ヤルタ (黒海)
ヤルタの海。陽光を受けて水面が輝き、いかにも南の海という雰囲気だから、北国ロシアの人々がこの地にあこがれるのはよくわかる気がする。 (上段右端のみ1984年8月,その他:2003年8月撮影)
ヤルタ (葡萄畑と黒海)
町外れの黒海に面した斜面。一面ブドウ畑だった。 (1984年8月撮影)
ヤルタ (薄暮と夜景)
日没直後とそれからもうしばらく経ってからの海辺の風景。海はもちろん黒海で、右手奥がヤルタの中心部。 (1996年8月撮影)
ヤルタ (森と湖)
ヤルタを離れる日、出発まで時間があったので我々のグループの添乗員がタクシーの運転手をつかまえて「近くにいいところない?」って聞いたら、「あるよ。山の中にきれいな湖が。」という返事。ガイドブックにもそんな湖のことなんか一言も書いてなかったから大いに期待して行ったら日本では池とか沼とかよぶような小さなものだった。ロシア語ではこれも「湖」なんだ!でも、その「湖」のあるあたりの森はうっそうとしていて、すぐ近くが海岸だということを忘れるほどだ。樹相もタイガと違って明るいように感じるのは気のせいか。 (1984年8月撮影)
フォロス
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セワストーポリからヤルタに向かう道を走って黒海が見えてきたあたりで撮ったもの。ここフォロスやヤルタを含むクリミア南岸は背後の高地が屏風のように切り立っている。これがこの地域独特の温暖な気候をもたらしている可能性が大きい。その崖の上に可愛い教会があるのを見つけた。 (2003年8月撮影)
セワストーポリ (入り江)
クリミア半島の西南に位置するセワストーポリは、奥行きの深い入り江など堅固な地形から、帝政時代から軍事上の重要拠点であった。そのためクリミア戦争でも、第二次世界大戦でもここでは激しい攻防戦が行われた。この軍事都市も今では外国人にも開放されて市内を自由に歩いて写真を撮ることもできる。 (1996年8月撮影)
セワストーポリ (モニュメント)
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第二次世界大戦でのソ連軍将兵の英雄的な戦いを称えるモニュメントが港の湾口に建てられている。 (2003年8月撮影)
セワストーポリ (ゲート)
ナヒーモフ広場から海辺へ降りるところにある何かの記念と思われるゲート。上部に「1846年」の文字が刻まれている。両再度には上右の写真のような彫像が刻まれていた。夜になると左の写真のようにライトアップされる。 (2003年8月撮影)
セワストーポリ (海港ターミナル)
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客船用桟橋の脇にある港のターミナルビル。 (2003年8月撮影)
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セワストーポリ (軍港)
高台の上から湾の奥まったところを見ると、廃船になったと思われるような潜水艦が係留されているのが見えた。 (2003年8月撮影)
セワストーポリ (大通り)
ソ連崩壊後クリミア半島の帰属はロシアとウクライナの間での係争事項だった。とくにセワストーポリを母港とする黒海艦隊をどうするかの問題も絡んでいて双方とも譲れない問題だったらしい。実際、この年の旅行で気が付いたのは、クリミアではキエフ時間でなくモスクワ時間(1時間の差がある)を使っているのは位置からわかるにしても、町中の看板などの文字もウクライナ語よりもロシア語のほうが目立つ気がした。写真の中の赤い横断幕には「8月24日ウクライナの独立記念日」とあるが、市民の盛り上がりはいま一つという印象だった。 (1996年8月撮影)