平成5年度指定
東入部遺跡出土資料34点
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福岡市博多区井相田二丁目1番94号 福岡市(福岡市埋蔵文化財センター)
この遺物は、東入部遺跡の弥生時代墓地から平成3年に出土したものです。この東入部遺跡は、早良平野の南側、油山の西麓から西北方向に延びる標高約34mの低丘陵上に立地し、弥生時代墓地はその西側斜面の南北約100m、東西約30mの範囲にあります。甕棺墓130基、土壙墓・木棺墓30基のあわせて160基からなり、その造墓時期は前期後半から後期初頭です。
墓域の変遷は比較的明瞭で、墓は最初中央西側に造られ、中期前半にはその周囲をとりまくように拡大します。中期中ごろには新たに南北二ケ所の方形区画墓(墳丘墓)を築造しています。中期末以降の墓は区画の溝内やその外に散在する程度で、墓地造営が終わっています。
160基の墓のうち人骨が残存するものはほとんどなく、次の8基から副葬品などが出土しました。また別に鉄矛1ロが地山面から出土しました。
957号木棺墓出土の銅剣は長さ30.0cm、鎬の研ぎ出しは茎部に達する。84号甕棺墓出土の銅剣は長さ31.6cm、研ぎは刳方までです。佐賀県唐津市宇木汲田遺跡、福岡市西区吉武高木遺跡などから発見された細形銅剣とともに最古の出土例にあたり、木棺墓出土例としては吉武高木遺跡、吉武大石遺跡についで、三遺跡目です。
127号甕棺墓から出土した銅釧(銅製腕輪)10個は、いずれも外径6.5cm、内径5.5cm前後の円環で、残存状態は良好です。出土位置から、右手にまとめて着装していたと考えられます。時期は吉武高木遺跡(中期初頭)につぎ、また一つの墓から出土した個数としては宇木汲田遣跡の18個、17個につぐものです。
甕棺墓に副葬されていた鉄製武器には、剣(長さ35cm)、矛(長さ43cm)、刀(長さ26cm)があります。素環頭刀子(長さ26cm)も武器として扱われた可能性があります。は鉄剣に銹着していました。鉄製武器を副葬する甕棺墓はいずれも北側区画墓の中に営まれています。これらは墓の副葬品として中期後半頃に初めて出現するもので、これまでの出土例は少ないです。
東入部遺跡出土の副葬品は、それぞれ北部九州で初めて出現する時期の遺物で、これが一遺跡からまとまって出土したのはめずらしい事例です。また方形区画墓の出現とその副葬品は弥生時代の社会を解明する上で重要な資料となるものです。