。



日平均日射量の計算結果は次の通りである。

1980年前後(11年間平均)・・・・大気汚染時代
 βdust=0.07
 日平均日射量=260.0 W/m2

1947年前後(11年間平均)・・・・空気がきれいな時代
 βdust=0.02
 日平均日射量=266.4 W/m2
 1980年前後に比べて 6.4 W/m2 多い。

この項のまとめ:
◎ 前記の(5)項によれば、1947年前後と比べて1980年前後の大気汚染時代の 日本の暖候期(5月~9月)における降水量の3.7%の減少は、熱収支式の解 から得られる日本周辺海域の日射量の5.7 W/m2 の減少と対応して いた。一方、この(6)項における日射量の高精度計算によれば、 6.4 W/m2 の減少である。両者はわずか0.7 W/m2の違い である。偶然かも知れないがよく対応していることに驚く。

◎ 大気汚染の少なかったβdust=0.02 の1947年前後の時代に比べて大気汚染が 深刻となったβdust=0.07 の1980年前後の時代を比べると、日射量の 6.4 W/m2の減少により海面蒸発量計算値は4.2% (=3.7%×6.4/5.7)の減少である。

(7)日本の暖候期の森林蒸発散量
近藤・中園・渡辺・桑形(1992)は、近年になってから水文過程(水循環) の気候に及ぼす影響が重要視されるようになり、その実態把握の一環として 1986年~1990年の5年間の気象データを用いて、全国66地点の森林からの 蒸発散量(蒸散量と降雨日の遮断蒸発量の和)を月ごとに求めた(66地点の うちの15地点については「水環境の気象学」の表14.6に掲載してある)。

月ごとの値から5月~9月の値を整理すれば、全国平均値は次の通りである。

 森林蒸発散量:E=3.10±0.45 mm/d ・・・・・・・・・・(13)

これは、式(11)に示した低緯度までを含む西太平洋における海面蒸発量計算値 (E=3.54 mm/d)の88%で少し小さい。その理由は、日本国内の66森林の 平均緯度が高く気温が 低いからであり、気温の低い北海道も含む平均値である。暖候期の北海道の 蒸発散量は南日本の2/3程度である。ちなみに名瀬以南7地点(名瀬、石垣島、 宮古島、那覇、南大東島、父島、南鳥島)に標準林が存在した場合の暖候期 平均値は次の値となる。

 名瀬以南7地点森林蒸発散量:E=3.49±0.14 mm/d ・・・・・・(14)

これと式(11)(低緯度まで含む西太平洋の平均蒸発量:3.54 mm/d)を比較 すると、ほぼ同じである。近藤(2000)「地表面に近い大気の科学」の図7.19 に示したように、湿潤気候の地域(降水量>ポテンシャル蒸発量)では、 気候条件が同じならば森林蒸発散量は湖(および海)の蒸発量と同程度 または少し大きい。


備考9:森林における蒸発散量の観測値との比較
ここに示した全国66地点の森林蒸発散量は実際の森林における水収支法や フラックスの直接測定法、その他の方法による観測値と比べてほぼ一致して いる(近藤、1994「水環境の気象学」の図14.6;近藤、2000「地表面に近い 大気の科学」の図7.6;「K123.東京都心部の森林 (自然教育園)における熱収支解析」)。



221.5 気温が+1℃と+2℃上昇時代の周辺海域の 暖候期蒸発量予測

本論で基準としているのは、日本のみならず世界平均として大気汚染が深刻と なった1980年前後の条件のときである。すなわち、式(8)の左辺= (1-r)S+L-G=570 W/m2、 海上気温:T=26℃、相対湿度:rh=0.83、顕熱の交換速度:kH =ChU≒0.007 m/s、大気の混濁係数:βdust=0.07 の条件のときである。 1980年代以後、大気汚染の状態は日本でも世界平均でもほぼ同じように回復 しているので、今後の日本周辺海域の値として、

 2010年以後の混濁係数:βdust=0.05 ・・・・・・・(15)

