
オペラ「サトコ」「皇帝の花嫁」などで知られるロシア国民楽派の作曲家。 (2000年12月撮影)

ロシア最初の世界的ピアニスト。ペテルブルク高等音楽院の創設にも力を尽くし、その院長もつとめた。 (2000年12月撮影)

合唱コンツェルトなど正教の教会音楽の作曲家として知られる。ア・カペラで歌われれるロシアの教会音楽の美しさは言葉では言い表せないほどだと私は思う。 (2000年12月撮影)

日本では「忘れ得ぬ女(ひと)」という絵で知られる画家。ロシア移動展派の創立者の一人。 (2000年12月撮影)

同じく19世紀の移動派の画家シーシキンの墓。私は彼の風景画がとても好きで、ロシア美術館やトレチャコフ画廊を歩いていて、微妙な木洩れ陽を丹念に描きわけた彼の絵の前に来ると何分もじっと立ち止まってしまう。 (2000年12月撮影)

稀代の振り付け師プティパの墓。チャイコフスキーのバレエなどを手がけた。 (2000年12月撮影)

チフヴィン墓地とは別、それより少し南へ行ったところのヴォルコヴォ墓地にある。 (1995年8月撮影)

10月革命以前のロシアの社会主義思想家プレハーノフの墓。同じくヴォルコヴォ墓地にある。手にしている本には「マルクス」の文字が刻んであった。 (1995年8月撮影)

教則本「古典舞踊の基礎」で知られる今世紀前半最高の舞踊家。墓はやはりヴォルコヴォ墓地にある。

遺骨がウラル地方エカテリンブルクで発見されたというロマノフ朝最後の皇帝ニコライII世の墓所。ピョートル大帝以降の歴代皇帝の眠るペトロパブロフスク聖堂内にあるが、いっしょに並べられているわけではなく別室。 (1998年8月撮影)

地下鉄ゴーリコフスカヤ駅近くの広場にある銅製の記念碑。日露戦争の開戦直後の時期、日本艦からの攻撃を受けて沈みゆく艦内で生きるために必死に闘う水兵を描いている。 (1999年12月撮影)

動物学博物館で見たマンモスの子どもの標本。ここには、鳥類,昆虫類も含めておびただしい数の標本が展示されているが、後年訪れた時には資金不足のせいか標本がかなり傷んでいた。 (1985年12月撮影)

1917年11月7日(露暦10月25日)21時45分、ネヴァ川のニコラエフスキー橋のそばに錨をおろしていたオーロラ号の6インチ砲の発砲により、冬宮襲撃が開始されたことで知られる。ソ連時代はレニングラード(当時)へやってくるピオネールの団体などが必ず見学していく場所の一つであった。
この巡洋艦“オーロラ”は対馬沖海戦(日本海海戦)にも加わって撃沈を免れた数少ないロシア艦艇の一つである。ロシア人ガイドの説明では、この艦はロシア国産ではなく外国で建造されたもので、そのために船足が速く逃げおおせることができたとか。艦内の資料室には日本海軍からの被弾の写真が展示されていた。