K22.函館気象台改築に伴う気温の不連続
著者:近藤純正
	22.1 はしがき
	22.2 年平均気温の不連続的変化
	22.3 旧庁舎時代の周辺環境
	22.4 新庁舎時代の周辺環境
	要約
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函館海洋気象台の1913年と1940年の移転、および1992年の庁舎建て替えに ともなう年平均気温の変化を調べたところ、それぞれ約0.2℃のジャンプ、 約0.8℃のダウン、0.25℃のダウンがあった。また、1960年から2000年までの 年平均気温の上昇は約1℃である。 (2006年7月30日完成)


22.1 はしがき

地球温暖化など、気温の長期変化を解析する際に注意すべきは、観測所の 移転、庁舎の建て替え、ごく近傍の環境変化にともなう気温の急激なジャンプ・ ダウン、あるいは数年~30年程度にわたるゆっくりした変化がある ことである。

こうした不連続的変化について多数の例を解析し、どういう条件のとき何℃の 変化が生じるかを知っておくことが重要である。この章では函館海洋気象台 の移転、庁舎改築に伴う年平均気温の変化に注目した解析を行う。

函館海洋気象台のおもな出来事は次のとおりである。
(1)1872年8月26日・・・・船場町に測候所創立
(2)1879年6月6日・・・・高砂町に移転
(3)1913年5月7日・・・・5月4日の大火により類焼、 海岸町に移転
(4)1934年9月3日・・・・函館火災・旋風により被害
(5)1940年9月1日・・・・亀田村赤川通(現在地) に移転
(6)1992年9月16日・・・新庁舎建設、露場は 現在地へ移設

このうちの(3)、(5)、(6)に関る年平均気温の不連続を見出したい。

これまでの他所における解析では、年平均気温は露場面付近の風速が弱く なれば上昇し、風通りがよくなれば下降する。また、周辺の道路が拡幅され 舗装されると年平均気温は上昇する傾向にある。これらプラスとマイナス 効果は打ち消しあい、どの効果が強いかによって年平均気温は上がる場合と 下がる場合がある。

22.2 年平均気温の不連続的変化

図22.1は気象台創立以来の年平均気温の経年変化である、ただし周辺の 観測所の年平均気温との差を縦軸にとってある。

宮古および寿都との差を見ると、1913年にはおおよそ0.2℃のジャンプが ある。

1941年の移転では、比較できる観測所も多くなり、森測候所との差も考慮 すると、約0.8℃の気温ダウンが認められる。

函館宮古気温差
図22.1 函館の年平均気温と周辺観測所の差の経年変化。
縦軸は周辺観測所との年平均気温の差、1941~1960年がゼロになるように ずらしてある。


1941~1960年の頃までの変化はほとんど無視できる。この時代の 気象台は現在地にあったが、当時は亀田村赤川通りとよばれ、ほとんど 都市化されておらず、気温差に変動がなかった。

しかし、1960年過ぎから周辺には住宅も多くなり1990年頃には約0.8℃の 気温上昇が認められる。1980年と1990年頃の代表的な写真は次節に示す ように、周辺はおもに住宅からなっている。

1992年の新庁舎建て替えにともない年平均気温は下降している。 これを次の図22.2から詳しく調べよう。

函館と周辺10地点との気温差
図22.2 函館の新庁舎建設に伴う年平均気温の変化。
縦軸は周辺観測所との年平均気温の差、1990年前後にゼロになるように ずらしてある。二重丸印は周辺10観測所(長万部、木古内、川汲、八雲、 松前、江差、熊石、大間、今別、小田野沢)の平均との差、ただし、函館の 年平均気温は気象庁資料に示されている0.1℃単位の数値ではなく、精度を 上げるために、毎月の平均気温を12ヶ月分平均し0.01℃単位で表した値を 用いてある。


図22.2にプロットした二重丸印は周辺10観測所(対岸の青森県内の3アメダス も含む)の平均との年平均気温の差である。この時代になると、アメダスも 充実し、観測上のトラブルも少なくなったので、気温の下降量0.25~0.3℃の 精度は高いとみなされる。

この0.25~0.3℃の気温下降は庁舎建て替えに伴って、露場の風通りがよくなった ことによると想像できるが、建物配置の変化だけからは判断がつかない。 詳しくは22.3~22.4節に掲げた写真などを用いて議論したい。