を仮定する。海上の相対湿度 rh は気温が変わっても一定とする。

 rh=0.83 ・・・・・・・・・・(16)

温暖化によって気温が変わると水蒸気圧 e が大きくなり、その結果として 可降水量 wも有効水蒸気量 wTOP*も大きくなる。w が大きくなると 地上の日射量 Sは僅かに小さくなるが、有効 水蒸気量の全量 wTOP*が大きくなり地上の大気放射量が 大きくなる。

(8)大気放射量増加の計算
気温が基準時の26℃から+1℃、または+2℃上昇したとき、地上(海面上) の水蒸気圧e は

 e=27.90 hPa ・・・・・T=26℃(基準)
 e=29.59 hPa ・・・・・T=27℃
 e=31.37 hPa ・・・・・T=28℃

である。続いて e から有効水蒸気量 wTOP* と可降水量w を求める ことにしよう。大気境界層内に昼夜にわたって大きな気温の逆転層ができる ような特殊な場合を除けば、日平均水蒸気圧 e と有効水蒸気量の全量 wTOP*は密接な関係があり、「K219.温室 効果、CO2 濃度と地表面の放射量」の図4に示した。その図に 示した実験式は近藤(2000)「地表面に近い大気の科学」の付録Bに露点温度 の範囲ごとに3つの実験式で表わされているため、各式のつなぎ目で微分が 不連続になる。本研究では変化量を知ることが目的であるので、全範囲で 連続になるように次の式で表わすことにした(e は水蒸気圧、hPa)。

 wTOP*=-0.0007e3 + 0.0389e2 + 0.749e + 1.4328 ・・・・・(17)

図4は実験式(17)を示しており、e が変化したときのwTOP*を求 めることができる。

水蒸気圧と有効水蒸気量の関係
図4 地上の日平均水蒸気圧 e と有効水蒸気量全量 wTOP*の関係、 ただし暖候期を想定し e=25~32 hPa の範囲を拡大して示してある。


次に、有効水蒸気量の全量 wTOP*が変化したとき地上の大気放射量 Lがいくら変化するかについて、多くの観測から 得られている実験式から求めることにしよう。前章の 「K219. 温室効果、CO2濃度と地表面の放射量」の付図2で示した実験式を 利用する。

図5は有効水蒸気量の全量 wTOP*と大気放射量の関係である。 ただし、縦軸は地上の日平均気温 T(K)に対する黒体放射量 σT4 で無次元化してある。図中の4つの曲線は近藤(2000)「地表面に近い大気の 科学」の式(2.33)~(2.37)で表わされる。

日本の周辺海域を想定すると、快晴域と雲域があり、大気放射量はそれぞれ 図5の「快晴」と「下層雲・中層雲・上層雲」の曲線が対応する。 本論では曲線の微分量(傾斜)が必要であるので、暖候期の平均状態を知る ために雲のあるときの実験式として上層雲が広がるときの実験式(18)を 用いる(同書の式2.34に同じ)。

 L/σT4=0.76 + 0.017 ln(wTOP*) + 0.005 [ ln(wTOP*) ]2 ・・・・・(18)

大気放射量と有効水蒸気量の関係
図5 大気放射量と有効水蒸気量全量 wTOP*の関係、ただし縦軸 は地上の日平均気温 T(K)に対する黒体放射量 σT4で無次元化 してある(「K219. 温室効果、CO2濃度と地表面の 放射量」の付図2の横軸=33mm~43mmの範囲を拡大して示した)。


この式から気温が+1℃上昇し、それにともなってwTOP*が大きく なったときの地上における大気放射量 Lの増加分を読み取る。 なお、wTOP*と可降水量 w の実験式は、近藤(2000)「地表面に近い 大気の科学」の式(A2.7)、すなわち、

 w=1.234 wTOP* - 0.21 ・・・・・・・(19)

ただし、w とwTOP*の単位はいずれもmm である。

(9)日射量の計算
前節で説明した高精度実験式を用いれば、混濁係数と可降水量が変わったとき、 快晴日の日平均日射量を「水環境の気象学」の式(4.76)から求めることが できる。さらに雲量があるときは、式(4.77)から日平均日射量を求めること ができる。計算の詳細を示した付録1から日平均日射量Sは、

