ヴォルガ川のリビンスクから北へ進むのがヴォルガ・バルト運河。ベロエ湖を経てオネガ湖と結ばれる。運河なのでヴォルガ本流に比べると水路の幅が狭い。その後スヴィリ川、ネヴァ川を経てサンクト・ペテルブルクに至る水運の大動脈でもある。水位を調整する水門が途中に何ヶ所もあるもはヴォルガ川と同じ。昼夜をわかたず仕事があるのは陸上交通や航空業務と同じで輸送業の宿命か? (上:1995年8月,下:2009年8月撮影)
左の写真は、うち捨てられた廃船に草木が進出して川岸と渾然一体となっている様子。右は、運河の拡幅工事なのか閘門の整備事業なのかわからないけれど、運河の岸で行われていた土木工事。 (2009年8月撮影)
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 |  | ヴォルガ・バルト水路のうちリビンスク貯水池とベーロエ湖の間にあるゴリツィの船着き場近くに立つ教会。 (左:2009年8月,右:2005年8月撮影)
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村の船着き場。私が初めてここを訪れた1995年には“グリーン・ストップ”のためにこの村に停泊したのだが、近頃では、キリロ・ベロゼルスキー修道院観光の拠点としてひっきりなしに観光船がやってくるようになり、船着き場にはいちどきに複数の船が停泊することが珍しくない。 (2009年8月撮影)
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ゴリツィからほど遠からぬ所にあるシヴェルスコエ湖という小さな池の脇にキリロ・ベロゼルスキーという由緒ある修道院がある。 (**:2005年8月,無印:2009年8月撮影)
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水路がゴリツィのほうからベーロエ湖へ入ろうとうする場所に崩れた教会の跡があった。 (2005年8月撮影)
湖上を行き交う船。 (2009年8月撮影)
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ヴォログダ州、ベーロエ湖の南岸に位置する小さな町。写真は、クレムリンの土塁から湖の方向を眺めたもの。 (2009年8月撮影)
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上段は、ベーロエ湖から船着き場に進む水路と船着き場(河港)に停泊している客船。下段は水路の途中にかかる浮き橋。船が通る時に開くようになっている。 (2009年8月撮影)
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クレムリンの土塁と、クレムリンの内外を結ぶ橋。土手にある「1147」という数字は、この町の起源が1147年という意味ではない。町の創建から1147年経ったという意味で、このベラジョールスクは、ロシアの中でも相当古い町ということになる。 (2009年8月撮影)
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クレムリンの中にある教会。ロシア正教会といえば、平板なイコンで飾られるのが普通で、このような立体的な像による装飾があるのを見て、ほんとうに正教会なのかと思ったほどだ。 (2009年8月撮影)
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こちらは、クレムリンの外にある教会。クレムリンを中心とした狭い区域の中に、この他にも工事中の教会もあり、ほんとうに教会の多い町だ。上段左はウスペンスキー教会、右はボゴヤブレーニア教会。クレムリンの橋からすぐ近くの同じ敷地内に隣接して建っている。下段は、クレムリンと湖の間に建つ別の教会で、右は、それを湖側から写したもの。 (2009年8月撮影)
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 |  | 「村の中の様子」と書きたいところだが、ガイドさんに「この村は‥」と質問しかけたら、「村ではありません。町です。」と即座に訂正された。 (2009年8月撮影)
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ヴォルガ・バルト水路の分水嶺にあたるあたり。川幅が狭くなり、船も速度を落としてゆっくりと進む。 (2005年8月撮影)
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ヴォルガ・バルト水路の岸、それもかなりオネガ湖に近い位置にある町。 (2009年8月撮影)
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待ちの中にある教会の屋根が、遠く水路からもよく見える。 (2009年8月撮影)
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ヴォルガ・バルト水路の岸でこんな標識を見つけた。標識に書かれているように帝政時代19世紀に工事が行われた運河で、暴風雨の多いオネガ湖上を通らずに船が運航できるようにという意図だったらしい。現役の運河でなく運河「跡」なのかもしれないが、ネット上の情報では、2011年にヴォログダ船籍の「ニコライ・ヤコヴレフ」号がクルーズ客を乗せて久しぶりにオネガ運河を通過し、今後もそのようなクルーズを計画しているとあった。ヴォルガ・バルト水路の岸から右の写真のような水路が伸びていたが、これだろうか。 (2009年8月撮影)
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ヴォルガ・バルト水路からオネガ湖に出る河口にあった標識。ヴォルガ・バルト水路がロシア経済の中で極めて大きな役割を果たしている、果たすことが期待されているのを、こんな質素な標識からも感じ取ることができる。 (2009年8月撮影)
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