平成7年度指定

旧三浦家住宅



所在地 福岡市博多区冷泉町六番十号


 明治中期に建設され、櫛田神社と聖福寺とを結ぶ旧櫛田前町通りに面して建っていた町家です。昭和初年まで博多織元の往居・店舗兼織り場として使用されていました。平成4年度、前所有者三浦新五郎氏(冷泉町7番1号)より福岡市に譲渡され、旧所在地から約100m南の櫛田裁縫学校跡地(冷泉町6番10号)に移築復元されたものです。平成7年8月10日より「『博多町家』ふるさと館」の一棟として一般公開されています。
 この建造物は明治20年代前半、博多織元「(やましち)」の住居・店舗兼織り場として建築された町家です。主屋の間口約四間。このうち、西側部分約一間半強に表から店の間・中の間・座敷が一列に並び、中央部分約一間弱に通り庭が、東側部分約一間半に織り場が並行しています。
 主屋の奥行約七間。主屋奥に離れと坪庭を設けています。
 福岡市における江戸末期〜明治初期の町家の棟の高さが平均6.3mであるのに対して、本建造物の棟の高さは9mを越え、福岡市の町家の年代的な特徴を示すものです。また、二階奥に次の間と座敷からなる奥座敷を設けるものの、街路に面した正面の二階を軒の低い納戸的小部屋とする間取りは大正時代より前の福岡市の町家の一般的特徴を示しています。さらに、主屋間口の約三分の一(約161cm)を占める通り庭は、一般的町家の通り庭より梁間が広く、店舗と織り場とを備えた本建造物の個別的特性をよく示すものです。また、店の間と中の間との境は障子等の建具をいれた痕跡がなく開放的であるのも、商家としての特徴を示すものと考えられます。加えて、富の蓄積によって敷地の拡張が行われたことを示すものと考えられる末広がりの住居は、建主と棟梁の財と腕の見せ所である吹抜けの梁見せとともに、往事の博多織物業の隆盛ぶりを伝える建造物です。以上のようにこの建造物は、旧博多部の、明治中期の町家建築の指標的価値を有する町家です。また、福岡市の伝統産業である博多織の生産・販売とその生活を一体として見ることのできる現存する唯一の町家です。