 1980年代(基準)(βdust=0.07):S=260.0 W/m2, ΔS=0 (基準)
 気温+1℃上昇時代(βdust=0.05):S=261.5 W/m2, ΔS=1.5 W/m2
 気温+2℃上昇時代(βdust=0.05):S=260.5 W/m2, ΔS=0.4 W/m2

ここにΔSは1980年代(基準年)の日平均日射量との差を表わし、 付表1の最下段にも記載してある。

(10)計算に必要な諸要素のまとめ
海面下へ入る熱輸送量G(貯熱量と海洋運搬熱発散量の和)については、 221.3節の(2)項では観測に基づく諸情報をもとにしてG=+82 W/m2 を決め、熱収支式(8)の左辺=(1-r)S+L -G=570 W/m2 とした。

本節では基準条件(1980年前後)における熱収支式(8)の左辺の値が前節と 同じ570 W/m2 になるようにG=+77.4 W/m2 とする。 しかし、温暖化にともなう海洋運搬熱が変わる可能性や海域により G は異なる ので、将来予測の計算では式(8)左辺の有効入力量が±50 W/m2 の範囲で変化した場合も示すことにする。

以上の結果をまとめると、計算に用いる諸条件は次のようになる。

基準値(1980年前後の大気汚染時代)
 混濁係数:βdust=0.07
 気温:T=26℃
 相対湿度:rh=0.83
 水蒸気圧:e=27.90 hPa
 有効水蒸気全量:wTOP*=37.42 mm
 可降水量:w=45.96 mm
 日射量:S=260.0 W/m2
 大気放射量:L=403.0 W/m2
 正味入力放射量:(1-r)S+ L=647.4 W/m2
 海面下へ入る熱輸送量:G=77.4 W/m2
 有効入力量:(1-r)S+L-G=647.4-77.4 =570 W/m2

+1℃上昇したとき
 混濁係数:βdust=0.05
 気温:T=27℃
 相対湿度:rh=0.83
 水蒸気圧:e=29.59 hPa
 有効水蒸気全量:wTOP*=39.50 mm
 可降水量:w=48.53 mm
 日射量:S=261.5 W/m2
 大気放射量:L=409.8 W/m2
 同上 増加分:ΔL=6.8 W/m2
 正味入力放射量:(1-r)S+ L =655.6 W/m2
   同上 増加分:ΔRin= +8.2 W/m2
 海面下へ入る熱輸送量:G=77.4 W/m2
 有効入力量:(1-r)S+L-G=655.6-77.4 =578.2 W/m2
 同上 増加分:578.2-570.0=8.2 W/m2

+2℃上昇したとき
 混濁係数:βdust=0.05
 気温:T=28℃
 相対湿度:rh=0.83
 水蒸気圧:e=31.37 hPa
 有効水蒸気全量:wTOP*=41.60 mm
 可降水量:w=51.12 mm
 日射量:S=260.5 W/m2
 大気放射量:L=416.7 W/m2
 同上 増加分:ΔL=13.7 W/m2
 正味入力放射量:(1-r)S+ L =661.6 W/m2
   海面下へ入る熱輸送量:G=77.4 W/m2
 有効入力量:(1-r)S+L-G=661.6-77.4 =584.2 W/m2
 同上 増加分:584.2-570.0=14.2 W/m2

熱収支式(8)の左辺(有効入力量)の増加分のほとんどは、気温上昇にとも なう水蒸気量の増加による大気放射の増加分である。また、前報の 「K219.温室効果、CO2濃度と地表面の放射量」 の図5からわかるように、CO2 が現在の400ppmから将来500~600ppm に増えた場合、大気放射量の増加は+1 W/m2 未満または同程度で 他に比べて小さい。

