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いままでの言葉:1998年

12月の言葉:「天命をもって主上にお迎えする。これより後、詔命に背かず、御前を離れず、忠誠を誓うと誓約申しあげる」by 延麒六太
「『東の海神(わだつみ)西の滄海 十二国記』 小野不由美 講談社, 1994.6(講談社X文庫WhiteHeart)より
 やっと読みました、「十二国記」。今日、図書館から予約かけた『魔性の子』が戻りましたよ、という電話があったんで、出てる限りは読み終えられる。語り口はうまい。特に最初の『月の影 影の海』のいきなり異世界に放り出されてのサバイバルは凡百の自称ファンタジー作家に見習わせたいもの。それから今さらいうまでもないけど緻密な世界構築。これなら最終巻で「実はこの世界の人達はロスト・テクノロジーの人工子宮から生まれ、麒麟の角からナノマシンが注入されて王は不老不死になるのでした」、なんてオチになってもオレ的には全然OKだ。
シリーズタイトルがついたらいきなり説教臭くなってなんだかなぁだったけど、説教されてるのは登場人物だから(笑)、田中芳樹よりはいいや。後はちゃんと完結させてくれれば言うことなし。
キャラ萌え的には延王尚隆かしらね。見かけによらず破滅型の策士だと思うぞ。「問題がなくなってしまえば、することがなくて飽きるだけだ。…そうなればきっと、俺は雁を滅ぼしてみたくなる…」
11月の言葉:「重要なことのすべては視覚的に、あるいはアクションによって表現される」by スタンリー・キューブリック
「キューブリック全自作を語る」『世界の映画作家』2(キネマ旬報社,1970)より
 『2001年宇宙の旅』についての解説?です。
 なんだか世の中には「自分が理解できないこと、謎めいていること=つまらないこと」という人がいるみたいで。いえ、japan.animeの『ガサラキ』スレッドみててふと思ったんです。第2話段階で謎があるのは当然のことだし、「登場人物が自分の心情をべらべらしゃべらなわからんのかい、このボケっ」つーか。ま、「エヴァ的」なんて口走るのは今どきの若いもんだね、と苦笑してすませられますけど。
 こういう人はSFやファンタジーはダメなんでしょうね。
10月の言葉:「許してくれなんておこがましいんか。かなわんで、じっさい…」by ニコラス・D・ウルフウッド
アニメ版『トライガン』#23「楽園」より
ひとりの女性の生きて欲しいという純粋な、強い強い願いによって生まれたトライガンの世界。それが、こどもが「大人になったら、本になりたい―本を書く人でなく、本になりたい」(「未来に向けて 往復書簡 アモス・オズ氏から大江健三郎氏へ」1998.9.2 朝日(夕刊))と思うような、そんな世界になってしまった。
なんか、真剣に画面にみいっちゃいました。おいおい、ほんとうに殺しちゃうのか、そうなのか?って感じ。久々に画面で苦しくなるような“死”を見た気がする。
ひとりよがりのカッコつけとかまあ、あの番組には色々いいたいことがあるんだけどさ、最後の独白(告白)にはやられたっていうか。その30分後に始まる番組と違って、きちんと育ったキャラだったのに…。脚本の黒田洋介氏は“俺ガン(ダム)”な人ゆえ、キャラ殺すのに抵抗ないのか知らね。もっとも富野はもっとあっさり殺すし、初代のころはそれがすごい衝撃だったのだけれど、Vにいたってはもうただのルーティンになりはててたような。まあ、こっちが十代か二十代かってのもあるわね。
9月の言葉:「おたくな話題通じる程、おもしろい事ないもんな」by まるいち製作室の誰か
『まるいち的風景』1 柳原望 白泉社 1998.3(花とゆめコミックス)より
というわけで、日本SF大会です、日本SF図書館員協会です
で、そういうとこにいくと、『紅一点論』(斉藤美奈子 ビレッジセンター出版局 1998.7)の「男のオタクは読み解こうとし、女のオタクは書き換えようとする」(立ち読みの記憶なのでちょっと違うかも)が納得できるような、できないような。
8月の言葉:「エドは今まで苦労したことがありません。」「本当はあるかもしれませんが、全然覚えていません。」by エドだよ〜
『カウボーイ・ビバップ』セッションXX「よせあつめブルース」のPart15マイ・フェバリット・シングス(テレビ東京では1998年6月26日放映)
「おもしろくなさそうなことの中にもちびっとおもしろそうなこと見つけてビリビリするからです」と続くんだな。俺的には全然入れなかったビバップ世界だけど、エドはいい味だしてました。フェイの「女は生きてるだけで偉い」に共感するほど墜ちてはいないわ(^^;
ビバップ、音楽と背景だけの環境ビデオでないかな。絶対買うんだけど。ストーリーも演出も可もなく不可もなく、改造された太陽系だけがセンス・オブ・ワンダーでした。でも、ノン・スクランブルならケーブルテレビはいろうかな…。
7月の言葉:「物語るという営為、あるいは物語に耳傾けるという行為には、ある種侵犯しがたい神聖さがともなう」by 赤井敏夫
『トールキン神話の世界』 人文書院 1994.4のあとがきより
 えー実はこの本、まだ読み終わってません(^^;;
トールキンならをたくと呼ばれたいくらいですが、評論はまず、読まないので。で、この本のことも、「赤表紙本」(Who's Whoのパロディとはねぇ)の件で知ってはいたという程度。
