飛行機  


 ソ連時代に、写真を撮れないものの筆頭は何と言っても飛行機だった。ロシアになってからはだいぶ「規制緩和」になったが、あちらの現場では依然として昔のままの対応をするところもあり、他方私のほうの気持ちも前のをひきずっているために飛行場でバシャバシャとシャッターを切る気になれない。というわけでここの4枚はどれもロシアから帰り着いた日本の空港で撮ったもの。上は、ユジノサハリンスク線のアントノフ24型機。比較的低空を飛ぶターボプロップ機で、札幌上空を通過するときには市街の碁盤目の道路どころか北大のポプラ並木まで識別できるほどだ。 (1998年4月函館空港で撮影)

 ハバロフスク線のツポレフ154型機。ロシア国内線ではもっともポピュラーな機種だったが、ソ連崩壊後は整備が行き届かないのか、10年の間に10機前後が墜落したという統計もあるとか。  (1987年8月新潟空港で撮影)
 ウラジヴォストーク線のヤコブレフ40型機。定員30人前後の小型ジェット機。この機種に初めて乗ったのはエレワンからトビリシへ行く空路だったが、あまりにも可愛い飛行機なので、我々のグループのみんなが土産に持って帰りたいと言いあったものだ。  (2001年3月富山空港で撮影)




 左はソ連時代国内線のバッゲージ・タグ。同右はモスクワ市ドモヂェドヴォ空港のボーディング・パス。



これより下は、比較的最近のもので、左と中央は東京〜モスクワ線のアエロフロート機、右はペテルブルク〜モスクワ線のロシア航空機。東京線の機体はロシア製ではないし、おそらく右の写真の機体もエアバスかボーイング社のだと思う。  (左:2014年7月成田空港で、中:2016年12月同じく成田空港で、右:2017年1月サンクト・ペテルブルクのプルコヴォ空港で撮影)

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海洋フェリー  


 横浜からロシア船でナホトカに渡り、そこからシベリア鉄道でというルートは、かつて貧乏を誇りにしていた日本の若者が利用したヨーロッパ行きのコースであった。5千トンほどの船での往復が長いこと続いたが、ペレストロイカの時期に1万トンを越えるフェリー「コンスタンチン・チェルネンコ」(その後「ルーシ」と改名)が就航した。現在は横浜港からの定期船はなく、夏季のみ新潟もしくは伏木からウラジオストクへの船が運航されているらしい。 (1988年8月横浜港で撮影)


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河川クルーズの船  


 新聞に出る旅行社の広告を見ていると中国の河川クルーズはもはや珍しくはないが、ロシアのを見かけることは殆ど無い。しかし、ロシアでは川船の旅の人気が高く、同じ設計図によると見られるクルーズ船が全国に配置されていた。海を航行する船に比べて喫水線の浅いのが特徴。河川の航行では橋の下をくぐることがあるから、マストは折り畳めるようになっていて、上の写真ではマストが見えない。その写真はボルガ川上流部ウグリチの船着き場に停泊中のもの。増水・渇水に対応できるように桟橋は浮き桟橋になっている。左は河港に停泊中の僚船。  (左は1995年8月ペテルブルクで,右は1997年8月ウグリチで撮影)


 船室の内部。カーテンを閉めてあるので暗く感じるが、作りつけの小さな机とソファー、それにベッドが窓側にあり、画面に写っていない手前側にトイレ・洗面所と一体になったシャワー室があって、1〜2週間の生活に必要なものはコンパクトにまとめられている。船賃は船室がどのデッキにあるのかによって異なるが、船室の広さや仕様にはほとんど差の無いのがソ連時代以来の特徴と言える。食事にも一切差はないし、一等船客しか入れないエリアなどというものも船内にはないのが「タイタニック」とは違う点だ。  (1999年8月クラスノヤルスクで撮影)



 下は、夏のモスクワ運河(左)及びヴォルガ川(右)で、船のデッキから、対向する、もしくは先行するクルーズ船を撮影した写真。ソ連崩壊後、ロシア・ヨーロッパ部の河川クルーズは、ロシア人ばかりでなく欧米の観光客からも人気が高まり、この時期のモスクワ運河やそれに続くヴォルガ川は、オネガ・ラドガの二大湖経由ペテルブルク航路や南のアストラハン航路など、各地との間を行き来するクルーズ船で混み合う。  (左:2009年8月,右:2014年8月撮影)