それゆえ以後の計算ではCO2 の増加による大気放射量の増加は 無視して熱収支式を解く(今後のCO濃度がどのように変わるか、 不明であることにもよる)。


備考10:黒色エアロゾルと白色エアロゾルの放射効果
大気中には土壌粒子や海塩粒子のほか黒色炭素、硫酸塩、硝酸塩などの エアロゾルが浮遊している。エアロゾルは太陽放射を吸収・散乱する。 そのうち黒色炭素エアロゾル(black aerosol)は太陽光を吸収し大気を加熱 するとともに地表面に届く日射量を減少させる。硫酸塩(SO4)など のエアロゾル(white aerosol)は透明で太陽光を散乱させるが大気加熱は 起こさず地表面に届く日射量を減少させる。なお本論では、地表に届く 全天日射量の日平均値は混濁係数(Robinsonの混濁係数)βdustが大きく なるほど小さくなる計算式を使っている(付表1および近藤、1994「水環境の 気象学」の式4.3,式4.76,式4.77を参照のこと)。

黒色炭素エアロゾルと硫酸塩エアロゾルの効果の研究例として、 Suzuki and Takemura(2019)による大気大循環モデル計算がある。 この計算結果によれば「蒸発量の変化≒降水量の変化」がほぼ成立っていて、 エアロゾル量の変化から推定される放射収支と対応している。

Tang et al, (2021) は複数の気候モデル解析で黒色炭素によって下層大気の 鉛直安定度が変化することを示した。 ( 「Tang et al,(2021)の論文の詳細」
すなわち大気中の黒色炭素層による大気加熱は大気安定度を高め風速を 低下させる。その結果、地表面の顕熱・潜熱輸送量に影響を及ぼすことになる。

本論では、地上の放射量の計算には、黒色炭素も含めたすべての大気汚染の 影響が混濁係数を通じて含まれている。それゆえ、黒色炭素による大気安定度 の変化はCO2など他の要因による変化に混みになっているものと 考え、それらを代表して過去および将来の気温 T を与える簡単な方法で 扱っている。



(11)温暖化と大気汚染の減少による日本周辺海域の蒸発量増加の計算
図6は前項(10)でまとめた条件を用いて、熱収支式(8)を解いた結果である。 最下段の図は、その上段の潜熱輸送量 ιE の図と同じであるが縦軸を 蒸発量 E に換算し、狭い範囲を拡大してある。

1980年前後を基準として、+1℃時代または+2℃時代の蒸発量 E と比較すると、 3.4%の増加(3.66/3.54=1.034)、または5.1%の増加(3.72/3.54=1.051) になっている。この蒸発量の増加は、日本の降水量の増加につながると考えら れる。

横軸は有効入力量 [ (1-r)S+L-G ] を表わし、 G(下向きを正)は海面下の貯熱量と海洋運搬熱発散量の和であり、 この計算では暖候期における日本周辺海域の 平均値としてG=77.4 W/m2 を用いている。図の中央付近につけた 大きな丸・菱形・四角の印がその条件における水温・気温差、顕熱輸送量・ 潜熱輸送量である。

熱収支量と有効入力量の関係
図6 熱収支量と有効入力量 [ (1-r)S+L-G ] との関係、各図は上から順番に、水温・気温差(Ts-T)、顕熱輸送(H)、 潜熱輸送量(ιE)、蒸発量(E)である。各図のほぼ中央に示した大きい 丸・菱形・四角印は前項(10)に示した条件のとき(基準年のβdust=0.07, +1℃時代と+2℃のβdust=0.05)、各線の両端の小さい印は 横軸が±50 W/m2 違った場合を示している。


図中の大きな印より右方、あるいは左方の意味について考えてみよう。 例えば黒潮域では海洋運搬熱発散量が負(上向き)であるので図の横軸は右方 へずれて蒸発量は大きくなる。逆に寒流域での蒸発量は小さくなる。最上段の 水温・気温差の図によれば、黒潮域では水温・気温差が大きくなる。 逆に、寒流の影響のある海域では水温・気温差が小さくなり、条件に よってはマイナス(気温が水温より低温)となる。この図は暖候期の日本周辺 海域平均を示しているが、海域・日により気温が水温より著しく低くなり 霧が発生することもあろう。海域・日により横軸が変動し、水温・気温差と 顕熱・潜熱輸送量が変化することを図から知ることができる。

