==== シャッタ音はフォトジェニックに ====


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  朝は春、
  日は静かな水面を暖かく照らしていた。





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  午前は初夏、
  木々の緑は躍動感を与えていた。





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  昼下がりは残夏、
  蝉たちの声は青い空に抜けていった。





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  午後は秋、
  傾いた日差しは黄の絨毯に影を落とした。





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  夕暮れは晩秋、
  薄明の背後からは闇が迫っていた。





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  夜は冬、
  猫は僅かな暖を求めていた。






 小さい時分、移りゆく一日や季節の流れを不思議に感じていた。
 小さな足で、映りゆく眼を追いながら街角や旅先で出会う風景に感動していた。
 小さく微か、写りゆく銀塩フィルムを手に取って眺めていた。


 小学生の頃、初めて手にしてシャッターを押したのは、兄貴が使っていたオールオートのカメラであった。シャッター速度・絞り固定で、その時分に素人向けに少しだけ流行ったカセット式のフィルム規格で、今ではメーカー名すら忘れてしまっている。それでも、入学して間もない小生にとっては、お友だちの顔を写して感心していたのであった。
 親父は、フジカの(機種名は忘れてしまったが)35mmフィルム焦点距離40mm程度のレンジファインダーの絞りとシャッター速度が選べる、しかしながらAEどころか露出計すらついていないカメラを持っていて、小生もときどき手にとっていた。であるからそのころより理論はわからないけど、シャッターと絞りの関係は漠然ながら知っていた。
 小学校も高学年に差し掛かる頃、そのとき毎月心待ちに購読していた「学研の科学」に自分で現像できるカメラキットなるものが付録でついてきたことがあって、それはもう面白かったこと。家の片隅に古い倉庫があって、そこで目張りをして現像・密着プリント(流石に引き伸ばしはできなかった)を楽しんだのであった。文字どおりのオモチャのカメラシステムであったが、今撮った写真が自らその場でできるのは、驚異であった。


 中学生の頃、親父が購入していたオリンパス35EDという、電子シャッター式のAEカメラを借用して、悪友らと鉄道写真を撮りに首都圏界隈をよく渡り歩いたものだった(今で言うと鉄ちゃんじゃないか!)。当初はフィルム装填にへまもしたが、小さな手によく馴染んだカメラであった。
 中3の修学旅行、周りを見渡すとカメラ好きの皆さんは、何やら大きめのカメラを持っているではないですか。おお、これが一眼レフというものか!
 レンズも交換できて(その頃にはコンパクトカメラにはズームなんてなかったですからね)、ファインダーから覗くと望遠/広角と応じて視野が変化して、それがそのまんま写るそうで。手に取るとずっしりとした存在感で、なによりもシャッター音がいかにも写真を撮っていますと言わんばかりな高級感で、ニコンとかキャノンとか、うわーいいなあ、という羨望と憧れでしたねえ。


 高校生の頃、もう一眼レフカメラ欲しい病にかかって、そうなると実際に自分のものを購入するまでは完治しないものである。その時分の高校生でメカ好きな奴というと、大方カメラに興味を持っているもので、I沢はキャノンAE−1(ベストセラーですね)を、I井はオリンパスOM−10(大場久美子が宣伝していた)を、S摩は確かペンタックスMEスーパー(上下のボタンが懐かしい)を所有していて、という感じで。小生は、彼らに対抗する一眼レフを取得すべく、計画に着手したのであった。
 ニコン、キャノン、ミノルタ、ペンタックス、オリンパス、フジカ、ヤシカ・・・とまあ、日本のカメラメーカーの主たるところにカタログ請求をして、スペック表を比較したり、YカメラやSラヤで実際に手にとって見たり、月刊カメラマンや当時創刊された学研のCAPAの記事を貪って読んだり、右往左往したり。で、キャノンのカメラロボットA−1か、ニコンの名機FEか、ミノルタの宮崎美子の宣伝するX−7ではなくてX−700か、に絞ったのだった。
 それしても、高校生にとって一眼レフカメラは高い。1カ月数千円のお小遣いでは貯まるまでに大人になってしまうし、お年玉を合計しても何となるものでもない。そこで、本当は学校から禁じられているアルバイトを1年生も終わる春休みに専念したのだ。親父の知り合いの下町の工場で肉体労働を中心に、2週間働いて5万円足らず。頑張った充実感と自らお金を初めて稼いだ満足感は大きかったが、いかんせん現実にはまだ買うには足りず。そんな小生に見兼ねた親父に結局のところ半分だしてもらって、とどのつまりはキャノンA−1を購入できたのであった。神は私を見捨てていなかった。
 自分の一眼レフを手にしたときは、嬉しかったですな。ただボディーを触ってファインダーを覗いているだけでも、幸福であった。50mmF1.4のレンズ一本だけだったけど、出かける度にあちこちにレンズを向けて、それはもう楽しんだものですよ。ただ、フィルムの現像代がかかるので、もったいないから1シーン毎に慎重にシャッターボタンを押したのである。
 2年生の頃より、今まで新校舎建設中であって使用できなかった暗室ができて、写真部にもこっそりと加入してフィルムの現像と印画紙への引き伸ばしも体験。クラブ活動は余り盛んではなかったなあ。でも、仲間とよく写真の撮り合いはしていたね。
 で、気がつけば、交換レンズやらストロボやら種々のパーツやらを揃えるべく、学校の目を盗んで、公営プールの荷物番やらホテルのベッドメイキングやら、アルバイトに精を出しているのであった。


