ヤルタ (燕の巣)



 クリミア半島の南岸はかなり高い山地が急激に海に落ち込む地形になっている。その海岸の崖の上に立てられたかつての貴族の別荘。おとぎ話に出てくるお城のようなデザインとロケーションの良さからヤルタの観光ガイドには必ず登場する。左上の写真の遠く左手がヤルタ市街。  (右上のみ:2003年8月,その他:1984年8月撮影)

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ヤルタ (リバディア宮)


 第二次世界大戦末期の1945年2月に米,英,ソの首脳が戦後処理について話し合ったヤルタ会談の会場となったリバディア宮殿。建物の入り口にはそのことを記したプレートが掲げられていた。  (2003年8月撮影)

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ヤルタ (リバディア宮)


スターリン,ルーズベルト,チャーチルの3人が記念撮影をした中庭。   (上段左:1984年8月,同右:2003年8月撮影)



 中段左は会談場になった部屋。中段右は3ヶ国首脳の会談場。左(下段)の写真は、米国のルーズベルトとソ連のスターリンが、対独戦終了の3ヶ月後にソ連が対日参戦することや、千島列島をソビエトが領有することなどの戦後日本の処理を決めた部屋。  (中下段:2003年8月撮影)





ヤルタ (リバディア宮の庭園)



 宮殿前の庭園。庭のむこうはもちろん黒海。南の避暑地らしい雰囲気をじゅうぶんに醸し出している庭園だ。このリバディア宮殿は、10月革命前には皇帝ニコライII世の別荘であった。  (1984年8月撮影)

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ヤルタ (アルプカ)



 同じくかつての貴族の宮殿。この建物の南側、黒海に面したテラスに、大理石でできたそれぞれ表情の違うライオン像が4体ある。エイゼンシュテインの映画「戦艦ポチョムキン」に、眠っているライオンが目を覚まして吠えるショットがあるが、ここの石像を撮ったものだと言われる。下の写真は、宮殿内の一室の調度と宮殿付属の庭園。  (1984年8月撮影)

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ヤルタ (チェーホフの家)


 チェーホフが晩年を過ごした家は彼を記念する博物館になっていた。小説「小犬を連れた奥さん」はここヤルタが舞台。  (1984年8月撮影)






ヤルタ (裏通り)



 ヤルタの中心部からちょっと外れたところの路地。何の変哲もない風景だが、やはり北のロシアとはどことなく雰囲気が違う。窓だって二重窓にしなくていいし..。  (右:1984年8月/下:2003年8月撮影)


中心部より南側の通り

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ヤルタ港



 ヤルタ港は黒海航路の重要な拠点。ヤルタより東のソチやバツーミなどの都市とや逆に西側に位置するオデッサなどとの間に航路があるのはもちろん、ボスポラス海峡を通る地中海航路の船も出入りする。 (2003年8月撮影)

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ヤルタ (海岸通り)




 港に面した一帯はヤルタでいちばんの繁華街でもある。観光客の多い夏には、さながら巨大な縁日の雰囲気でもある。  (2003年8月撮影)

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ヤルタ (公園)




 海岸通りのすぐ近くにある公園。海岸通りの喧噪が嘘のような静寂な雰囲気で、時間が許せばいつまでもそこでじっとしていたかったほどだ。こういうところの公園の手入れが行き届いているのはヤルタだけでなく、ロシアやウクライナのどの町でもそうで、いつも感心させられる。   (2003年8月撮影)

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ヤルタ (教会の塔)



 木々の間から見えた教会。黄金色のキューポラが南国の太陽光を受けて眩しい。   (2003年8月撮影)

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