その例は、赤道太平洋のカントン島(2.8°S, 171.7°W)における海面温度 と気温と降水量の関係である。Bjerknes (1969) によれば、通常の月降水量 100~200mm/月またはそれ以下に比べて、例えば1957~1958年の10月~3月の 月降水量は200~400mm/月と約2倍になる。これは、エル・ニーニョ現象により ペルー沿岸では湧昇流が弱まることで海水温度に+6℃の大きな偏差が生じ、 120°Wから日付変更線付近のカントン島付近までは偏差+2℃が帯状に広がる。 この現象は山本義一編「大気環境の科学4 気候変動」のp.46~p.49に 山元龍三郎によって紹介されている。

通常より海面温度が高温になるのは海洋運搬熱によってG(下向きを正)が 小さくなり、雲量が増えることで日射量は減るが大気放射量は増える。 その結果、図6の横軸が右方にずれることになる。Bjerknes (1969) の示す 1957年~1960年の月平均気温 T はほぼ一定の29℃であるのに対し、 エル・ニーニョ時の1957年~1958年の海面温度 Ts は通常の28℃から30℃に 上昇している。つまり通常のTs-T=-1℃からエル・ニーニョ時は+1℃になる。 図6の最上段の(Ts-T)によれば、Ts-Tの2℃の上昇は横軸が500 W/m2 から590 W/m2 に右方へ90 W/m2 増えた場合に相当する (図の赤破線を利用)。上から3段目の図によれば、ιE は 50W/m2 (E=1.77 mm/d=53mm/月) から110 W/m2(E=3.88 mm/d=116mm/月) に約2倍も大きくなる。海面蒸発量の約2倍の増加は、カントン島の降水量の 約2倍の増加と対応している。

通常は西のほうにあった赤道多雨域がエル・ニーニョ時は東のカントン島付近 一帯に広がる。これを海面の熱収支式から見ると、その付近一帯は式(8) 左辺の有効入力量の増加にともなう水温上昇によって蒸発量が増加し、 降水量も増えたことになる。



備考11:大気安定度が安定時と不安定時の交換速度
カントン島付近を想定する。通常時は水温・気温差=-1℃、風速U=6m/s と したとき顕熱輸送の交換速度=ChU=0.0011×6=0.0066m/sである。 エル・ニーニョ時は水温・気温差=+1℃、風速は少し弱くU=5m/sとすれば、 ChU=0.00131×5=0.0066m/sで変わらず、U=4m/s とすればChU=1.33×4= 0.0053となる(Kondo, 1976, を参照のこと)。ここではカントン島の気温、 水温、降水量の観測値のみ知った場合について概要を説明したが、ほかに エル・ニーニョ時と通常時について、相対湿度と風速の観測値が入手できた ときは、改めて熱収支式を解き、海面蒸発量と降水量の対応を調べればよい。



まとめ

暖候期(5月~9月)の日本周辺海域における放射量(日射量、大気放射量) が大気汚染、あるいは気温上昇にともなう水蒸気量の増加よって変化すれば 海面蒸発量が変わり、暖候期における日本の降水量が変化すると考えられる。 この関係を理解するために、地表面の熱収支式を解く単純モデルにより、 日本周辺海域の蒸発量が大気条件によってどのように変わるかを調べた。

このモデルでは地表面の熱収支式から地表面温度・気温差、顕熱輸送量、 及び蒸発による潜熱輸送量を解く方法である。熱収支式に与える熱収支量は 観測に基づく放射量と海洋貯熱量・海洋運搬熱発散量である。

(1)暖候期における日本の降水量長期変化を概観すると、工業化・高度経済 成長時代(1920~1940年、1960~1970年)は大気汚染により降水量が減少して おり、太平洋戦争末期の都市焼失時代は空気がきれいになり降水量の増加と関係 しているように思われる。さらに2005年以後の最近は日本のみならず世界平均 として大気汚染は改善・日射量の増加により降水量が増える傾向にある。