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列車  



 旧ソ連の旅客列車は、特別な列車を除いて緑色系の塗装をほどこされているのが普通だった。 (1999年3月ハバロフスク駅で撮影)


乗車券


 長距離列車の乗車券。あの広い国土でどうやっているのかは知らないが、ちゃんとコンピュータで発券される。乗車すると車両付きの車掌が切符を集めに来て、降車するときに返してくれるというシステムになっており、各駅には改札口がない。写真を見やすくするために実物よりも色を強めてある。


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列車の車内




 現在では各鉄道管理局が競うようにして「フィルメンヌィ」と呼ばれる“豪華”列車を走らせるようになった。もっとも“豪華”とは言っても車体は他の列車と基本的に同じで、コンパートメントの中をちょっと綺麗めにし、場合によっては機内食ならぬ車内食のお弁当を用意しておいてくれたりするという点が違う。写真はモスクワ〜プスコフ間の急行「プスコフ」のコンパートメント内部。備え付けのポットがプスコフ・クレムリンの塔の形になっているのがお洒落。 (1999年12月撮影)





 モスクワから見たらローカル線にあたるハバロフスク〜コムソモリスク・ナ・アムーレ間の急行「ユーノスチ」の室内。ローカル線だと思ってあなどってはならないことがわかる。 (2001年3月撮影)


 こちらは幹線も幹線、モスクワ〜ミンスク間を走る急行「ベラルーシ」の室内。車両の基本構造は他の列車と同じだが、内装はすっかり改装され窓枠も旧ソ連の列車には珍しいアルミ製だった。そして、何よりもびっくりさせられたのは、室内にTVモニターが置かれていたこと。列車が動き出してまもなく車掌が何本かのビデオを持ってきて、どれを見るかと尋ねてくれる。 (2001年1月撮影)

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郊外電車



 ソ連時代は、長距離列車だけでなく近郊区間を走る電車も、基本的に、長距離列車と同じく深緑色の塗装で統一されていたが、いまやそれぞれの国や地域ごとに思い思いのカラフルな塗装になりつつあるらしい。    (2014年3月タリンで撮影)


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高速鉄道



 「高速鉄道」と言っても、じつは在来線を高速で走行する列車で、今のところ専用線を走っている訳ではない。左は、モスクワ〜ペテルブルク間を走る「サプサン」の外観。右は、ニジニ・ノブゴロド〜モスクワを走る「ラストチカ」の車内。    (左:2013年8月,右:2014年8月撮影)


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空港との連絡線



 左は、モスクワのシェレメーチェヴォ空港と国鉄ベラルーシ駅を結ぶ「アエロエクスプレス」。これも、大半は、従来からあった線路を利用している。右は、ウラジヴォストーク空港とウラジヴォストーク鉄道駅とを結ぶ電車。こちらは、線路どころか、車体も正面のデザインをちょっと変えただけで従来のものを使っているように見える。ただし、駅のプラットホームは専用。    (左:2014年8月,右:2015年8月撮影)


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地下鉄  



 都会の中をまわるとき我々外国人にとっていちばん使いやすいのが地下鉄。旧ソ連では人口100万以上の大都市には地下鉄を建設するという方針があったとかで、私はモスクワ,レニングラード,キエフ,トビリシ,エレワンで地下鉄を利用したことがある。タシケントなどにも地下鉄が敷設されていると聞いた。 (1999年12月モスクワで撮影)




 「モスクワ」の章にも書いたが、モスクワの地下鉄は駅の内装が豪華なことでも知られている。この写真はカメラを電車の動きに合わせてしまって駅の様子はブレてしまっているけれど、それでも宮殿のような感じさえするのが伝わるだろうか。  (2000年1月モスクワで撮影)




 地下鉄の車内。この車両は照明が蛍光灯でなく、写真がこんな色になってしまった。ソ連時代は車内広告がないのが特徴だったが、今では壁やドアなどに広告が貼られている。ただし、中吊り広告はこれまでのところ見たことがない。  (2003年8月モスクワで撮影)




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地下鉄



 前頁の写真を撮った時から数年しか経ってないのだが、車両は一新され、まるで東京の地下鉄のようになっていた。連結部や乗降口の上部にはLEDを使って次に到着する駅名が表示され、以前のように音質の悪い車内放送に神経をとがらせなくても目的の駅で降りることができる。    (2009年8月モスクワで撮影)

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