中庭
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小説ではあちこちで「中庭」とよばれる場所が大切な役目をしているようにも見えるが、それはこのように表通りから建物に開けられた暗いトンネル状の通路を入っていってそれを抜けたところにある。ソ連時代には、ここで子ども達が遊んだり年金暮らしの老人達がおしゃべりをしたりしていたものだが、今や年金生活者はそんなことをしていられる状況ではなくなって、そういう光景も陰をひそめてしまった。
先頃ペテルブルクに住む知人一家と横須賀線に乗っていたとき、車窓を過ぎていく景色を眺めていた一人がポツリと「日本の家には中庭がないのね」と言ったのが印象に残っている。ロシアの都市に暮らす人々にとって中庭とはそれほどありふれた風景なのらしい。 (2000年12月撮影)
金貸し老婆の家
「やがて彼は、胸をときめかせ、小きざみに体をふるわせながら、一方の壁が堀割に面し、もう一方がN通りに面しているばかでかい建物に近づいた」 (左:2000年12月、右:2017年1月撮影)
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老婆の家の中庭
「ふたつある門と中庭は人の出入りのたえまがなかった。」 (左及び中:2000年12月,右:2017年1月撮影)
老婆の家の階段
「《裏階段》といった感じの、暗く狭い階段だったが、そんなことはとうに研究ずみだったし、むしろこういう状況が気に入ってもいた。」 (左:2000年12月,右:2017年1月撮影)
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ドストエフスキーの家
『罪と罰』を彼がここで執筆したという建物がラスコーリニコフの下宿のすぐ近くにある。 (上段左右:2000年12月,中:2017年1月撮影)
この建物も十字路の角にあるのだが、やはり、どの方向の道も行き止まりになっている。 (下段:2017年1月撮影)
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V通り
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「彼は、急用でもあるような急ぎ足で、V通りを横ぎり、ワシリエフスキー島へ向かった。」 (2000年12月撮影)