(2) 大気汚染の少なかった1947年前後の11年間と、大気汚染が深刻になった 1980年前後の11年間を比較すると、日本の暖候期(5月~9月)における 降水量観測値に3.7%の違いがある。これは日本周辺海域における蒸発量計算値 の3.7%の減少を生む日射量の減少量(5.7 W/m2)と対応している。

一方、両期間の大気の混濁係数の違いによる日射量計算値の差は 6.4 W/m2 となり、5.7 W/m2 とほぼ一致する。 つまり、大気汚染の少なかったβdust=0.02 の1947年前後の時代に比べて 大気汚染が深刻となったβdust=0.07 の1980年前後の時代を比べると、 日射量の6.4 W/m2の減少により海面蒸発量計算値は4.2% (=3.7%×6.4/5.7)の減少である。

この計算では、日本周辺海域の暖候期の平均気温は観測値の26℃、相対湿度 は観測値の83%を用いた。すなわち、比較する両期間は日射量のみ異なり、 他の気象要素は同じ条件とした。

(3) 1980年前後の日本周辺海域における暖候期平均の海面蒸発量計算値 (3.54mm/d)に比べて国内66地点平均の森林蒸発散量(3.10mm/d)は88%で 少し小さい。これは周辺海域が日本の陸地平均に比べて低緯度にあり、 気温も高いからである。それゆえ、名瀬以南7地点(名瀬、石垣島、宮古島、 那覇、南大東島、父島、南鳥島)について求めてみると森林蒸発散量は E=3.49 mm/d であり、周辺海域の平均蒸発量3.54 mm/dにほぼ等しい。

(4) 1980年代の以後、大気の混濁係数が0.07から0.05に改善され、同時に 温暖化が進み気温が+1℃または+2℃上昇したとき日本周辺海域上の相対湿度 は一定の83%、雲量も一定の0.65(65%)として、熱収支式の計算から日本の 暖候期における周辺海域の蒸発量を予測してみると、暖候期の周辺海域蒸発量 は大気汚染の深刻な時代に比べて3.4%(+1℃のとき)、または5.1%(+2℃ のとき)の増加となる。それに対応して日本の降水量は増えると考えられる。 この場合、CO2の増加による長波放射量の増加分は 1W/m2 程度で小さいが、水蒸気量の増加による大気放射量の増加は 6.8W/m2 (+1℃のとき)、または 13.7W/m2(+2℃のとき)と大きい。

(5) 暖候期における日本の陸地平均の降水量は周辺海域平均の蒸発量の1.6倍 である。これは、水蒸気がそれだけ低緯度側から日本の陸地上に収束・流入 していることを意味している。

(6) 本論では暖候期における日本周辺海域の平均状態の水温・気温差、顕熱 輸送量、潜熱輸送量(蒸発量)と風速の関係、および有効入力量との関係を 見てきたが、各図の横軸の左右への変化は海域・日による違いを見ることも できる。

その例が、赤道太平洋のカントン島(2.8°S, 171.7°W)における海面温度 と気温と降水量の関係に見られる。平常年のカントン島における海面温度・ 気温差の-1℃がエル・ニーニョ時には+1℃と2℃も高水温になるのは、 図6の横軸が海洋運搬熱の変化によって 90W/m2右方へずれた条件 である。そのとき、周辺海域の蒸発量計算値は約2倍になり、降水量観測値の 約2倍と対応している。



付録1 暖候期(5月~9月)の日平均日射量の計算

雲のあるときの日平均日射量(全天日射量の日平均値)は近藤(1994) 「水環境の気象学」の第4章「日射と大気放射」のp.57とp.86~p.89に示した 高精度実験式から求めた。本論では日本周辺海域の暖候期(5月~9月) について海面蒸発量の推定を行うので、それを代表する日は8月1日(1月1日 からの日数 i=213) とし、緯度φ=25°=0.436 radian を用いた。 計算式では、通常と同様に角度はradian を用いること。8月1日における 日平均日射量の計算では、緯度φを30°に変更しても結果はほとんど変わら ない。