 で、一昨日図書館でふと見つけて、あとがきのこの部分から「読者が自由に物語の展開に参入することを積極的に肯定するインタラクティヴィティの機能は、その神聖さを犯す冒涜」というくだりを読んでぴぴっときました。そーか、オレがRPGとかダメなのはそういうことかって。最初に『ホビットの冒険』『指輪物語』を読んだために、そのもろもろの模倣へ同じレベルを求めてしまったのですね(ということが数年前ようやくわかった)。完成された世界には乱入する余地はないのです。
6月の言葉:「戦争は自然の状態である」by ナポレオン・ボナパルト
『ナポレオン言行録』 オクターヴ・オブリ編 大塚幸男訳 岩波書店 1983.9より
 「防御戦の第一人者であったグーヴィオン・サン・シールは戦いをやめて家に帰る癖があり、皇帝にうとまれていた」(週刊朝日百科世界の歴史103 19世紀の世界1)この文を読んで反射的に某提督が思い浮かんだ人、あなたは世界を革命するしかないでしょう(笑)
 というわけで Laurent, marquis de Gouvion Saint-Cyr のこと調べてますが、フランス語は第2外国語だったはず…てな状態なので暗中模索でございます。
 で、今、一番身近な戦争はfjのフレーム合戦だったりするわけ(^^;;
 ま、みてる分にはおもしろいけど、人格攻撃がでたらもう読むにたえませんね。「記事を憎んで人を憎まず」(nC++さん、fj.jokes.dの<6kbm03$q57@berger-silverstone.justnet.or.jp>)が正しい?ネット上での喧嘩、もとい論争の仕方だと思うのですけどね。
5月の言葉:「期待などにこたえてもらったところで、得られるのはたかだか「満足」にすぎぬからだ。」
朝日新聞1998年4月6日(夕)「渡部直己のスポーツ批評宣言」より
 渡部直己の評論を意識して読んだことはありません。だからどんな思想の人かも知りません。ぴぴっときたのはこの言葉。
 この後、「「満足」ではなく、見るものに「驚き」を与えること。それが、真の一流プレーヤーの使命であり、かつ、その「驚き」に貫かれる一瞬こそが、あらゆるスポーツ観戦の真の喜びにほかならない。」と続きます。そう、これは野球論。しかし、ヲタクはすべてを一元化して評価するのだ(笑)Sence of Wonder!
4月の言葉:「こんな面白い旅行は初めてだったぜ。未知の世界。そうとも、先生。あの人はいくらでも未知の世界を切り開いていくんだ。そして気軽におれたちを連れていってくれる。」by カリ
サミュエル・R・ディレーニイ『バベル−17』(岡部宏之訳 早川書房 1977.7(ハヤカワ文庫SF248)4-15-010248-1)p280より
 1998年を「読んだような気になっているが実は読んでいない古典を読む」年と決めました。SF者として恥ずかしくてひとさまに言えないような作品を読んでいないんですね、私は(^^;;
 で、『バベル−17』です。『ノヴァ』『アインシュタイン交点』は発売直後に読んでいるのに、なぜかこれだけは「言語学」のためか敬して遠ざけていたんです。いや、勿体ないことをしました。手に汗握るスペースオペラではないですか(笑)。この後の「ほかの世界―本を書いたり、武器を作ったりする世界―に住んでる人間が、どうやら実在するらしいって、おれは考え始めたのさ。もし、そういう連中の存在を信じるなら、自分自身の存在を信じる下地もいくらか固まろうってもんだ。だから、そういう仕事をやれる人が助けを必要としてると聞けば、助けないわけにはいかないよ」にうる〜としない人とはお友達になれません(^^;
3月の言葉:「何かが人間から、その存在の意味と意欲とを奪おうとする」
「ルポ指揮者・石丸寛 タクトに生きる」朝日(夕)1998年2月17日 3面
 伊丹十三の自死について述べたもの。石丸自身が癌と戦っているという現実があります。闘病記とか難民のルポとか読む心理に、他人の不幸は蜜の味、がないとは言い切れない。現実の残酷さにひかれる気持ち、とウテナLDのライナーで榎戸さんも言っていた…。
1998年3月、石丸氏は永眠されました。
2月の言葉:「「おはなし」に夢中になっているときのコドモは、自分がいまどこにいるかなんて考えたりはしないものです。」by 水玉螢之丞
「SFまで10000光年」62より
 星新一氏の訃報(その朝日新聞夕刊には勇者シリーズ打ち切りの記事まで…)、その3週間後には石森章太郎氏が逝去されました。合掌。
 思えば父親に「これはショートショートというものだ」と差し出された『エヌ氏の遊園地』(たぶん。おはなしに夢中になっているコドモは書名も著者も気にしなかった)が日本SFとの出会い。SF漫画との運命の出会いはソルジャーブルーだけれど、その源は従兄弟のおにいちゃんにもらった『サイボーグ009』2〜6(サンデーコミックス版)、そのまた根っこはモノクロ版009の「復讐鬼」の恐怖でした…。
1月の言葉:「あらゆるものの90%はクズである。」(スタージョンの法則)
『マーフィーの法則』ロバート・ブロック 倉滑彰訳 アスキー出版局 1993.7 4-7561-0326-x
 「SFの90%はクズだ」という風に聞き覚えていた言葉です。このようにわきまえていれば、日々心安らかに過ごせるわけで…。
 去年のクズSF論争で誰もこれをいいださなかったのが不思議ですね(Webページはチェックしていませんが)。結局、出版界が90%の屑を許容できなくなっているってことなんでしょうか。作品の価値と売れる売れないなんて関係ないのにね。なんか、新年から景気悪いなぁ。ウテナ終わってしまったし(関係ないって?いいえ、あれは1997年で唯一ゴージャスなアニメでした)。

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