 大学生の頃、進んだ先は工学部ではあるけど写真や画像を主に学べるところ。
 理論的なこともさることながら、カラー写真を現像・引き伸ばしをしたり、4×5版カメラを屋外に担いで蛇腹を延ばしてキャンパスを写したり、8×10版(おおっ!8×10)カメラで照明に拘りながらスタジオで暗幕をかぶってポートレート撮影をしたり。実習は、それはもう楽しいものじゃった。大判カメラは、フィルムの現像むらに気を配らなければならないけど、印画紙へは密着焼きなので、仕上がりはとても美しいものなのである。
 先輩のアラーキーさんに乾杯。
 カラー写真をつくる会という殆ど当学科関連者の代々が主体で成っているサークルにも入会していたが、流石に写真やカメラに関しては、一言あるこだわりを持つ人が多かったね。カラー写真も温度調整と色調整にこつと根気がいるけど、自分の手で手がけると結構とはまるものですな。
 ボディはキャノンのNewFTbを中古で買ったり、広角から望遠まで交換レンズはいつの間にやら増えたけど、卒業間際に、ニコン党の研究室同期の奴のニコンFAと小生所有のキャノンA−1フルセットは、とある事情があって交換したのであった。


 社会人の今、めっきり写真を撮らなくなってしまった・・・
 撮るとしても、仲間やらで出かけた先の記念写真が主体で、自分のためにシュートすることは少なくなってしまった。
 大人になるということは、感激を忘れていってしまうことなのかもしれない。

 その後のカメラの機種の移り変わりは・・・
 コンパクトカメラでは、とうちゃんとかあちゃん用のニコンTW(38mmと65mmの2焦点カメラ)やフジのズームカルディア950を借りて使っていたが、今はニコンのミニズームを所有。
 一眼レフカメラでは、FAは中古カメラ屋に売りとばして(今から考えればあれは早まった)、F−801を購入。それも3年後くらいに下取りして中古のF−601と交換で現所有。それとは別に、軽量小型携帯性を重視して、中古でFG−20を購入して現所有。キャノンNewFTbは、35mmF2.0を付けて今でも所有している。
 交換レンズは、色々あった末、ニッコールレンズは、28mmF2.8AF、50mmF1.4AF、35−70mmF3.3−4.5AF、マイクロ105mmF2.8AF、50mmF1.8、200mmF4を現在所有。他に最近購入した、ニコン面白レンズ工房(ぎょぎょっと20、ぐぐっとマクロ、ふわっとソフト、どどっと400)を現在所有。
 F4を持っている後輩を小馬鹿にしながらも、内心羨ましがっていたりする。

 この前の山行で、久しぶりにリバーサルフィルムを使用して、その上がりに満足して、「やっぱり、ネガと比べると発色が違うわ」と悦には入っていたりして、またそのうちにカメラの世界にのめり込むかもしれない・・・


 こんなおいらの撮った写真を見たいなあ、と思った方は、 私的詩的素敵?写真館にアクセスをしてくれい。


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