注意:本論では有効水蒸気全量 wTOP* と可降水量 w ともに単位 は mm (kg/m2) を用いているが、「水環境の気象学」の第4章 では cm 単位を用いていることに注意のこと。付表1の左端の列の下から 10行目に「w* : cm単位」と注意書きしてある。

付表1 日射量の計算表.暖候期(5月~9月)における日本周辺海域の 平均雲量が65%(n=0.65)のとき、雲あり日の日平均日射量 Sdの計算結果 (下から2行目)。
日射量計算表


付録2 気象庁の全天日射量観測値の精度

外国では1961年以後、つまり1957~1958年のIGY (International Geophysical Year: 国際地球観測年)で開発された高精度の 日射計(例えば、IGY当時に院生であった筆者らによる東北大学で使った エプレー社の全天日射計)が利用されるようになり、日本よりも高精度観測 データが得られたのかも知れない。それに比べて、日本の気象庁では、主に 日本製の全天日射計を使っていた。IGY後には、筆者は気象庁の検定方法に 疑問を抱いていた。また日本製の全天日射計の黒色受感部は数年経過 すると白っぽく変色していた。当時、東北大学では準標準器と見なされる オングストローム補償日射計を基準にして他の全天日射計や長波放射計を 検定して使用していた。

オングストロームの補償日射計(compensation pyrheliometer)は外部の 気温変動などの影響をなくすために受光部は熱容量の大きな銅製の円筒に 入れられている。銅製円筒の奥に2枚のマンガニン薄片がある。円筒の一方の 入口から太陽光を入れマンガニン薄片の一方を温め、他方のマンガニン薄片は 電流で温める。両方のマンガニン薄片の温度差がゼロになるように電流を 調節する。ちょうど温度差がゼロになったとき直達日射量は電流による ジュール熱に等しい。太陽光の入口は2つあり、一方が開いているときは 他方は閉じている。これを交互に切り替えると同時に電流回路も切り替わる。 マンガニン薄片は太陽光で交互に加熱し、測定値の平均をとって直達光の 強さを求める(近藤、1994、p.80)。

当時の気象庁担当者によれば、気象庁の全天日射計は標準ランプからの放射量 で検定したという。この方法では正確な検定ができるはずがない。日射量の 観測値を大気の光路長ゼロに外挿すれば太陽定数が得られるのだが、 その値が太陽定数の真値を大きく越えていた。また、IGYで観測した東北大学の 観測値と気象庁観測値に大きな違いがあった。それを学会で指摘すると、 あとで呼び出されて“われわれ気象庁では一生懸命観測している。 それが間違っていると公表するのは何事か!”と叱られた。筆者はそのとき、 「一生懸命に測っていても間違いをしていれば、正しい結果は得られない」 と言葉にせず反論はしなかった。

1975年と1976年の2月に行われたAMTEX(気団変質実験)では、東シナ海と その周辺を含む範囲の熱収支観測・解析を行った。Kondo(1976)のAppendix 1 のNoteに記載してあるように、気象庁観測所の日射量が10%も大きいことも わかった。そうして日射計の観測値をチェックする方法も示した (近藤・三浦、1983)。

当時の気象庁には私を叱る人もいたが、私の指摘に耳を傾ける人たちもいた。 その後の日射量の観測精度はよくなってきている。


文献

石井哲雄・近藤純正、1987:東シナ海における海面熱収支の季節変化.天気、 34,517-526.

近藤純正・三浦 章、1983:地表面日射量の実験式と日射量をチェックする 簡単な方法.天気、30,469-475.

近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学-地表面の水収支・熱収支.朝倉書店、 pp.350.

近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学-理解と応用.東京大学出版会、 pp.324.

近藤純正、2021:観測の誤差から真実を知る-地球温暖化観測所の設立に向けて. 天気、68、 37-44.