注意: 函館海洋気象台の予報観測課長・隈部良司さんが各観測所の生データを 調べた結果によると、今別の1992年の値はその前後の年に比べて 0.8℃ほど高めである。今別の年平均値を見ると、資料不足値の記号 (値の右に半角記号「 ] 」)がついている。この記号がついた年平均値は資料 不足月を除く11ヶ月の平均気温となっている。 より正しい年平均気温は、資料不足値の月も入れた12ヶ月平均値であるので、 修正して図を書き直してある。
さらに小田野沢の1986年、熊石の1982年、1993年、1997年の気温も怪しげで ある(資料不足値データを含む)。図22.2は生の怪しげなデータを使用せず、 より正しい年平均値(12ヶ月平均気温)を用いてプロットしてある。
函館以外の観測所についても同様に、周辺多地点との気温差を図示してみると、 アメダス開設年~1990年ころまでのグラフのバラツキが大きく、近年ほど バラツキガ小さくなる傾向にある。これは気温観測装置の信頼性が少しづつ 向上していることによると考えられる。


1993年以後の約12年間に気温は再び上昇速度を増して約0.3℃上がった。 これは気象台周辺の数km範囲がさらに都市化していることによると考える。 すなわち、平屋建て住宅が二階建てとなり、少なかったビルが数を増して きている。

これを年平均風速の経年変化(図22.3)からみてみよう。

函館の風速変化
図22.3 函館における年平均風速の経年変化。
プロットの丸印は観測値であるが、風速計の種類によって過大、あるいは 過小に観測されるので、緑の線(旧庁舎時代、風速計高度=14.4m、15.9m) と赤の線(新庁舎時代、風速計高度=25.6m)によって、真風速の推定値 を示した。


図22.3によれば、年平均風速は1960年頃に3.6m/sであったが1990年頃には 2.75m/s(76%)に減少している。この風速の減少率(24%/30年)に対して 年平均気温の上昇率が0.75℃/30年となっている。

図に赤の線で傾向を示す1993年以後の風速について、ばらつきが大きくて断言 できないが、長期的には減少傾向ではなかろうか。このばらつきが大きい 理由は不明である。

備考
図22.3において、風速の観測値(丸印プロット)が不連続に大きくなって いる。これは次の理由による。当時の4杯式風速計は回転数から風速を求めて いたのであるが、中央気象台(現気象庁)で実際に風洞内で風速を変えて 回転数を調べてみると、それまでの回転数対風速の関係を表す係数が異なって いることがわかった。それゆえ、1949年からその係数を 変更して風速を求めることにした。1949年は函館の変更時期であり、 他所では1950年代にずれるところもある。

この係数は風速の関数であることもわかった。 さらに、4杯式風速計は乱流中では回り過ぎの 欠点がある。つまり一定風速の風洞中で検定した風速計を乱流状態の自然風 の中に置くと、実際の風速より大きい風速を観測してしまう。 回転式風速計の特性については、「9.風で環境を 観る」の章に説明してある。

一般には、気象のデータ表には観測値が掲載されており、上記の事情を知ら ずに解析すると、とんでもない結果を導くことになる。 観測風速と真風速のずれは、平均風速や乱流強度などによって異なるが、 このずれもその観測所の乱流に関する情報、その他を含んでおり、データが 役立たないということはない。 解析をうまく行い、昔のデータの有効活用をはかりたい。

22.3 旧庁舎時代の周辺環境

(参考) 以下に示す写真のほか、1980年頃と今回の2006年6月に 撮影した気象台周辺の写真は、本ホームページの「写真の記録」の 「函館海洋気象台」に掲載してある ので、合わせて参考にされたい。

図22.4は旧庁舎時代の敷地内の庁舎、宿舎、露場などの配置図である。 庁舎と露場の最短距離は約20mである。 敷地の縦・横ともに100m余もある。庁舎周辺にあった宿舎はしだいに 解体されている。

函館の旧庁舎配置図
図22.4 1991年以前の函館海洋気象台の敷地内配置図、右の やや上が北(函館海洋気象台提供)
緑色の範囲は露場、赤色は庁舎と宿舎の一部、敷地上寄りと右寄りに多数の 宿舎があった。
敷地の東側(図で敷地の下)に赤川通りがある。


1980年頃に撮影された写真1と写真2で見るかぎり、露場周辺はかなり広々と している。この節と次節で注目したいのは、1992年の庁舎建て替えに伴う 年平均気温における0.25℃の下降がなぜ生じたかである。