近藤純正・桑形恒男、1992:日本の水文気象(1):放射量と水面蒸発。 水文・水資源学会誌、5(2)、13-27.

近藤純正・中園 信・渡辺 力・桑形恒男、1992:日本の水文気象(3): 森林における蒸発散量。水文・水資源学会誌、5(4)、8-18.

近藤純正・中村 亘・山崎 剛、1991;日射量および下向き大気放射量の推定. 天気、38,41-48. 近藤純正・菅原広史、2016:東京都心部の森林(自然教育園)における熱収支 解析,  hppt://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke123.html

近藤純正・笹川基樹、2020:地球温暖化、全国3試験観測所. hppt://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke206.html

山本義一(編)、1979: 大気環境の科学4 気候変動.東京大学出版会、 pp.206.

Benton, G. S. and M. A. Estoque, 1954: Water-vapor transfer over the North American continent. J. Meteor, 11, 462-477.

Bjerknes, J., 1969: Atmospheric teleconnections from the equatorial Pacific. Mon. Wea. Rev., 97, 163-172.

Kondo, J., 1975: Air-sea bulk transfer coefficients in diabatic conditions. Boundary- Layer Meteor., 9, 91-112.

Kondo, J., 1976: Heat balance of the East China Sea during the Air Mass Transformation Experiment. J. Meteor. Soc. Japan, 54, 382-398.

Kondo, J. and T. Sato, 1979: Radiation measurements and heat balance analysis. Preliminary Report of The Hakuho Maru Cruise KH-79-2(MONEX Cruise), 48-71.

Kondo, J. and A. Miura, 1985: Surface heat budget of Western Pacific for May 1979. J. Meteor. Soc. Japan, 63, 633-646.

Manabe, S., 1957: On the modification of air-mass over Japan Sea when the outburst of cold air predominates. J. Meteor. Soc. Japan, 35, 311-325.

Manabe, S., 1958: On the estimation of energy exchange between the Japan Sea and the atmospheric during winter based upon the energy budget of both the atmosphere on the sea. J. Meteor. Soc. Japan, 36, 123-134.

Murty, J. K., 1976: Heat and moisture budgets over AMTEX area during AMTEX ’75. J. Meteor. Soc. Japan, 54, 370-381.

Nitta, T., 1976: Large-scale heat and moisture budgets during the AMTEX. J. Meteor. Soc. Japan, 54, 1-14.

Polson, D., M. Bollasina, G. C. Hegerl, and L. J. Wilcox, 2014: Decreased monsoon precipitation in the Northern Hemisphere due to anthropogenic aerosols. Geophys. Res. Lett., 6023-6029.

Robinson, N. (ed.), 1966: Solar Radiation. Elsevier, 347pp.

Suzuki, K. and T. Takemura, 2019: Perturbations to global energy budget due to absorbing and scattering aerosols. Journal of Geophysical research: Atmospheres, 124.
https:// doi. org/10.1029/2018JD029808.

Tang, T., D. Shindell, Y. Zhang, A. Voulgarakis, J.-F. Lamarque, G. Myhre, G. Faluvegi, B. H. Samset, T. Andrews, D. Olivié, T. Takemura, and X. Lee, 2021: Distinct surface response to black carbon aerosols. Atmos. Chem. Phys., 21, 13797–13809.
https://doi.org/10.5194/acp-21-13797-2021

Wild, M., A. Ohmura, C. Schar, G. Muller, D. Folini, M. Schwarz, M. Z. Hakuba, and A. Sanchez-Lorenzo, 2019: The Global Energy Balance Archive (GEBA) version 2017: a database for worldwide measured surface energy fluxes. Earth Syst. Sci. Data, 9, 601-613.

Yamamoto G. and J. Kondo, 1968: Evaporation from Lake Nojiri. J. Meteor. Soc. Japan, 46, 166-177.

Yamamoto G., M. Tanaka and K. Arao, 1968: Hemispherical distributions of turbidity coefficient as estimated from direct solar radiation measurements. J. Meteor. Soc. Jpn., 46, 287-300.



トップページへ 研究指針の目次