1980年写真3,5
写真1 1980年頃に撮影された写真、その1 (函館海洋気象台提供)
(左)露場の南側から旧庁舎を望む、(右)測風塔から旧露場を望む。


1980年写真12、14
写真2 1980年頃に撮影された写真、その2 (函館海洋気象台提供)
(左)測風塔から南方向の道路を望む、(右)測風塔から北方向の宿舎を望む。


写真3には、敷地の東側をほぼ南北に走る赤川通り沿いに並木の桜がある。 この桜の樹高は5m程度であろう。この桜が旧露場付近の風通りを悪く していたのではなかろうか。その10年前に撮影された写真2(左)では、 桜はほとんど目立たない存在である。

1990年頃の桜
写真3 赤川通りの歩道から南方向を撮影した1990年頃の桜、 右が気象台敷地である。
(函館市の近江友子さん提供)


ここにあった桜のうちの2本は、庁舎建て替えに際し、現庁舎裏に移植され ており、現在(2006年)の樹高は3階のフロア-の高さである(後掲の写真4 右を参照)。

桜並木の写真3は、函館海洋気象台予報観測課長の隈部良司さんが以前の 気象台周辺状況について聞き取り調査をしていて見つけていただいた 貴重な資料の一つである。

22.4 新庁舎時代の周辺環境

図22.5は新庁舎ができた現在の敷地内配置図である。旧露場は門を入って 左手にあったが、新露場は右手に移設された。庁舎と露場の最短距離は約 35mであり、旧露場よりも離れた位置にできた。

函館の新庁舎配置図
図22.5 2003年以後の函館海洋気象台の敷地内配置図、 右のやや上が北(函館海洋気象台提供)
濃い緑色の範囲は露場、赤色は庁舎と宿舎の一部。庁舎の裏側(図の中央上) の緑記号2つは、旧庁舎敷地の赤川通り沿いにあった桜の移植先。 この桜の1990年頃に撮影されたものが写真3である。


写真4(左)は新庁舎屋上から見下ろした新露場の写真である。 新露場は道路や庁舎玄関のレベルよりも若干高く盛り土されている。

2006年の桜
写真4 2006年に撮影した露場と移植先の桜。
(左)庁舎屋上から見た現在の露場、(右)庁舎裏に移植された現在の桜。


2006年の桜
写真5 庁舎屋上から見下ろした写真。
(左)露場の左(北側)方向、(右)露場の右(南側)方向。
露場はこれら(左)(右)写真の中間に位置している。


道路向いから
写真6 赤川通りの道路向いから撮影した庁舎。
右の写真中央の緑色に見えるところが新露場である。


新露場が旧露場に比べて格段に周囲が開け風通りがよくなったとは いえないので、1992年に生じた0.25℃の気温下降の原因がはっきり しない。つまり、赤川通りの道路は当初は狭かったが、新庁舎建設前の1980年、 1990年にはすでに拡幅され32m(歩道7m、車道25m)となっていた。

旧露場の東側の敷地端(赤川通り沿い)にあった並木の桜の存在が 風通りを悪くしていた原因だろうか。卓越風向の西寄り(寒侯期)と 東寄り(暖候期)の風に対して、並木の桜がほぼ直角に植えられていたので、 旧露場面付近の風速を弱化させていたのだろうか。

さらに、新露場のレベルが周囲に比べて少し高くなったことと、庁舎と 露場の距離が大きくなった。これらが総合して1992年以後における露場面の 風速を強め、その結果として年平均気温が下降したのだろうか。

要約

(1)函館海洋気象台は、1913年の高砂町から海岸町への移転に際して 年平均気温が約0.2℃上昇した。

(2)1941年に海岸町から亀田村赤川通り(現在地)への移転によって 年平均気温は約0.8℃下降した。

(3)現在地において、1960~1990年の期間、年平均気温は 周辺観測所と比較して0.75℃の上昇、年平均風速は24%減少した。

(4)1992年の庁舎建て替えに伴って年平均気温は0.25℃下降した。 この原因の一つとして、旧露場の東側(赤川通り沿い)の約30mの位置に 並木状に植えられていた樹高約5mの桜が露場面付近の風速を弱化させて いた可能性がある。また露場と庁舎間の距離は旧露場では約20m、新露場 では約35mと離れ、さらに盛り土によって露場面が高くなったことで 新露場面の風が強くなった効果もありそうである。

(5)1992年の庁舎建て替え以来の12年間に年平均気温は周辺観測所と比較 して約0.3℃上昇している。

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